今年7月、第2代のJリーグチェアマンに鈴木昌(すずき・まさる)氏が就任した。
今年10年目を迎えたJリーグ。新チェアマンはこれまでの10年をどう捉え、今後をどうしようとしているのか。シリーズでお伝えします。



−日本にはプロスポーツの先輩として野球の存在がありますが、プロ野球との共存についてはどう考えていますか?

鈴木チェアマン(以下鈴木C):もちろん、野球が日本のプロスポーツの先輩として、果たしてきた役割は大きいということは認めます。日本のサッカーが野球に及んでいないもっとも大きな要素は、もちろん「歴史」でしょう。野球というのは3代、ファンが続いて存在しているんですね。おじいちゃんと、お父さんと、そして孫という、世代を通して野球を楽しめる環境にあるわけです。
 私は、真のサポーターを作るには、3代続けていく必要があると思っています。結論としては「継続して、しっかりと歴史を作る」ということが最も大切なことで、自らの足元をしっかり見ていく、ということになると考えています。
 ただ、私の個人的な体験と思いを申しますと、サッカーというスポーツが社会や、人々の生活に与えるインパクト、影響というのは、野球とは違うものではないかと思っています。どちらがいいとかということではなくてですね。プロ野球のある地域には、サッカーが入りにくい、という声を聞くんですが、一概にそういうものではないと思いますね。
 欧州では、生活のリズムに入り込んでいくのがサッカーなんですね。リーグ戦は2週間に1回ホームの試合がある。この長さは、お祭りを常にやっている長さになるんですよ。祭りが近づいてきて、徐々に盛り上がってきて、最高潮に達して、心地よい虚脱感がきて、また祭りが徐々に近くにやってくる。この繰り返しのリズムなんです。だからサッカーが普段の生活の中心になって、サッカーを軸に生活が回っている、という感じなんです。
私が見てきた鹿島などでも、こうしたリズムが町の中に存在しているな、と感じることが増えてきました。
 野球は試合数がとても多い。そのため「祭り」がずっと続く、というリズムにはならない。ということは、ぶつかりあうという性質のものではないんじゃないでしょうか。そういうスタンスで、私は考えていこうと思ってます。


−日本のリーグ戦は、初春に始まり初冬に終わります。秋に始まり翌年の初夏に終わる欧州などとスケジュールを合わせた方がいいという意見もありますが?

鈴木C:FIFAのブラッター会長などは、今の日本の方法のほうがいいとも言ってます。
現在のJリーグのスケジュールではシーズンの真ん中、つまり第1と第2ステージの間に欧州の移籍シーズンにぶつかり、前半と後半でチーム体制が変わる可能性が大きい、という状況ですね。
これを「変わってしまう」とするのか、「変えられる」とするのかはチームによって違うのかなとは思いますが、今の段階でスケジュールについては大きなマイナスは感じていません。


−現在はJ1が年間30試合、J2が年間44試合でJ2のほうが試合数が多い。
権威として上のJ1の方が試合数が少ないというのはおかしいのでは?


鈴木C:これはもう、日程の問題が非常に大きいんです。
Jリーグは10チームでスタートして今J1が16チームあるわけですけど、12チームの時が一番よかったんですよ。1ステージホームアンドアウェーにして22試合。2ステージ制で年間44試合。これは今のJ2の試合数と同じだし、先ほど申し上げた理想の試合数(50試合)に近い。クラブ経営上にも、ステージの長さとしても、一番バランスがよかったんです。今の16チームでは、1ステージ15試合というのが限界なんですね。
 じゃあJ1のチームを減らせばいいじゃないか、というと、それもまた問題があるんです。現状を見れば、それは12チームがいい。でも、16チームになって、日本のさまざまな地域で、「サッカーによる地域の活性化」の種が蒔かれ、育ってきているところです。チーム数を減らすというのは、その芽を摘んでしまう、ということになります。
16というのはそうした、全国にJリーグの理念を根付かせていくということを考えた上で必要な数字で、将来的なことを考えたら、12では少ないんですね。
 今は12がいい、でも将来的には16がいい。どっちをとるか、ということになっていくんですが、そこで考えなくてはいけないのが「100年構想」というものなんです。あくまで見据えているのはずっと先である、ということなんです。
その視点は、これからも変えずにいきたいと思っています。







1935年(昭和10年)12月15日生 兵庫県神戸市出身
1954年3月
1955年4月
1959年3月
1959年4月
1974年4月
六甲学院高等学校 卒業
東京大学法学部  入学
東京大学法学部 卒業
住友金属工業株式会社 入社
住友金属工業株式会社 鹿島製鉄所 業務部運輸課長
 その後本社勤務を経て
1987年7月
住友金属工業株式会社 鹿島製鉄所 副所長
 ※ 1987年〜1988年 住友金属工業蹴球団 団長
1994年6月

2000年6月
2002年7月23日
株式会社鹿島アントラーズFC 代表取締役社長
社団法人日本プロサッカーリーグ 理事
株式会社鹿島アントラーズFC 特別顧問
社団法人 日本プロサッカーリーグチェアマンに就任




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