みどころHighlights

展覧会の構成

第1章 ── Before 名古屋

葛飾北斎(1760~1849)は、文化9年(1812)と文化14年(1817)の少なくとも二度、名古屋に来ています。北斎はなぜ名古屋を訪れたのでしょうか?そして当時、名古屋の人たちから見て北斎はどういう存在だったのでしょうか?来名前後に制作された彼の作品を見ながら、「名古屋から見た北斎像」を探っていきます。

第2章 ── 北斎、漫画を描く

文化9年(1812)の秋、北斎は関西旅行の途次、名古屋の門人牧墨僊(まきぼくせん)宅に半年ほど滞在しました。そのおり彼が描いたという300点余りの絵を、永楽屋東四郎(えいらくやとうしろう)が文化11年(1814)に出版したのが『北斎漫画』です。『北斎漫画』の楽しさとともに、名古屋との関わり、そしてその影響についても紹介します。

第3章 ── 北斎、大だるまを描く

一度江戸に戻った北斎は、文化14年(1817)にふたたび名古屋にやって来ます。そして同年10月5日(旧暦)に西掛所(にしかけしょ)(現本願寺名古屋別院〔西別院〕)にて一二〇畳敷(縦約18メートル、横約11メートル)の紙に大だるまの半身像を描くイベントを行ったのです。このイベントは大変評判を呼び、北斎は「達磨先生」略して「だるせん」とのあだ名が付くほど話題の人になりました。

第4章 ── 名古屋の仲間たち

『北斎漫画』を出版した永楽屋東四郎、イベントを記録した高力猿猴庵、そして牧墨僊をはじめとする名古屋の北斎門人らの活動をみていきます。彼らの姿を通して、江戸と地方との交流の深さを知ることができるのではないでしょうか。

第5章 ── After 名古屋

江戸へ戻った北斎の活躍の場は大判の錦絵(多色摺版画)作品へと移っていき、そしてついに代表作「冨嶽三十六景」が誕生します。展覧会の最後に、「冨嶽三十六景」シリーズ中に描かれた名古屋の図「冨嶽三十六景 尾州不二見原」に焦点をあてながら、北斎作品の魅力をひもときます。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(株)ティ・エス・ケー蔵

これがわかる!

北斎が名古屋に住んでいた!北斎が名古屋に住んでいた!

江戸の浮世絵師である葛飾北斎(1760~1849)は文化9年(1812) と文化14年(1817)の二度、名古屋を訪れています。最初の滞在では名古屋の門人牧墨僊の家に半年ほど居候し、二度目の滞在時には花屋町にあった家に住んだことが分かっています。現在地はそれぞれ、商業施設「ラシック」(名古屋市中区栄三丁目6番地1号)、名古屋コミュニケーションアート専門学校(名古屋市中区栄三丁目20番地4号)付近にあたり、いずれも繁華街の一角となっています。

『北斎漫画』は名古屋で誕生した!『北斎漫画』は名古屋で誕生した!

「冨嶽三十六景」と並んで北斎の代表作とされるのが『北斎漫画』。北斎が世のなかのありとあらゆるものを描いた本で、画狂人とも名乗った彼の描くことに対する情熱を感じることのできる作品です。
その初編は文化9年の名古屋滞在時に描いた絵を基として、名古屋を代表する出版者永楽屋東四郎(えいらくやとうしろう)によって文化11年(1814)に刊行されました。そして北斎没後の明治11年(1878)の十五編まで、断続的に刊行されるベストセラーとなりました。
『北斎漫画』の影響は国内のみならず海外にまで及び、ジャポニスムに刺激を与えたことでもよく知られています。展覧会では尾張藩十二代藩主徳川慶臧(とくがわよしつぐ)が所有した『北斎漫画』、『北斎漫画』の版木や同書が他作品に与えた影響なども紹介します。

エミール・ガレ 蛙・蓮文花器 個人蔵

1890年代から1900年に、フランスで製作されたガラスの花器です。デザインに、『北斎漫画』初編に載る蛙の図が転用されています。

北斎が大だるまを描くパフォーマンスを行った!北斎が大だるまを描くパフォーマンスを行った!

文化14年の10月5日、北斎は西掛所(にしかけしょ)(現本願寺名古屋別院)にて120畳敷の紙に大だるまの半身像を即興で描くイベントを行いました。その大きさなんと縦18m、横11m。
市中の話題をさらい、人々が北斎を「達磨先生」、略して「だるせん」とあだ名をつけて呼ぶほど人気となったことが、尾張藩士でジャーナリストの高力猿猴庵(こうりきえんこうあん)の記録により分かります。残念ながら北斎が描いた大だるまそのものは現存していませんが、展覧会会場では大だるまや北斎が使用した大筆を再現することで、その大きさを皆さんに体感していただけます。

   

準備や当日の様子、イベント後に北斎が「だるせん」と愛称されたことが載る記録。

高力猿猴庵『北斎大画即書細図』名古屋市博物館蔵
※会期中に頁替えを行います。

葛飾北斎「北斎大画即書引札」名古屋市博物館蔵

   

葛飾北斎「北斎大画即書引札」名古屋市博物館蔵

準備や当日の様子、イベント後に北斎が「だるせん」と愛称されたことが載る記録。

高力猿猴庵『北斎大画即書細図』名古屋市博物館蔵
※会期中に頁替えを行います。

名古屋から見た富士山を描いた!名古屋から見た富士山を描いた!

北斎が名古屋から江戸に戻って十数年後、あの「冨嶽三十六景」シリーズが誕生しました。
その中に名古屋から見た富士山の絵が含まれています。
大きな桶(円)のなかから富士山(三角)をのぞき見るという北斎ならではの幾何学的構図が特徴で、シリーズ中でも評価が高い作品です。
展覧会では、高力猿猴庵が描いた同じ場所の絵と比較することで、北斎が創り上げた構図の面白さを実感していただきます。

葛飾北斎 「冨嶽三十六景 尾州不二見原」  個人蔵

高力猿猴庵「富士見原真景之図」名古屋市鶴舞中央図書館蔵

イベントを仕掛ける 面白い人たちが名古屋にいた!イベントを仕掛ける 面白い人たちが名古屋にいた!

大だるまイベントでは、牧墨僊ら名古屋の仲間たちがサポートしました。さらにいえば、このイベント自体『北斎漫画』を出版する二代目永楽屋東四郎がブックセールスの一環として仕掛けたものと考えられます。これだけのイベントを仕掛け、そして見事に成功をおさめた、そんな人たちが200年前の名古屋にいたのです。
北斎もさることながら彼らの活躍ぶりにも喝采を贈りたいものです。
展覧会では、この頃、活況を呈していた名古屋の出版界と永楽屋東四郎、墨僊ら北斎の門人たちの活動も併せて紹介します。


牧墨僊自画像(『狂歌弄花集』より)名古屋市博物館蔵


二代目永楽屋東四郎肖像(『狂歌画像作者部類』より)名古屋市博物館蔵