
ボブ・ディランに学ぶ「スターとは?ロックの歴史、そしてマナー」 サエキけんぞう
ボブ・ディランが来日し、ライブハウス仕様(ZEP)ツアーを計12回も繰り広げる。
これは1988年から始まった「ネヴァー・エンディング・ツアー」の一環で、このツアー全体のスケールもすごい。
2003年からはほぼ毎年100回近い公演を行ってきている。年100回である。
日本国内でも100回を行ったら大変なことになるが、欧米の100回は移動距離があるから、まさにとんでもない過重労働である上に、ディランはもうすぐ70歳なのである。
しかも、1997年の「タイム・アウト・オブ・マインド」からピッチを上げ始めたアルバムリリースは、2001年「ラヴ・アンド・セフト」2006年「モダン・タイムズ」と内容も充実を極め、昨年2009年は「トゥゲザー・スルー・ライフ」 とクリスマスアルバム「クリスマス・イン・ザ・ハート」と、なんと2枚もリリースというラッシュぶり。
その間に前述のツアー100回近くを行っているのだから、とても人間の生活とは思えない。
起きている間中はずっと音楽、そんな生活を送っているのだろうか?
ディランや、ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニーといった60年代スターの2000年代の活動の充実ぶりを見ていると、いくつかのことに気がつかされる。
60年代大スター組は、一様に1980〜90年代、苦戦していた。
それは80年代のテクノポップ、コンピューターサウンドの隆盛、90年代のサンプリング、クラブサウンドの席巻がオールド・ウェイヴにとっては肌に合わなかったからだろう。(ポールは挑戦していたが)彼らにとっては、曲作りの本質がズレてしまっていたと感じたに違いない。
しかし、2000年代に入ると、生音は本格的に見直された。ディランの子供世代のようなジャック・ジョンソンやノラ・ジョーンズといった癒し指向のアーティストが、生音で大ヒットを飛ばした。それらは6〜70年代の曲作りにシーンを一気に戻す働きがあったのだ。
そんな中、極めつけの生バンドであるストーンズや、のびやかな曲調のポール、そして生楽器以外ありえないディランの復権は、必然のコースだったろう。
ポップスの歴史は、大河だ。
ディランの不調は、早かった。1970年代前半からだったと思う。サエキとしては1970年「新しい夜明け」を最後に、ディランの初期から続いたピカピカの時代は去ったと感じていた。
それまでの60年代のアルバム全てに立ち上る「殺気のような輝き」こそが、ディランの本質なのではないか?と今でも思う。
みなさんは、誰かに「殺気のような輝き」を感じたことがありますか?ビートたけしとか、立川談志とか、佐藤優さんでもいい。
この殺気とは、時代とか世界に対決しようとする姿勢であります。
昨年亡くなられた忌野清志郎さんとか、加藤和彦さんにも殺気のようなものを感じた。「音楽性」も大事なんだけど、この分析不能な「殺気」が、ポップスやロックには凄く重要な気がする。
ビートルズだって温厚そうに見えるけど、やはり時代に届ける「空気の革命力」は殺気だっていた。
草食系といわれるこの時代に必要なのは、再び殺気だったエネルギーなのではないか?と感じ始めている。みなさん、殺気でも身につけてはいかがでしょうか?(笑)
殺気とは、たった今という時間、制約の中で自分がどこにいて、何を感じて、しようとしているか?明確に切り出し、人に向かってぶつけようとする気配なのだと思う。
曲をやる際にも、パフォーマンスをする際にも、何を伝えたいのかはっきりしない人は、はっきりいって殺気がない(笑)
芸能の奥というか、中心にはそうした青筋がたった、緊張感たっぷりの「殺気」があるのだ。
さて近年のDVD作品の充実で、ディランのそんな殺気の発生が、具体的証拠として味わえるようになってきた。
「ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963〜1965」は、ディランがみるみる頭角を現す様子が年をおってわかる圧倒的な作品。人間がビッグになってく様子が1巻でわかるDVDもそうそうないので、必見。
デビュー直後の1963年は、当時すでにフォークの女王となっていた恋人、ジョーン・バエズにハッパをかけられるように出てくる若きディランが初々しい。
背中も丸いし、頼りない。そう、スターになる前の姿は、やはり普通の人に近い。ボソボソっとした印象だ。落ち着いたバエズを前に、カポタストがうまくはまらず手こずる。「ほら頑張りな!」と、バエズに後押しされるように歌い始める。
しかし、この日の夜のステージでは、背中をのばし、堂々とバエズを従え、の演奏を繰り広げるシーンが見られるのだ。ひょっとすると、たった一日で変身した?
