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【吉見×岩瀬】ドラゴンズ黄金期の「エース」と「クローザー」が初対談!引退までの葛藤・現在の心境を本音で語る

報道局・スポーツ
スポーツ 特集 2020/12/17 16:00

 今年、惜しまれつつ引退したドラゴンズのエース・吉見一起さんと、伝説のクローザー・岩瀬仁紀さんが、引退後初対談。引退決断の裏にあった葛藤や、吉見さんを真のエースにさせた岩瀬さんの言葉など…チームの黄金期を築いた2人の大投手が本音で語り合った。(「スポーツスタジアム☆魂」12月6日放送分より)

 

 吉見一起。針の穴を通すようなコントロールから「精密機械」と呼ばれたドラゴンズのエース。けがに苦しみながらも、不屈の魂で何度も復活。しかし今年、ユニフォームを脱ぐ決断をした。


 

岩瀬:「引退して少し時間がたったけど、いまはどんな心境?」
吉見:「最後、引退登板をしたあと2~3日は、体を動かした方がいいのかなと思ったんですけど。ただ、それを過ぎると、もう野球をやらなくていい、という思いになったので、何もしていなくて…。ただ、頭の中が空っぽになったな、と。それだけ野球のことを考えていたのかな、と自分なりに思っています。岩瀬さんはいつ引退を実感しましたか?」
岩瀬:「辞めてから野球の夢をよくみるようになった」
吉見:「僕まだですね~」
岩瀬:「やってるときは、野球の夢は見なかった、逆に」
吉見:「(野球)やりたがっているんじゃないですか?」
岩瀬:「きのうも(夢で)入団テスト受けてたもん(笑)。『うそでしょ!?』って思って…夢の中で野球でうなされるっていうね(笑)」

 京都府福知山市出身の吉見。野球を始めたのは小学2年生。高校時代、エースとして甲子園に出場したが、ドラフトにかかることはなかった。転機はトヨタ自動車時代。社会人ナンバーワン投手となった吉見は、ドラゴンズに希望枠で入団することになった。

吉見の野球人生を変えた岩瀬の一言

岩瀬:「俺が試合終わってから注意したのは覚えてる?」
吉見:「はい。覚えています。あれははっきり覚えています」

 

 2009年クライマックスシリーズ。第2ステージの3戦目。先発した吉見の“ある行動”が、岩瀬の目に留まった。

 6回、二者連続ホームランを許し同点に。すると吉見は、ショックを隠すことなく、手を膝につき、うなだれた。

 この姿を見た岩瀬は、試合後、吉見に声をかけたという。

岩瀬:「吉見だから注意した。チームの柱になる選手が相手に弱みを見せてはいけない。自分がそういうふうに育ってきたから、いけないなと思って声をかけたんだけど」
吉見:「『吉見は顔に出しちゃいけない』と言われたことを覚えています」
岩瀬:「気合で抑えるピッチャーなのか、自然体で抑えるピッチャーなのか。ピッチャーは“静”と“動”の2つに分かれる。吉見の場合は、どちらかというと黙々と淡々と抑えていくタイプだと思ったし、ああいった姿は見せちゃいけないって思ったので。あれ以降はそういった姿を全く見せなかったから、聞いてくれてたんだなと」
吉見:「野球をやっていく上で、膝に手をつくことはやめようと決めた日です」

 打たれても、抑えても、ポーカーフェイス。岩瀬の一言が、吉見を真のエースへと成長させた。

2011年球団初のセ・リーグ連覇

 2011年。ドラゴンズは球団史上初となるセ・リーグ2連覇を達成。吉見は18勝を挙げ、2度目の最多勝に輝いた。


 

岩瀬:「エースに育ったなと思って見ていた」
吉見:「『勝てる』ということが一番、先発としてやりがいがあるので。チームも勝つし、自分も勝てるし、楽しかった思い出の方が多いですね」

 

