稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史。昭和20年代の名鉄小坂井支線と豊川線。倉知満孝さん撮影の写真から。

複線から単線化されたことが見てとれる線を行く単行の伊奈駅行き電車。電車のすぐ向こう側に分岐器があり、駅があると思われます。またその先にもう1本の路線がありそうな感じ。

恐らく同じ場所で同じ電車を振り返って撮影した写真(と思われます)。この電車の走る線はこの先で他の路線と合流する感じです。

●1926年(大正15)年9月5日「名古屋市全図」(都市計画地図発行所)の裏面記載の 愛知電鉄線路線図

この路線図に、国府駅と吉田(現・豊橋)駅の間にある赤い点から左にカーブし、小坂井駅へ向かう路線があります。

それが写真の小坂井支線。

小坂井支線の開業は1926年(大正15年)4月1日。元は東岡崎駅からこの線を通り、小坂井駅から豊川駅を目指す形で開通したのが始まりです。

翌1927年(昭和2年)6月1日に吉田駅への路線が開業し、そちらが本線となりこの写真の線は小坂井支線となったという歴史があります。その際、上図の分岐点に伊奈駅が開業しており、それで行先板の「伊奈」です。

●1927年(昭和2年=大正16年)1月1日「日本鳥瞰近畿東海大図絵」(大阪毎日新聞)

この鳥瞰図と先の路線図も同じなのですが、実は2つの発行時にはまだ伊奈駅~吉田/豊橋駅間は開通していません。いずれにしても開業が決まっていたので、それで入れたのでしょうが、それが鉄道の開通が頻繁にあった時代ゆえの習わしだったのかも知れません。なお小坂井支線は1954年(昭和29年)12月25日に廃止されています。 

国府駅に停車する小さな電車、モ100形。豊川市内線(現・豊川線)の電車です。豊川市内線には、谷汲線(開業時は谷汲鉄道)から1950年(昭和25年)に移ってきました。

この可愛い電車が走った時期はそれほど長くはなく、1953年(昭和28年)に終焉を迎えます。

そして本線と同じ電車がこの路線を走るようになりました。なおこの線はもともとこうした路面電車タイプが走るのを前提に開業しており、法令上は「軌道法」(道路に敷設される軌道)の路線です。なお現時点では名鉄で鉄道事業法でないのはここ豊川線のみです。

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