人間が変身するには、一日でも十分なのかもしれない。
64年は、ザ・バーズで大ヒットした「ミスター・タンブリン・マン」「自由の鐘」をはじめとして、おなじみの曲が登場するので、存在感も増す一方。
そうなってくると、表現もフェイク的な部分が増え、大胆になる。定番曲の登場と、その表現のワイルド化は、例えばディランを尊敬するストーンズでも、ライブで大きな要素となっている。
ディランは、大舞台で、さっさと、誰よりもそうした方向性を打ち出した。その「崩し&ウネリのエネルギー」がディランの根源で、今にして思えば、ロックが発展していく重要な核となってたのかもしれない。
品の良いジョーン・バエズやピーター・ポール&マリーやキングストン・トリオといったフォークソングと比べて欲しい。一線を画するのだ。
規則正しく美しく楽曲を歌い上げるやり方と、黒人音楽にも通じる感情爆発のエネルギー。この相反するマナーが、ディランやビートルズには同居し、それまでのポップスにもないロックの表現爆発が起こった。
日本でも1960年代、カレッジフォーク(大学生のフォーク)が流行り、その一部が現在のフォークやロックに分肢した。加藤和彦のフォーク・クルセダースや清志郎の初期RCサクセションもこうしたフォークからの流れを汲んでいる。しかし、それがミカバンドやロックのRCになっていくときに、ロックのエネルギーをどうとりいれていったのか?学びたい。
そのマナーの祖先には、ディランの1964年がある。
65年は、生ギターを抱えたソロの最後のステージと、アル・クーパーのオルガンとマイケル・ブルームフィールドのギターをフィーチャーしたポール・バターフィールド・バンドをバックに「ライク・ア・ローリング・ストーン」が同居する、決定的なロック化の映像。
しかもこのセット、7月24日に発案し、25日に夜通し練習した末に披露された、というインスタントぶり。しかし演奏も歌も素晴らしい。
ところがこの日、エレキで演奏したディランへの風当たりはすごいものだった。ブーイングもバッチリ収録。導師的な存在のピート・シーガーは、なんとオノで電源ケーブルを切断しようとしたという。ヒエ〜!
つまり、ロックバンド化は一晩にしてなされた。そして日本でもその昔、物議を醸し出したフォークとロックの対立は、根の深い歴史的な概念だったということ。
この後8月からは、ホークス(後のザ・バンド)とのツアーが開始され、1966年5月の英国マンチェスターのロイヤル・アルバート・ホールでは、第二部のエレキ・セットで、聴衆との激しいやり取りが起こり「ユダ!(キリストの裏切り者の意味)」との有名な野次をくらうのだ。それに対しディランは有名な「I don't believe you」(あんたを信じない)という捨て台詞をいい怒濤のように「ライク・ア・ローリング・ストーン」になだれ込む。会場中が「フォーク支持」アウェイの中を、ロックを繰り広げたのだ。
今ではロックは普通になってしまったから、こんな対立など、古戦場が公園になったかのような風情かもしれない。でも、ポップ音楽好きな皆さんの体の中には、知らず知らずのうちに、このロックとフォークの対立という項目が、血の中に組み込まれているんですよ。それぞれのバランスで、ポップスは血は騒ぐのです。貴方の人生は、ロック比&フォーク比、どのくらいのバランス調合でしょうか?意識してみましょう。
ディランのもうひとつの重要DVD「ドント・ルック・バック」は、65年のボブ・ディラン英国ツアーの模様を追いかけたドキュメンタリー。すでに立場逆転(笑)ディランの追っかけ風になってきている女王ジョーン・バエズが同行しているが、その関係を終わらそうとしているディランの様子さえうかがえる。スターの生活はキビしい!
