今年7月、第2代のJリーグチェアマンに鈴木昌(すずき・まさる)氏が就任した。
今年10年目を迎えたJリーグ。新チェアマンはこれまでの10年をどう捉え、今後をどうしようとしているのか。シリーズでお伝えします。



−Jリーグは「地域の活性化」を目標としていますが、これまで地域のスポーツを支えてきた「学校スポーツ」と、今後どうかかわっていくのでしょうか?

鈴木チェアマン(以下鈴木C):日本のスポーツ界が、学校体育というものからスタートし、そこから広まってきているという歴史は間違いなくあるし、学校が果たしてきた役割や貢献は、もちろん少なくないとは思っています。ただ、私は、サッカーというスポーツは、教育というシステムの中からは育っていきにくいものであると思います。
 サッカーはイマジネーションやクリエイテビィティといったものが求められるスポーツです。誰かから「こうしろ」ということだけやっていてはうまくならないものだし、そもそもスポーツそのものがワクにはまったものではありません。
 これはジーコが言っていたんですが、「日本では、純粋な意味でスポーツといえるものは、ゴルフしかないんじゃないか」と。日本でゴルフをやっている人は、誰に強制されなくても自分でうまくなるためにいろいろと手を尽くしている。サッカーも本来そういう性質のもので、学校の部活動とは相容れないものです。

 ただし、そうは言っても学校の部活がいきなりなくなっていいものでもありません。スポーツをする場所としての学校や、指導する立場としての先生の必要性はもちろんなくなってしまっていいわけがない。今のクラブの数ではスポーツをしたい子どもたちをとてもすべて受け入れることはできないですからね。それはもちろん、必要なことです。
 大事なことは、学校教育としての部活動が変化して、クラブスポーツとの融合が図れていくことだと私は思っています。これはJリーグとの理念とも重なりますが、「原点」を見つめることが大事です。スポーツの原点、それはすなわち「楽しむ」ことです。苦しい、きつい練習、厳しい上下関係に耐えに耐えてひとつの栄光を目指す、というのは、ちょっとちがうんじゃないかな、と私は思うんです。「学校とクラブと、どちらが楽しくやらせることができるか」という環境整備をしていくことが必要です。私の印象でいえば、学校の部活動の指導の中身が変わって、「楽しむ」というスポーツ本来のものを求めていくものになっていけば、クラブと部活動が一緒になって地域の中でやっていけるんじゃないかなと考えています。

−現在J1は2ステージ制で行われており、1ステージ15試合。これでは少ないのではないかという声もありますが、リーグ戦の適切な試合数は、どの位とお考えですか?

鈴木C:各クラブが、自立した経営をするためには、年間50試合ぐらいが理想だと思っています。3万人収容のスタジアムを持っているとして、そこに毎試合2万人ぐらい客が入る、としての話ですけど。
 試合数を増やすのは簡単なんですよ。リーグとしてはね。ただむやみに増やしてしまうと試合の質が落ちてしまって観客が減ってしまうということが起きてしまう。これは避けなくてはいけないことなんですね。「お客さんに見にきてもらえる質の試合を増やす」ということが大切なんです。

 2ステージ制についてのご質問についてですが、このシステムのメリットは、優勝経験のあるチームが増える、というところにあります。優勝を経験した、というチームが多くなれば、リーグ全体として試合の質は底上げされていくということになります。長い目で見ればそのほうがリーグのためにはいいと思います。1ステージ制では1年に1チームしか優勝チームが出ないから、その歩みが遅くなることになるんですね。
ただ、1ステージ15試合では少ないかなあ、という思いもあることはあるんですけどね。

 それと、チャンピオンシップの存在も、今のリーグにとっては大きいんです。メインスポンサーのサントリーさんからのスポンサー料というのは全クラブに分配してますから、チームの運営の助けになっているんです。だから2ステージというのは必要だな、とも感じますし、先ほど申した、理想に向かって努力はしていきますが、今の状況を考えると、その「質」と「量」のバランス上、現在のような試合数になっているわけです。

−リーグ戦と代表チームとの協力関係については?

鈴木C:日本のサッカーにとって、代表、クラブ、どちらも大切なものではありますが、現実にはぶつかってしまうこともありますね。
 今の問題としては、オリンピックだと私は思っています。
五輪を日本サッカーとして重視しなければ、フル代表のみを代表として重要視していくならば、日程は組みやすいと思うんです。五輪との関わり方をうまくやっていって、代表、クラブ、全体としての繁栄につなげていきたいと考えています。

 これはある意味日本独自の問題というところがあるんです。世界全体としてみれば、FIFAなどは、完全に五輪は割り切っている。でも日本では五輪というのは、世界の感覚とは違う、独特の盛り上がりがあるわけです。それはそれで無視はできないということもある。正直言うと、こうした国内事情を考慮すれば、代表とクラブの関係は「妥協の産物」として進んでいくというのが現実でしょうね。







1935年(昭和10年)12月15日生 兵庫県神戸市出身
1954年3月
1955年4月
1959年3月
1959年4月
1974年4月
六甲学院高等学校 卒業
東京大学法学部  入学
東京大学法学部 卒業
住友金属工業株式会社 入社
住友金属工業株式会社 鹿島製鉄所 業務部運輸課長
 その後本社勤務を経て
1987年7月
住友金属工業株式会社 鹿島製鉄所 副所長
 ※ 1987年〜1988年 住友金属工業蹴球団 団長
1994年6月

2000年6月
2002年7月23日
株式会社鹿島アントラーズFC 代表取締役社長
社団法人日本プロサッカーリーグ 理事
株式会社鹿島アントラーズFC 特別顧問
社団法人 日本プロサッカーリーグチェアマンに就任




スポスタトップページへ