北海道新聞社から昨年(2021年)11月27日に発行された「総天然色 ヒギンズさんの北海道鉄道旅1957-70」。J・ウォーリー・ヒギンズ氏が撮影したカラー写真によるB5判横開きの写真集。
ヒギンズ氏の撮影された数多くの写真の内、鉄道写真はNPO法人名古屋レール・アーカイブス(以下、「会」と書きます)において管理させて頂いています。なおヒギンズ氏とは著作権譲渡契約を締結しております。
さて本題。先週の金曜日(2月18日)、奥付にあるブックデザイン/矢野友宏氏、協力/早川淳一、編集/五十嵐裕輝氏のお三方と札幌市の北海道新聞社本社にて情報交換を行ってきました。
この本のきっかけは北海道新聞社出版センター編集部の五十嵐さんから2020年12月、NPO法人名古屋レール・アーカイブス宛てに頂いたメールでした。
要約すれば『光文社新書「秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本」(2018年)「続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本」(2019年)の北海道版を作らせて欲しい』とのことで、本来、アーカイブとは活用してもらうための活動であるので、会としては二つ返事で協力を約束しました。
会から北海道新聞社には、北海道内で撮影された写真を全て送っており、合わせて会で管理していない風景、風俗の写真はヒギンズ氏の写真の窓口となっている佐光紀子氏から送付されました。
で、この写真は会で管理していない写真の1枚。キャプションに「根室港駅」とありましたが準備稿の段階で、会員の間で「この写真を選んだ理由は何なのだろう?」と話しをしていました。「この建物群に何か意味があるのでは?」「ひょっとしてこの貨車は特別な存在?」などなど。
答はそんな単純なものではなく、まず「根室港(ねむろみなと)」駅は根室本線根室駅から分かれていた貨物線の終点の駅。貨車が止っている場所はその駅でも一番の端っこで、ここが何と日本の国鉄の最果て(の一つ)だったのです。しかもこの根室港駅の写真は、北海道新聞社で持っておらず、恐らく現存する唯一の存在であろうとの事でした。
ただこの場所の特定は難航したそうで、昔の航空写真であったり、古い地図を参考にこの建物群の場所を探す日々が続いたとのこと。1枚の写真の一行のキャプションにそんなドラマがあったとは思いも寄りませんでした。もっとも「ひょっとしたら新発見?」という気持ちがあったからこそ、結論が浮かび上がったとも言えるでしょう。
ヒギンズ氏の写真はカラースライドで、そのマウントに撮影した日付けと撮影場所が書かれています。ただ路面電車の場合は「どこどこの近く」程度で情報が足りません。そこで矢野氏、早川氏は写っている建物などと昭和の時代の住宅地図を照合するなどして場所を一つ一つ特定していったそうです。「松風町ー新川町」は函館市電の電停名で、ここも特徴ある建物が少なく苦労したそうですが、それでも結論が導き出せたときの喜びは格別だったそうです。
北星炭礦美流渡礦専用鉄道。
会では自分たちの手でスキャンしたデータを外部貸出時に提供していますが、基本補正していませんので、あとは新聞社、出版社、放送局サイドの使う側で商品として使えるように加工・修正して頂いています。
修正と言っても撮影時のレンズの向こう側にあった被写体の忠実な再現であり、そうそう簡単な作業ではありません。この写真で言えば蒸気機関車の黒と、雪の白(の質感)がこれほど美しく再現されたのは想像以上で、会としては本当に感謝しかありません。
ところで今回の出版に限らず、撮影年代特定がままならない写真の「時代考証」の話しもお聞きしました。会から各所に写真提供する際にも行っているのですが、
1)車輌の形式
2)走っている自動車
3)周囲の建物
4)街中の看板(商品名など…)
5)時には地形
だいたいこんなものを手掛かりにしています。
ただ今回教えて頂きなるほどと思ったのは「映画の看板」。都会に限らず昭和の「町」にはかなりの確率で映画館があり、その看板が写り込んでいる可能性があるそうです。そして公開中の映画名が読み取れればそれでかなり年代を絞ることが出来るとのことで、言われてみればなるほど目から鱗でした。
ヒギンズ氏撮影のカラー写真を使った写真集は、これからも各所から出版される予定です。今回の経験も踏まえ、アーカイブとしての役割を果たしていきたいと思っています。