稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(明治時代21)明治40年代の名古屋。

●明治43年(1910年)3月5日「名古屋市名勝写真帖」(外松菊花堂)

この写真帖から一部の紹介。明治40年代の名古屋の町を楽しんで下さい。

今の栄交差点のあたり。左側の洋風建築は当時の日本銀行名古屋支店。

今もある御園座。明治28年(1896年)の開場ですから百年以上の歴史があります。と書いている私はそうした歴史を今回、これを書いていて初めて知りました。人が大勢集まっており、劇場の人気のほどが分かります。

若い方はあまり馴染みが無いかも知れない御園座ですが、私は以前、歌舞伎などを見に何度か行ったことがあります。もっともこの建物は昭和に入ってから一度建て変わっているので、この中で見たわけではありません。

明治40年(1907年)11月10日、その名を「名古屋港」と変え、正式に開港しました。、ふ頭には線路が張り巡らされており、当時の海陸連携が今のような船と車では無く、船と鉄道であることがこの写真で分かります。

こうしたふ頭をどんな機関車が走り回っていたかを伝える写真を、未だ見つけられないでいますが、発掘したらこのブログで紹介したいと思っています。

名古屋駅前。ここでも人力車に姿が目立ちます。

これは所持する知人からデータで提供を受けた人力車の乗車切符。明治30年代のものと思われますが、名古屋駅から千種駅までは現在の地下鉄東山線で4.4キロあり。仕事とは言えご苦労さんだと思う。

また左端に「名古屋停車場構内車夫取締役」とあるので、これは推測ですが、許可された人力車のみが駅前で待つことを許され、なおかつ協定料金で人を乗せていたのであろうと理解しています。

 

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