新装の名古屋駅。恐らく建物と駅舎前の車や人は合成。車の駐車位置が不自然なのと駅前の道路面がのっぺら坊ということはあり得ないでしょう。ただ竣工時の雰囲気がよく分る1枚。
今も名古屋駅の正面から名古屋市内を東西に貫通する桜通。駅前ロータリーのオブジェがなかった頃はこんな見通しだったのでしょう。
●昭和33年(1958年)11月15日再販「図説蓬左風土誌」(中部日本新聞社)
(絵はがきではありませんが、参考までに)名古屋国際センターのある所が泥江町交差点。そこを南北に走る道路上には市電の路線がありました。この写真のカメラの場所は、名古屋国際センターの建物の南西角辺りと思われます。当たり前とは言え名古屋駅を越える高さの建物が見えません。東洋一を実感させてくれます。
中央コンコース。今も記憶にあります。ということは昭和の時代のこの場所は、12年から最後まであまり変わらなかったと言うことでしょう。
端麗優美を誇る降車口と其通路。
降車口ってなんのこと?
当時は、乗車客と降車客とは通路が異なっており、こちらは降車客専用の通路と集札口。この風景は今も見られるのですが、それは北通路と桜通口。謂われて見ればの程度で、あまりピンとは来ないかもですね。