今日は極めて個人的な内容です。ご容赦いただきますようお願いいたします。
芝浦工業大学附属中学高校訪問のもう一つの目的。
それが学内にある「しばうら鉄道工学ギャラリー」の見学。
学校入り口の守警室で入構証を受取り、中に入ります。写真撮影はOKですが、生徒さんがすぐ横を通るので、そこは「ご配慮下さい」とのことでした。なので私のカメラに生徒さんは写っていません。
真っ先に目に飛び込んできたのがこの運転台。
なおこの施設の詳細は「しばうら鉄道工学ギャラリー」で検索して頂けると有り難いです。
ところで今回、この「しばうら鉄道工学ギャラリー」を訪問した目的の一つがレイルウェイ・ライター/種村直樹さんの展示コーナーでした。
種村直樹さん。1980(昭和55)年に取材をさせて頂いたことがあり、それがきっかけで長くお付き合いをさせて頂きました。東武伊勢崎線の竹の塚駅近くの事務所にもお邪魔し、楽しい時間を過ごしたことが今でも思い出されます。
取材の内容…NNNドキュメント'80「日本列島西東 鈍行列車春の旅」
種村さんとその仲間で、日本最西端の駅「平戸口」から最東端の駅「東根室」まで鈍行列車を乗り継いで旅をする模様の密着ドキュメント。
そもそもは「NNN(日本テレビ系列)の各局で、リレー取材しませんか?」という企画書を書いたのですが、当時の中京テレビの報道部長が日本テレビの「ドキュメンタリー」班の担当者に提出し、それが何と成就したのでした。想定外の展開で嬉しかったのですが、その反面、私が取材に関われるかどうかが心配でした。何せ入社3年目でカメラマンとしてドキュメンタリーを担当するには、圧倒的に経験不足。どうなるかと思っていたらディレクターの小田昭太郎(当時、日本テレビのエースドキュメンタリストと知られた方で、私が口を開くことなどとても出来る存在ではありませんでした。現在は制作会社/オルタスジャパン代表取締役)さんから、「やろうよ。頑張れるよ。」と声をかけて頂き、益田~京都間、上野~青森間のカメラマンを任されることになりました。
嬉し涙が溢れた瞬間でした。
ただ小田さんの指導はそれまで経験したことがないほど厳しく、その後の私の生き方に大きな影響を与えてくれました。
久しぶりに種村さんの顔を拝見し、『私に社会人としての経歴』を与えてくれた恩人であると改めて感じていました。
私の手元にある冊子。「TTTT」いう名の種村直樹さんとその仲間を繋いだ会報です。
私が生前の種村直樹さんと最後にした仕事。それは2005年11月5日公開の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』。当時、私は名古屋地区の同映画の宣伝担当(の一人)をしていたのですが、それを少し超え、種村さんを「レイルウェイライター」の立場で東京での試写会にお越し頂き、見た感想を鉄道誌などに寄稿して頂きました。
「しばうら鉄道工学ギャラリー」の展示は、種村直樹コレクションだけではありません。工業大学の施設だからこその展示もあります。
皆さんも開館日をネットでお調べ頂き、403号機関車と一緒に見学されることをお勧めします。