稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(昭和戦前編28)昭和12年2月1日、(新)名古屋駅の開業。

新名古屋駅竣工記念絵葉書。新しい名古屋駅の誕生です。

初代名古屋駅と3代目/新名古屋駅。新名古屋駅は当時、東洋一を誇ったとの事ですが、日本国有鉄道の公式の記録にも「何が」という具体的な記述が見当たりません。(稲見調べ)

もっとも今のような商業施設が主体の「駅ビル」ではなく、東京駅のようにホテルが入っていたわけでもなく、駅と鉄道を運営する部門が入る純粋の「鉄道」駅としては東洋一であったことは間違いないでしょう。それと自分の暮らす街の中央駅が「東洋一」と言われて嬉しくない人はいないと思います。当時の名古屋市民にとって、この新しい駅の誕生がどれほど誇りに思えたか、容易に想像がつきます。

●規模…地上6階、地下1階

●間口…165メートル

●奥行…44メートル

●総延面積…70,298平方メートル(21,303坪)

(参考までに開業時の東京駅/「第31回台日工程技術検討会 東京駅丸の内駅舎保存・復原」)

●規模…地上3階、地下1階

●延べ床面積…23,900平方メートル

日本の東京駅との比較では新名古屋駅の方が圧倒的に大きいですね。

やはり「東洋一」の謳い文句に偽りは無さそうです。

2代目名古屋駅と新名古屋駅の構内から撮影された写真。架線がないので空が広く見えます。

鉄道省名古屋鉄道局が発行していた広報誌「名鉄グラフ」。戦前なのに「鉄」が「鐵」でないのは何故?私には不明です。が、「鉄」という字自体は以前からあったようです。

それはともかくこの昭和12年(1937年)の2月号/新名古屋駅開業記念号。モデルさんが新名古屋駅を背景にした写真。凄いですね。今でいうとファッション誌の表紙顔負け。鉄道事業者の冊子とは思えません。

絵はがきと同じ写真ですが、こちらは名鉄グラフの2代目駅舎。新名古屋駅と比較するのは何ですが、さすがにこれは狭すぎます。

先般取り壊された武豊線半田駅と比較。

構内図。とりあえずこれは雰囲気。

赤線と赤丸に注目。

改札口は路線別となっています。

今でも地方駅に行くと、列車毎に改札が行われていますが、名古屋駅でも同様だったのでしょうか?それとも駅ホームはそれぞれの路線別だったので、単に乗客が右往左往しないようにしていたのでしょうか?いつか鉄道史に詳しい方に聞いてみたいと思います。

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