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【戦後75年特集】毎日のように目の当たりにした“死”と、その末に出会った“生” 従軍看護師から助産師へ ある女性の生き様

報道局

 75年前、戦場にいた女性はいま、96歳の現役助産師。令和の時代に生まれ来る命をいま、特別な思いで見つめています。夏が来るたびに彼女が思い出すのは、忘れられない、あの日。

「戦争とは地獄だ。食うか食われるか。死ぬか生きるか」

 戦後75年。戦争を乗り越え、大正から令和まで4つの時代を生き抜いた女性たち。元従軍看護師の多くが亡くなっていき、あのときを証言できる存在は、極めて少なくなっています。

 男だけの戦いではなかった、戦争。死と隣り合わせの経験をした女性たちが、そこにはいたのです。

 

「一番美人に撮って」「若い男性のうなじを見るのが好き」

 とにかくおしゃべりが大好きなこの女性。愛知県岡崎市で60年以上、助産院を開き、母乳診療を現役で続ける大橋縁(ちなみ)さん、96歳です。人呼んで、“おっぱい先生”。前の通り、多くの人との“縁”をもつ激動の人生でした。


 大正13年に生まれた大橋さん。

 日赤の看護師養成所で学び、兵士の治療をする従軍看護師として召集されたのは、19歳のときでした。

Q.召集がかかったときの気持ちは
「うれしかったです。天にも昇るくらい、うれしかったです。お国のために、傷病兵の看護に行くなら最高じゃないって」(大橋さん)

 “男と同じように国の役に立ちたい”。父親の反対を押し切り、第二次世界大戦末期の1944年(昭和19年)、従軍看護師として中国・北京の陸軍病院にわたり、8000人の兵士を看病。多くの死を目の当たりにしました。

「うじがわいて、ハエがたかって。残酷な(状態の)傷病兵ばかりでね。本当にかわいそう。看護師さんって呼ばれるうちはいいの。だんだん声が小さくなるの」(大橋さん)

 十分な看護ができず、無力感とたたかう日々。息絶える兵士を何人も何人も看取りました。母の名を呼び続ける患者に、こんな言葉をかけたことも。

「(母の)代わりをして、ぎゅっと抱きしめて“一緒に帰ろう、迎えに来たよ”って言うの。すると一瞬ね、ニコって。家族を思い出すんでしょう」(大橋さん)

 

 そして、終戦から1年後、ようやくお国に帰れると、やっとのことで乗り込んだ引き揚げ船で遭遇した“ある出会い”が、人生を変えました。

「『看護師さん、誰かおらんかね~、赤ん坊が生まれそうです』って、大きな声で叫ばれたんです」
「元気のいい声で、あったかい赤ちゃんを抱いた。すばらしいなぁ、あの感触は忘れない」(大橋さん)

 産声をあげたのは、元気な男の子。戦地で毎日のように目の当たりにした“死”。その末に巡ってきた、“生”と対面する奇跡。その経験がいまも、大橋さんのなかに宿っています。

 

 31歳で助産院を立ち上げた大橋さん。半世紀以上のあいだに取り上げた命は4000人以上。自身は子宝に恵まれませんでしたが、若い世代に寄り添い続けています。

「精いっぱい大切にして、精いっぱい抱っこして、精いっぱいおっぱいを吸わせてください」(大橋さんの母親への言葉)

  

 日々、命の重みを痛感するからこそ、伝えたい思いがあります。しかし。

「戦争のときの残酷なところを見てきたから、(新米の)お母さんたちや子どもに書き残したいと思って言ったら、“私らは戦争のことなんて分からんもん”って」(大橋さん)

 後世に伝える難しさがありました。それでも、大橋さんは言葉を継ぎます。

「戦争とは地獄。食うか食われるか、死ぬか生きるか。殺すか殺されるか。そういう惨めな思いをするような社会を残してはいけない」(大橋さん)

 従軍看護師として、そして助産師として、命の尊さをかみしめてきたからの言葉。私たちは、次の世代につないでいけるのでしょうか?
 

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