いつだって猫展

みどころ

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    • 嘉永5年(1852)、江戸で「丸〆猫(まるしめのねこ)」「招き猫」と呼ばれる今戸焼の土人形が招福のシンボルとして流行しました。残念ながらこの「丸〆猫」ブームは4,5年で終息したようです。しかし、その後も招き猫は全国各地に拡がって制作され続け、さまざまなバリエーションが生み出されました。招き猫の根強い人気は現代へも連綿とつながっており、私たちの住む町のあちこちで、あの福福しい姿を目にすることができます。

      この章では、嘉永の招き猫ブームにまつわる資料に加え、明治以後に続々と誕生した日本全国の招き猫たちが大集合します。

「丸〆猫」 嘉永5~安政6年(1852-59)頃 新宿区教育委員会蔵

江戸にあった尾張藩川田久保屋敷から出土。
嘉永5年ブーム時のものと同定できる資料。

歌川広重「浄るり町繁花の図(せうちう屋ほか)」 嘉永5年(1852) 個人蔵

浄瑠璃の登場人物を物売りに見立てたもの。それぞれ物語に関連の深い物を販売している。画面左上では西行が娘(花魁)に「丸〆猫」を販売中。

『まねき猫狂/教説』 安政7年(文久・1860)2月11日付 名古屋市博物館蔵

江戸の招き猫ブームの情報が地方にも伝播していたことが分かる資料。