●名古屋市役所のウェブサイト~観光・イベント情報~名古屋市のプロフィール~市の概要~(現在の位置)市域のうつりかわり
明治40年(1907年)に当時の熱田町を編入し、名古屋市が一気にその市域を倍以上に広げていたのが見てとれます。また翌明治41年から区が設置され、東・西・南・中の4区が誕生しました。
翌明治42年には今の中央本線の西側が名古屋市に編入されました。
●明治43年(1910年)3月5日「最近名古屋明細地図」(富田屋 富田喜作)
右上の赤色が千種駅。真ん中少し下の広い赤色の部分は今の鶴舞公園です。
この公園は明治42年(1909年)に開設された名古屋市初の公園で、この年でのオープンには大きな意味がありました。
●明治43年(1910年)3月23日「第10回府県連合共進会全図」(富成櫂七/名古屋用達合資会社)
鶴舞公園を舞台に開催された「第10回関西府県連合共進会」。一言で言えば日本全国の産業や物産を紹介する大規模博覧会。言い換えれば万国博覧会の国内版でしょうか?
3月16日から6月13日の三か月の会期中に263万2,748人が入場したと言うことで、市域が狭いとはいえ当時の名古屋市の人口は405,646人。市の人口の6,5倍の人が入った計算となり、また大正9年(1920年)の愛知県の人口である2,089,762人をも凌駕しており、如何に尋常ならざるイベントであったかに驚かされます。
(参考:名古屋商工会議所ウェブサイト 名古屋商工会議所のあゆみTOP > 明治・大正の出来事)
(参考:愛知県ウェブサイト 年報掲載統計表 第1表 愛知県推計人口と世帯数の推移)
●明治43年(1910年)3月23日「第10回府県連合共進会全図」(富成櫂七/名古屋用達合資会社)
当時の“名古屋市電”である名古屋電気鉄道の路線図。この内、共進会場への足となる公園線(新栄町~東陽~公園前~上前津)はこのイベントのために明治43年2月23日に開業したものです。
とろこで大規模イベントに合わせての交通機関の整備と言えば、名古屋市内では金山駅(金山綜合駅/1989年(平成元年)に開催された世界デザイン博覧会に合わせて整備された)であったり、リニモ(愛知高速交通東部丘陵線/2005年開催の愛知万博のアクセスも兼ねて整備)があります。明治43年の名古屋の一大事。それが「第10回関西府県連合共進会」でした。
明治43年頃と推察される今の広小路通り。自動車の姿はまだ無く、人力車が目立ちます。38形電車は明治41年(1908年)の登場です。
「 日清戦役第一軍戦死者記念碑」前を行く38形。ぱっと見は明治村のN電ですね。