何よりもカリスマ、ディランの眼がそれ以前より、大きくなり、ギラギラしている様が味わえる。1963年のディランとは本当に別人。時代のシグナルを受け、神がかったオーラを発している。まさに伝説的なスーパースターの映像だ。人は、世界は、この光線によってかき回されていくのだ。
この後に作られたビートルズ「リヴォルヴァー」にはディランから紹介されたという麻薬処方医師「ドクター・ロバート」の歌も入っている。まさにドラッグを介した60年代文化の爛熟期となっていく。
しかし、その絶頂期1966年7月29日に、ニューヨーク州ウッドストック近郊でオートバイ事故を起こす。すべてのスケジュールをキャンセルして隠遁。エッジのたったロック・ディランは66年リリース、事故前に作られた「ブロンド・オン・ブロンド」で一区切りを迎えてしまうのだ。この事故がなければ、一体どういう人生になっていたか?と思う。エッジがたったまま、60年代末を迎えていただろう。
だがどちらにせよロック全体は、1970年で一区切りするのだ。ビートルズも解散。ディランは、一区切りを先取りしただけなのかもしれない。
前述の通り、70年代のディランには、60年代ほどの緊張感は感じられない。
ディランは、1978年に初来日し、11日間の公演を繰り広げた。サエキは一日参加した。しかし、ズバリ言おう。全く面白くなかった。油の抜けた人形のようだ!と思った。(ファンの皆さんごめんなさい)
しかし、今のディランは違う。凄い迫力と、楽曲のコク。とぎれないアルバム制作とツアーの末に、ついに巨大な山を登り詰めようとしている。50歳台から顕著に走っているその足は、70歳を目前に、今さらに速度をましている。
ディランに学べること、それは人は人生を一晩で塗り替えられること。ロックのフォークと画する、大胆な崩しのこぶしパワー。そして何歳になっても過酷なツアーを続けられるエネルギーなど、沢山ある。
そしてそして人生はラストで大逆転だ!夢を、大きな夢をディランからもらおう!
日本音楽は輸出可能か? サエキけんぞう
興味深い番組が放送された。
去る12月5日土曜、午後10時に放送されたNHK総合の「アキバアイドルを輸出せよ」という番組だ。
プロデューサーの秋元康が手がけるAKB48を軸に、アイドルを世界に輸出可能か?というドキュメント・ルポである。
フランスでの現地取材映像もふんだんに使われ、日本音楽を扱う番組としては、スケールの大きな構成となった。
アニメやゲームが海外で受け入れられ始めていることは皆さんもご存じだと思うが、それに続く第三のコンテンツとして、アイドルの輸出を試みているのがAKB48ということでの取材。パリのジャパン・エキスポにで好評を博したこともご存じな方が多いと思うが、輸出に対して、それほど積極的だったとは意外に思う人もいると思う。
この番組で示された日本のコンテンツ市場規模(コンテンツが何を示しているかは、番組内では示されなかった)は13,8兆円、海外からの収益4000億円で2,8%、一方、アメリカでは45,5兆円で、海外からの収益7,7兆円で17%ということ。
つまり、日本では文化売り上げの、たった約3%に過ぎない海外収益。対し、アメリカは17%も海外収益を挙げているということなのだ。
コンテンツというと、書籍の売り上げ等も含まれるだろうから、言葉の問題もあるだろう。なにせ英語はグローバルな言語だから。日本語は輸出が難しい。にしても、アメリカに比べると海外への文化経済訴求が少ないということである。
日本音楽の輸出は、約50年も前から行われているのだが、それらがすべて点になっており、一定の流れとなっているとは考えにくいということがある。
戦後最初の輸出例にして、最大の成果に坂本九の「上を向いて歩こう」の大ヒットがある。スキヤキ(SUKIYAKI)と題され、ビルボード(Billboard)誌では、1963年6月15日に、週間ランキング第1位を獲得。年間ランキングでは、第10位というとてつもないヒットとなった。
日本語曲で、これだけの成果を残せるのだから、日本のポップスは輸出可能なのだ、と最初っから実例を示されたようなものである。
しかしヒットは後に続かなかった。
インフラはしかれなかったのだ。
それと、著作権についての収入が適正に入ってきたのか?それが気になるところなのだ。(作詞:永六輔、作曲:中村八大)。
