アナウンサーブログ

佐藤啓

三沢淳さんの訃報に接して

元ドラゴンズ投手・三沢淳さんが亡くなりました。プロ通算107勝を挙げたアンダースローの投手。引退後は中京テレビの野球解説者となり、明るいキャラクターで番組を盛り上げてくださいました。スタッフやアナウンサーに優しく、放送後の宴席では三沢さんの笑い声が絶えませんでした。

かつて当社は東京ドームの巨人中日戦の中継で、副音声の「ドラゴンズ応援放送」を東海三県に向けて放送していました。解説者とアナウンサーの「ドラゴンズ一辺倒」のトークにゲストも加わって東京ドームの放送席から好き放題しゃべりまくる破天荒な生放送。

1990年6月10日、私がアナウンサーになって初めての出演した番組が三沢さんとの「応援放送」でした。背筋がつるほどの緊張の中、三沢さんがデビュー戦の私をアシストしてくださりドラゴンズも満塁ホームランで逆転勝ち。無事アナウンサーとしての第一歩を踏み出すことができました。

「ズームイン!!朝!」の人気コーナーだった「プロ野球いれコミ情報」でも三沢さんとのコンビで、朝の7時15分頃、前日のドラゴンズの勝敗に一喜一憂していました。負け試合の翌朝は極端に登場時間が削られるシビアなコーナーは、系列各局が「おらがチーム」を身びいきする真剣勝負でした。あるとき、東京駅の新幹線ホームを三沢さんと歩いていると小学生から「あっ!中日の応援団だ」と言われたことがありました。全国の視聴者の皆さんにはそんなイメージだったのでしょう。元エースは苦笑いしていました。

現役時代の苦労もそのほとんどを笑い話にしてくれた三沢さんですが、1981年、開幕投手に指名され後楽園の巨人戦に登板したときの話は力がこもっていました。

「初めての開幕投手だったが、巨人にはルーキーの原辰徳がいた。話題の新人には絶対に打たれまいと気合いが入った。初対戦はセカンドフライ」と懐かしそうでした。

 1996年の春、三沢さんは珍しく無口でした。出張先の広島のホテルで部屋に呼ばれ「選挙に出ることになった」と告げられ仰天。突然の「コンビ解散」は若造だった私にとって痛恨でした。三沢さんが国会議員になられてからはなかなか会えませんでした。

三沢さんとの仕事には楽しい思い出しかありません。駆け出しの頃、おっかなびっくりで放送に臨んでいた私をいつも笑顔で元気づけてくださいました。

三沢淳さん、ありがとうございました。

カテゴリー

アーカイブ