プロジェクトストーリー

14年ぶりの全国ゴールデン番組ヒューマングルメンタリー オモウマい店

1994年にスタートしたローカル情報番組「PS」シリーズ。番組名や放送日時を変えながら、現在も絶賛放送中だ。その人気から、2019年中京テレビ開局50周年の節目に「全日本びっくり仰店グランプリ」という番組名で、全国ネットのゴールデン特番を2回にわたって放送したところ、評判は上々!ついに2021年4月より「ヒューマングルメンタリー オモウマい店」となって、全国ネットでのレギュラー化が決定!!!現在も全国にファンが急増中だ。入社3年目にしてディレクターとなった奥山と山口、そしてプロデューサーの笠井の3名が、中京テレビの名を全国に広めた番組の裏側を語る。

TALK MEMBERTALK MEMBERTALK MEMBER

TALK MEMBER

奥山 寛也

コンテンツ制作局
2019年入社

山口 陽常

コンテンツ制作局
2019年入社

笠井 知己

コンテンツ制作局
2005年入社

全国区のゴールデンタイムの
番組になっても、
変わらず伝え続ける
出会いのおもしろさ。

笠井

27年も続いている、中京テレビを代表する番組と言ってもいい「PS」シリーズですが、その人気は安定しており、ゴールデン枠に移っても変わらず高視聴率でした。全国ネットとなったきっかけは、2019年8月の特番「全日本びっくり仰店グランプリ」。ゴールデンの2時間番組で結果を出すと、翌年5月に2回目の特番が決まりました。ちょうどコロナ禍で在宅が多かったこともあって、世帯視聴率では15%超えという成績に。そして2021年4月から、中京テレビとしては14年ぶりの全国ゴールデンのレギュラー番組「ヒューマングルメンタリー オモウマい店」を立ち上げることになりました。私はプロデューサーとして番組全体の統括をしています。「PS純金」で5年間ディレクターとしてやってきた中で大事にしてきた、店主の生き様や、目で見てわかりやすいサービスなど、番組の軸や見せ方などはそのまま踏襲しました。

奥山

ローカルの時と変わらず、お客さんとして店主に会いに行く、というスタンスはまったく変わっていません。

山口

いい意味でテレビっぽくならないように意識して、人と人との関係性を大事にしていますね。それがこの番組らしさでもあるので。

奥山

「オモウマい店」の取材も「PS純金」と同じスタイルでやっていますが、東京のスタッフからやり方を教えてほしいと言われて、一緒に同行することもあります。この取材では、とにかく“ずっと”カメラを回すんです。何が起きても大丈夫なように。それに驚かれますね。どれだけ回すんだ!って。

山口

はじめは SNSやブログなどで店の情報を収集するんですが、ある程度情報を得たら全国に飛び出します!あとは自分の足でネタを探すんです。歩いていると、道中で何かを発見することもありますし、一人の“お客”としての驚きも大事にしたいですし。

笠井

「PS純金」では当たり前のようにやってきたことなんですよね。取材といえば、電話でアポ入れしてから行くのが普通なんですが、この番組では、最初に顔を見た時のリアクションが重要なんです。だから敢えてふらりと店を訪れる。そして後で身分を明かす。もちろんカメラは回っているんですけどね。そしてここでも敢えて「“名古屋”の中京テレビです」と名乗る。中京テレビというテレビ局自体は、知らない人が多かったんですが、「名古屋からわざわざ!」と受け入れてもらえるんですよ。

奥山

全国ネットで視聴率が上がってくると、番組も周知されてきて、取材先でも「あーあの番組ね」と言ってもらえることも多くなりました。ただ、昨年は飲食店を取り巻く状況が大変でしたから、なかなか店に行くこと自体が難しかった。そうなると、もう人として信頼してもらえるかどうかなんです。私は相手の目を真剣に見て、こちらの想いを伝えることを大事にしてきました。

山口

奥山君のそのガッツが、みんなに愛されるんですよね。私の場合は、とにかく相手の話を聞くことに徹しました。そして言葉数は少なく聞きたいことを聞き出す。それぞれのスタイルで信頼関係を築いていきましたね。

入社3年目で
ディレクターに大抜擢。
不安とワクワクが
行ったり来たり。

笠井

取材という構えた感じではなく、会いたい人に会いに行って、たまたまそこにカメラがあった。そんな感覚ですね。ただ入社2年目で特番を任せ、3年目で全国ネットの特番のディレクターに2人を指名したけど、不安もあったかな?

