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スーパー住職の生涯 炊き出し続けて11年 闘病中も人の心配ばかり…人の優しさ忘れない住職が残した“最期のメッセージ”

報道局
愛知 特集 2022/03/10 18:55

愛知県岡崎市にある松樹寺の住職・伊藤三学さん。スーパーマンのTシャツに“はだし”という姿で、生活困窮者たちへの炊き出しを、雨の日も風の日も11年以上、続けてきました。しかし、突如、病魔に襲われ、闘病の末、76歳の生涯を閉じました。三学さんがこれまで続けてきた炊き出しは、どうなってしまうのでしょうか。

炊き出し続けて11年“はだしのスーパーマン” 人生変わった人も

伊藤三学さんと出会ったのは去年4月。

この日、三学さんは、岡崎市の駅前で、生活困窮者たちへの炊き出しをしていました。

炊き出しの合間には、ほうきとちり取りを手に、駅周辺の掃除もします。


三学さんの本業は住職で、岡崎市の山間にある松樹寺で、30年ほど前から住職を務めています。

毎朝午前3時に起きて炊き出しのための雑炊をつくり、午前6時を告げる鐘の音をきっかけに、雑炊の鍋を車に積み込み、駅へと向かいます。

「待っててくださる方がいらっしゃるとね、僕も体が動いていきます。ありがたいっていうのかね、私の生きがいでもあります」(伊藤三学 住職)


岐阜県郡上市で生まれた三学さん。東京の大学へ進学し、プロの画家を目指しましたが断念。23歳の時、岡崎の石材店に就職。しかし、40歳になって大きく人生が変わる出来事がありました。

「最初の子が6か月になるちょっと前に亡くなったんです。その供養を考えたときに、僕がお寺さんの修行をさせていただければ、それが供養かなと思ってね」(三学 住職)

亡くなったわが子を供養するため、仏門に入りました。


炊き出しを始めたのは、リーマン・ショック後の2009年。当時、岡崎駅周辺には職にあぶれ、家のない人たちがたむろしていたといいます。そんな生活困窮者を何とか救えないかと始めたのが、炊き出しでした。

炊き出しだけでなく、命をつなぐためにお金を工面してあげることも。また、働く場所もなく、生活に困っている人を連れて市役所の福祉課へ出向き、生活保護を受けられるよう、保証人にもなりました。


愛知県蒲郡市にある介護施設「四季彩の郷 新葵荘」で働く小野寺さん。仕事を辞めて寝る所がなくなり、3か月ほど路上生活をしていたとき、炊き出しをしている三学さんと出会いました。

「ちょうど、朝だったんですけども、三学さんの方に『仕事したいんですが、どこかありますか』と聞いたら、『介護の仕事があるよ』って言われて。命の恩人ですね」(小野寺初男さん)

三学さんの紹介で、仕事と住まいを保証されたひとりです。


小野寺さんたちが務める介護施設を運営する代表・牧沢大和さん。自身もお寺の副住職をしていて、三学さんとは10年来の付き合いがある間柄です。

「(炊き出しは)三学さん自身の正義でやっていることですから、あればっかりは、私は頭が上がらない部分なんでね」(牧沢大和さん)

 

体調の異変 途絶えかけた支援に…仲間の善意の輪広がる

いつもどんな時でも、「弱きものを助ける」という信念を持ち続けている三学さん。ところが、去年5月ごろから、体調の異変を訴えていました。

この頃から、炊き出しを終えて帰る途中に、必ず立ち寄るところがありました。

線香とろうそくを手にして向かった先は、滝。

念仏を唱えながら、ふんどし一丁になると勢いよく滝つぼへと泳いでいきます。何度も何度も繰り返し、自らの迷いを振り払うかのような険しい形相になっていました。

「滝に入ることは、そんな重要ということではなくて、やっぱり祈りですね、祈り」(三学 住職)


三学さんは病院で検査をしてもらっていました。病名は「食道がん」。

「お医者さんが一番勧めるのは、手術ということですね。結構大掛かりな手術になりそうです」(三学 住職)


若いころ、画家を目指していた三学さんが、久しぶりに描いていたのは富士山でした。

「富士山を描かせてもらうと気持ちがね、大変安らぐっていうのかね。まだ僕、しばらく富士山を描き続けて、生かしてもらいたい」(三学 住職)


年の瀬も迫った12月半ば。午前7時、いつも通り、炊き出しにやって来た三学さんは、あたたかいダウンを着ていました。

「僕は、体が寒いってことは真冬でも感じなかったんですけどね。これやっぱり病気のせいだね」(三学 住職)

この日は、いつもの炊き出しとは違い、保存がきくパックごはんも配られました。

実は、この日から病院に入院して治療することになっていたのです。この時、食道がんの腫瘍は大きくなり、心臓に近いため手術ができない状態に。そこで抗がん剤治療を行うことになりました。


三学さんが入院の間、11年以上続いた炊き出しはどうなってしまうのでしょうか。

引き継いだのは、住職仲間の牧沢さんでした。三学さんが退院した翌日から、炊き出しを待つ人を車に乗せ、お寺で炊き出しを始めたのです。

「私は私ならではのやり方で、やっていこうかなというふうに思っています」(牧沢大和さん)

これに、三学さんは「若い人にね、引き継いでもらわないと続かないと思っていたところだから、本当に良かったと思っております」と話していました。

人の優しさを忘れない住職が残した“最期のメッセージ”

体力を使う抗がん剤治療のあと、放射線の治療を続けていた三学さん。年が明けてからは自宅で療養する日々が続いていましたが、3月、76歳の生涯を閉じたのです。

葬儀には、三学さんを慕う人たちが次々と訪れました。

炊き出しを引き継いだ牧沢さんも最後のお別れに。

「この縁がなかったら、多分私も炊き出しをやろうとは思わなかったですし、その路上の方たちをヘルパーにしようという考えの発想もなかったもんですから、そういう点では三学さんには感謝しかないですよね」(牧沢さん)


そして、最後のお別れ。迎えに来たのは、大学病院が手配をした車。

実は、三学さんのたっての希望で、献体することになっていたのです。医学に役立ててほしいと、自らの体を提供すると決めていたのです。


1月に生まれた孫の陽音ちゃんに、ベッドで会えた三学さんは「かわいいね」と笑顔を見せ、その夜、息を引き取りました。

「じいじが待っとってくれたからね。あんたの力で、おじいじ、頑張っとったよって」(小坂淳子さん)


車に近寄り、そっと手を添える奥さんの文子さん。

世のため、人のためにと生きてきた、三学さんらしいお別れとなりました。

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