中川運河に続いては笹島駅。読み方は「ささじま」駅。旧来の地名と駅名の不一致はままある話しなので、ここでは触れませんが、明治時代の東海道鉄道計画時の駅名と、貨物駅としての笹島駅の読み方が「ささじま」というのは間違いありません。
ところでこの「ささじま」ですが、以前は「ささしま」とした資料があったのですが、最近は「ささじま」と修正されたものもあります。
●昭和52年(1977年)10月1日「貨物営業キロ程表」(日本国有鉄道貨物局)
その中の索引ページ。
確かに「ささじま」とあります。
●写真提供…青木英明氏
昭和61年(1986年)頃の撮影と推察できる写真。根拠は名古屋高速万場線の高架があること。一方駅構内がガランとしていますが、この年、笹島駅が廃止されています。
国鉄コンテナ取扱全盛期の頃の笹島駅。
こちらは高速道路の高架が見えないので、少なくとも昭和54年(1979年)以前。(参考;名古屋高速道路公社五十年史)
上の写真をトリミング。中川運河との位置関係を確認。水陸連携を感じる何かを期待していたのですが、残念ながら分かりませんでした。
●写真提供…高橋敬子氏
さてここからは笹島駅の開設に向けての動きです。この写真は大正末期と思われる当時の名古屋駅の貨物取扱所。貨車が所狭しと並んでおり、時代を知らずとも貨車が駅に溢れていることが分かります。
こうした状況から「笹島」の地に貨物取扱所を移転すべく大正14年(1925年)から用地買収を開始。翌大正15年(1926年)から新貨物取扱所の第一期工事が始まりました。