山口

特番の1回目は奥山と一緒にアシスタントディレクターとして、笠井さんをはじめとしたディレクター陣の取材に対する姿勢や編集の様子は見ていました。ただ実際「オモウマい店」の初回放送からディレクターになると、リサーチや取材、編集のすべてをやらなければならず、もっとも経験が浅いディレクターでしたので、がむしゃらに「お店を見つけて取材するぞ!」ということだけ考えていましたね。まだまだディレクター業務を始めたばかりでしたから、ディレクターとして参加できることは嬉しかった反面、本当に自分が全国ゴールデンの番組のVTRを作れるのか…という不安はとても大きかったですね。

奥山

私はもともと報道志望で、制作には向いていないと思っていたので、最初は不安しかなかったんです。それがPS純金から関わることになり、2回目の特番でアシスタントディレクターになると、会社の人はもちろん、友人の間でもものすごく反響があって。ここまで影響力があるということに驚いたと同時に、それがモチベーションになって、もっと頑張ろう!と思えるようになりました。いい意味で裏切られてよかったと。

笠井

「PS純金」や特番では、自分でリサーチをして、カメラを持って店主と信頼関係を築き、取材をして編集もしてきた。これで2人はものすごく力がついた。テレビマンとしての基礎体力がついたんですよ。ここが全国に向けての修行の場になりましたね。
番組自体に関しては、この半年で全国的に知られるようになりました。放送日である火曜日に、Xで「“オモウマい店”があるから1日頑張ろう!」という投稿を見ることもあって。視聴者の生活に彩りを提供できているんだと思うとやっぱり嬉しいです。

奥山

本当にそうなんです。嬉しいですし楽しい!それだけに、他のスタッフのVTRを見ると自分はまだまだだと落ち込むことも多いんです。言葉の引き出し方などみんな上手なんですよね。“店主のこのひと言”が、まだまだ自分は引き出せていない。もっともっとおもしろいものを作りたいです。

山口

私も同じですよ!「オモウマい店」といえば名物店主!もっともっとおもしろい店主を発掘したい!それしかないですね。

笠井

入社してから、自分でも随分変わったと思うことが多いのでは?

山口

これまではどちらかというと、自分を出したいという思いの方が強かったんですが、相手の話を聞く機会が増えたことで、自分を俯瞰して見られるようになった気がします。コミュニケーションの大事さを痛感したんです。自分がおもしろいと思うことを作るのではなく、人と一緒におもしろさを共感して作るということの大事さも学びました。自己満足のおもしろさではなくて…。

奥山

私はもともと番組制作にはそれほど興味がなくて、ましてやおもしろいものを作りたいということも考えたことはありませんでした。いわばゼロからバラエティを作ることになり、自分がやりたいことをやるというより、何でも吸収できる人間になろう!と、受け皿を広げることを意識するように変わりました。

若手でも番組が作れる!
チャレンジできる環境が
モチベーションに

笠井

奥山君は、1年目で通した企画がありましたよね。あれはよかった!

奥山

名古屋にいる外国人が、お酒のシメに何を食べているか、というものを追いかける番組でした。

笠井

1年目で番組を一から作って、やり遂げたということ自体がまずすごい!番組には作り手の生き方や“品格” が表れるんです。その点で、外国人に巻き込まれていった奥山君の優しさや人柄がうまく炙り出されて、共感を呼んだのだと思います。
山口君も最近、いい番組を作りましたよね。

山口

深夜番組でしたが、企画が通って、後輩と二人で作りました。スタジオに芸人さんを呼んで進行する番組でしたが、どんなところがおもしろいのか、そのポイントに気づくための力を培うことができたと思っています。

笠井

芸人のネタ番組だけど、企画としてエッジが立っていた。何度も企画書を書いてもらいましたが、その過程でおもしろい軸に辿り着いたんですよね。軸を見つけるという考え方は、「オモウマい店」の経験が生かされていたと思います。これもよくできた番組でした。

奥山

1年目から番組を作らせてもらえるなんて、他局ではないですからね。今の「オモウマい店」でも、やりたいことはどんどん提案しています。この番組では、とんでもなく感動的な出会いが待っているので、ワクワクの毎日です。

山口

中京テレビらしさみたいなものが、番組のカラーに色濃く出ていると思います。ウエットな会社というか(笑)。人間くさい。そしてものづくりへの執念みたいなものが、ものすごい人が多いんですよね。

笠井

私は先輩から、中京テレビのものを作ることへの執念は、どこにも負けない!小さくても光る制作力が最大の強み!と教えられてきました。その強みがある意味全国で認められたのが「オモウマい店」です。全国に向けて、名古屋のスタッフが名古屋で作っているということが、どれだけ大きなことか。名古屋の我々の感覚が、全国に伝わっていくのは誇らしいです。

奥山

14年ぶりの全国ゴールデンですもんね。そんなすごい番組をやらせてもらっていることへの感謝は決して忘れず、おごらずに作り続けていきたいと思っています。そして私がこの先、笠井さんの立場になった時は、次のコンテンツを若い人たちに任せて、中京テレビの文化を繋いでいきたいと思っています。