つまり、ヒットが起こっても、それに楽曲の管理や、営業が伴わなければ、例え印税そのものが入ってきたとしても、続く関連収入が確保される保障はない。何より、現地に根を張って、次々とヒットを出し続けるシステムが整わない。営業体制が組まれることなしに、輸出はあり得ないということになる。文化ならほっておけば拡大していく、と思われる方もいるかもしれない。しかし、車等の製品の輸出と同じく、そういうわけにはいかないのである。
最近聞いたところによれば、坂本九直後に、ザ・ピーナッツが「恋のバカンス」のヒットでヨーロッパで人気を集めたという。特にドイツではかなり有名になったという説がある。また「ソ連国家テレビラジオ委員会のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員が本曲を気に入り、ソビエト連邦本国に持ち込み積極的に展開、人気歌手ニーナ・パンテレーエワが1965年に「カニークルィ・リュブヴィー」("Каникулы любви")のタイトルで大ヒットさせた(ロシア語のタイトルは「恋のバカンス」の直訳)。歌詞はその後もリバイバルされ、ロシア人の中にはこの曲が日本で作られた曲であることを知らない者さえ居る程、ロシアでも世代を超えた有名曲となっている。」と、ウィキペディアにはある。
恋のバカンス_(ザ・ピーナッツ)
調べれば、まだまだ他にそうした例があるかもしれない。
つまり音楽は、意外なほどに言葉を超えて、国境を越えて、愛され、輸出が可能な媒体なのである。
本稿では、日本の音楽の輸出の歴史をすべて追うことはできないが、先日惜しくも逝去された加藤和彦氏の業績には注目しておきたい。
ザ・フォーク・クルセダースというグループでインディーズから「帰ってきたヨッパライ」で二百数十万枚という巨大ヒットを飛ばした加藤氏は、その後路線を90度転換したサディスティック・ミカ・バンドで、欧米デビューを果たす。
計3枚のアルバムを発表。ミカバンドのファンは欧州に多く、その余波がYMOのブレイクにつながった。
日本音楽輸出のパイオニアという意味では、ミカバンドは坂本九に続く役割を果たしたといえよう。ビートルズ、ピンク・フロイドのワークを歴任した超大物、クリス・トーマスをプロデューサーに迎え、技術的な飛躍を日本のロックにもたらしたことも大きな功績だった。
しかし、ミカバンドのもうひとつの功績は、英国を中心に大々的なプロモーションを実現し、ロキシー・ミュージックとのツアー先でもトップ紙の取材を受け、日本ロックの販路を初めて拡充したことにある。
それ以前にもミッキー・カーチスとサムライ、同時期には米国でEAST等、海外進出の例はあったが、大々的なプロモーション展開を可能にしたのは、ミカバンドが初めてである。もしその後もミカバンドが続いていたら・・と考えると色んな可能性も広がる。
しかしメンバーの高橋幸宏が結成したYMOの1979年からの進出をもって、その種は受け継がれたと見ることが適切だろう。さらにYMOメンバーの坂本龍一が「戦場のメリークリスマス」「ラスト・エンペラー」等、快進撃も果たす。
そうした種がまかれ、CDによって販売がより手軽になった90年代以降、ピチカート・ファイヴが米国を中心に、世界で20万枚以上を売り上げた例を始め、ケンイシイ、DJクラッシュ、コーネリアスなど沢山のクラブ系アーティスト、あるいはロックバンドが欧米で大活躍を示すようになり、ついに日本人アーティストによる欧米ツアーは珍しいものではなくなった。
そんな中でも特筆すべき成功は、この番組でも取り上げられたパフィーの米国での人気である。アニメ番組のキャラクターになり、米国では2000年代中盤から現在まで、大人気の二人、NYの街頭パレードに、日本人としては初めて参加、との報道も番組内でなされた。
しかし、とナレーターは続ける。パフィーのアニメにおいて、肖像権などの権益が正しくおさえられておらず、アニメからの収入が正しく入ってきていない!という衝撃的な事実も明らかにされたのである。
敗戦後、いよいよ65年になろうとしているわけだが、この事態は、米国の属国化というよりは、むしろ日本が何において劣っているか?という問題を示している。
実は音楽著作権は韓国、中国、台湾においてもまだきちんとした普及を見てないというアジア的状況があり、それに比べれば日本はそれらをリードする立場にあるにもかかわらず、だ。
著作権に並ぶ諸権利を行使して、コンテンツで諸外国から収入を得るという見地から見ると、大きく米国から遅れをとっている状況なのだ。それをどう見るか?
