「私服通学も可能に」 岐阜の高校が100年続いた伝統を廃止し“自由化”に 「セーラー服を制服に」 実は愛知県にルーツが!?
岐阜県にある高校が、約100年間続いた“制服だけでの通学”を廃止し、制服か私服かのいずれかでの通学を選択できるようになりました。これには、新型コロナに関係が…。
女子生徒に今も人気の“セーラーカラーの制服”。実は、そのルーツは愛知県にあったんです。
岐阜県立加納高校。約100年間、変わらなかった制服だけでの通学を廃止。約2年前から、制服と私服のいずれかでの通学を選択できるようになったんです。
午前8時、登校の様子を見ているとー。
制服姿の学生もいれば、普段着に近い格好で登校する生徒も。
生徒のみなさんに聞いてみるとー。
学生服の男子生徒「8:2ぐらいで、私服の方が多いんじゃないかな」
私服の女子生徒「ジャージの方が楽なので」
私服の女子生徒「部活のある日は私服で来たりとかして、そのまま部活にダッといけるようにしてる」
伝統校が、服装の自由化に至った背景には、新型コロナウイルスに関係がー。
コロナの影響で、頻繁に洗濯しない制服の衛生面が課題となり、学校は、暫定的に、私服着用も認めることにしたのです。
そして、今後の服装についてどうするか、生徒会が中心となって生徒にアンケートを実施したところ、約95%が、制服と私服の選択制を希望する結果に。
そして2月、校則自体が改定され、コロナに関係なく、服装の自由化が正式に決まったのです。
「昔から受け継がれてきた伝統を守っていくのも大切なんですけど、それだけじゃなくて、今の時代に合わせた変化も必要だと思う」
「今回の服装の校則の改定は、制服について見直す、いい機会になったんじゃないかなと思う」(岐阜県立加納高校 生徒会メンバー)
時代に合わせ、変化する制服のあり方。そもそも、学校の制服はなぜ、今の形になったのでしょうか。
専門家に聞いてみると、意外な事実がわかりました。
「実は、セーラー服が日本で最初に作られたのは(制服にした学校は)、愛知県にあります」(制服の歴史に詳しい 日本大学 刑部芳則 准教授)
その学校とは、創立約130年を誇る、名古屋市の金城学院。
金城学院がセーラー服を制服としたのは1921年。形はほぼ同じですが、スカートは、当時主流だった袴(はかま)のような仕様になっているなど、今とは違う点も。
「(当時セーラー服は)画期的な動きやすい服装ということ、宣教師のお嬢さんが着てらっしゃった服をモデルにしたということで、大変ハイカラな感じだったんじゃないかな」(金城学院中学・高校 長屋頼子 校長)
当時、他にも、ジャンパースカートや、今では見かけない独特なデザインの制服も多くあったそうですがー。
「生徒側、保護者側、学校側っていう、3つのそれぞれのメリットがあることによって、他の制服のデザインと違って、セーラー服が普及していく。一石三鳥ですね」(日本大学 刑部 准教授)
セーラー服が制服として広がった、3つのメリットとはー。
メリットその1 「家計に優しい低価格」(保護者側目線)
セーラー服と他の服装を、現在の価格にして比べてみると、和服が約36万円に対し、セーラー服は6万円ほど。約6分の1の値段で経済的だったのです。
メリットその2 「作って学べる 簡単な構造」(学校側目線)
昔は服を自分で作ることが多く、平面的な構造で他の服よりも作りやすかったセーラー服。当時は授業として生徒にセーラー服を作らせる学校も珍しくなく、洋裁を学ぶ機会にもなったそうです。
メリットその3 「かわいらしいデザイン」(生徒側目線)
セーラー服のデザインが、生徒自身に着たいと思わせる魅力を持っていたのです。
ちなみに、詰め襟の男子の学生服は、セーラー服よりも古い1886年に、東京大学が制服としたのが最初だそうです。
「制服には、それぞれの歴史があって、単に制服なんだっていうふうに思わないで、その背景にあるところを、皆さんに興味関心を持ってもらって、もう一回見直していただけたらな」(日本大学 刑部 准教授)