 ここで2人は“もし生まれ変わるなら、「先発」か「抑え」どちらが良いか”という話題に…。

 
吉見:「僕は、抑えは絶対したくないです。あんないろいろな責任を負う場所は、大変そうだったので、絶対したくないですね。先発がいいです」
岩瀬:「もう一度、野球をやりたいと思わない。とにかくピッチャーはもう嫌だね(笑)」
吉見:「岩瀬さんはバッティングがいいから、そっちの道もあるんで」
岩瀬:「バッターはやりたい(笑)」

2013年~2015年 同じ時期に送ったリハビリ生活

 2012年まで、5年連続2桁勝利を達成した吉見に悪夢が襲った。右肘を故障し手術。満足に投げることができない日々が続いた。

 一方、岩瀬も同時期に肘を故障。2軍でリハビリをする日々が続いていた。


 

岩瀬:「僕が投げられなくなったのが2014年夏以降。ちょうど吉見が二軍にいたときだった。『どうやったら投げられるんだろう』という話はけっこうしたよね。『どこの治療院がいい?』とかね」
吉見:「ここがいいよ、とか、紹介してもらいましたね」
岩瀬:「(治療院を)紹介したり、紹介してもらったり。同じところ行ったりしていた時期もあったな」
吉見:「自分はもっと早く引退してもおかしくないな、って思っていました。この辺りから、頭で思い描いていることが表現できなくなってきて」
岩瀬:「自分のイメージ通り体が動かないっていう?」
吉見:「正直、トミー・ジョン手術(損傷した肘の内側の靱帯(じんたい)を再建する手術。吉見は2013年に右肘に受けた)をしたときに、『もうダメだ、これは』と思いました。指は曲がるんですけど、鈍い。今もそうなんですけど…」
岩瀬:「やっぱりまっすぐのスピードだよね」
吉見:「そうですね」
岩瀬:「まっすぐのスピードが落ちた頃から、もともと、コントロールがよかったんだけど、それ以上を求めだしたでしょ?」
吉見:「そうです」
岩瀬:「ということは、大胆にいけないから繊細にならないといけない。繊細にならないといけないと思った時点で、自分のピッチングを失っている。すごく苦しいピッチングをしているな、っていう印象があったかな」

引退決断の裏にあった葛藤

 引退会見で「幸せな15年間だった」と語った吉見。だが、その陰には、複雑な思いもあったという。


 

吉見:「今年が一番、ストレスがたまるシーズンでした」
岩瀬:「一年間、けがなく投げているわけだし…」
吉見:「自分の中で感じがよかったんです。スピード感とかではなく、変化球にしても投げている感覚がよかったので…。それでこの結果で」    

 2軍でチームトップの5勝という結果を出しても1軍に上がれない。そんな日々を過ごすうちに、それまで感じたことがない思いが沸き上がったという。

吉見:「その頃から、野球の世界では当たり前なのかもしれないですけど、1軍で投げているピッチャーが『打たれろ』と思ってしまう自分が出てきてしまって…。僕はそれが嫌なんです。他人のことを気にするっていうのが…」
岩瀬:「結論としては、必要とされているかいないか、という思いが一番強いと思う。俺も結局、辞めるときっていうのは、どれだけ結果を出しても、抑えに回してくれなかった、っていう思いがあった」
吉見:「僕が最後、感じたのは、『もう自分いらないんだな』って思ってしまったんです。そこで一気に気持ちが落ちましたね、正直。本当は、まだ野球やりたかったです。僕は」
岩瀬:「でしょうね」
吉見:「はい」
岩瀬:「それは存分に感じていますよ」
吉見:「まぁ、でも客観的にみて、2021年、契約してもらえたとしても、同じことを繰り返すだろうなと。まぁ、未来のことなのでわからないですけど、自分の中で判断して。だったら、野球やりたいけど、まったく新しい道に進もうかな、と決めたのが、10月29日、30日あたりですね」

新たな夢へ

 心残りがないと言えば、嘘になる。それでも吉見は、すでに先を見据えている。


 

吉見:「今まで野球しかしてこなかった。自分のことだけ考えてやってきたので、野球を一度、外から見たいなと思っています。それがプロ野球だけじゃなくて、アマチュアとか、高校野球とか。裏から野球を見てみたいなっていうのを現状考えています。野球を教えることは、一度はしてみたいな、と思っていますね」

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