本稿に述べた通り、音楽でも坂本九を始め、ミカバンド、YMO、喜多郎など、日本は世界から収入を得るべきコンテンツを、すでに多数、持ってきているのだから、深刻だ。
今ではアニメと、ビジュアル系ロックがあるのに、である。
現在、それらで儲ける道を模索できなければ、今後、日本の文化が世界をリードする機会は失われてしまうのではないか?と思うのである。
そうした中、世界へのコンテンツ輸出という観点からAKB48を世界に出すべく孤軍奮闘する秋元康氏は非常に意義深い。
番組では、台湾の「黒Girl」、韓国の「少女時代」http://girlsgeneration.smtown.com/
など、AKB48を追撃するアイドルが、続々アジアからデビューしていると報道された。
実際、J-POP時代になってから、日本はアメリカに代わって、アジアのPOPシーンをリードする芸能先進国となったといえる。
BoAのように、日韓両方でブレイクするアーティストが出たことも、そうした状況の成果といえる。
正直、それぞれの国内の著作権状況を整えない限り、中国や韓国が、世界の芸能シーンをリードする日は来ない、と推測できる。
しかし、東方神起の日本でのブレイクのように、日本の芸能シーンを脅かすことは、十分できるだろう。
その状況を打開するためには、日本がどのように世界を制覇していかなければならないか?ということだ。
番組はヒントを与えてくれた。すでにTV番組界では、「料理の鉄人」その他の日本TV番組が、「番組のフォーマット輸出」という手法で、欧米に高く輸出されている例が挙げられた。番組の骨組みが、セットやカメラのアングルまで細かく規格化され、それを輸出するというもので、大きな成果を収めている。
「アキバアイドルを輸出せよ」は、毎年10月にカンヌで開かれる世界のコンテンツ見本市「Mipcom」に乗り込むAKB48をクライマックスに映し出す。
世界的な不況の中「安くて楽しめるコンテンツ」に注目が集まっている。アイドルにはそうした熱い視線が注がれているというのだ。
オーディションと、クラス分けによる競合など、細かいAKB48のフォーマットが作られ、このMipcomで売られ、マレーシア、香港、7〜8カ国からオファーが来た。ナイジェリアの女性は「地元でやってみるのもいいかも」との感想ももらした。パリのAKB、ニューヨークのAKBなどが作られれば良い、と番組は結んだ。
このように、音楽の輸出は著作権だけではないというヒントもあるのだ。
J-POPは果たして、今後ますます輸出可能だろうか?
人気バンド、メガデスを捨て、J-POPに憧れて日本に帰化したマーティ・フリードマンとは、拙著「ヒットの種」で対談した。
その時、マーティはJ-POPの凄さを語る一方で、J-POPの特殊性と、アメリカにおけるブレイクの難しさも同時に語った。
日本的なメロディーの面白さは、同時に外国人との相性を、制限もするというのだ。
現在のビジュアル系の世界での隆盛は、アニメのテーマになったりの応援を受けた、僥倖(ラッキー)である面があるかもしれない。
カナダ人がメンバーの半数で、J-POPメロディーを日本人のように作り出すMONKEY MAJIKのような例は、日本の航路を予言している。
日本文化が世界に打って出るなら、今しかない!
でもそのためには、何が受けるのか?権利関係はどう整備するのか?
早急に分析を、急がなければならない。
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