稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

祝!名古屋市営交通の100周年。

今日から丁度100年前の1922年(大正11年)8月1日。名古屋市電気局(後の名古屋市交通局)が誕生し、市営の公共交通機関が始まりました。

拙ブログでも今年の4月9日、10日に「名古屋の鉄道136年史(大正時代4)名古屋電気鉄道から名古屋市電気局へ。市営交通の始まり。」「名古屋の鉄道136年史(大正時代5)市営交通が始まった時代。」として、市営化当初の時代を紹介しています。

この図の真ん中の赤い線の○は名古屋市が誕生した頃の名古屋市の市域。

外側の赤い線は名古屋市の市営交通が始まった頃の市域。

※4月9日で使用した画像データの再掲。

これは名古屋電気鉄道(現在の名古屋鉄道)が名古屋市に譲渡した(名古屋市内に走らせていた)路面電車の路線図。なお当時、市営バスはまだありません。

●1952年(昭和27年)8月1 日「市営三十年史」(名古屋市交通局)

今から70年前に発行された市営交通の30年史掲載の「買収電車路線図」。これは名古屋市電発足後も残っていた私鉄が、最終的に名古屋市電となった路線が分る図。1937年(昭和12年)の市営化完了時に作成された資料と思われます。

中村電車は1936年(昭和11年)5月24日に、残りの3社は1937年(昭和12年)3月1日の市営化です。

一番先の図である市域の変遷図と見比べると、これでその時代、名古屋市だったエリアのかなりの部分に市電が四通八達していたことが分かります。

1952年(昭和27年)8月1 日「市営三十年史」(名古屋市交通局)

一方市バスの変遷。市バスは当初から市営でスタートした路線もありましたが、多くは民営のバス路線を買収したものでした。この図では、民営バスを数度に渡って買収し、市営化を進めたという“雰囲気”だけでも感じてもらいたくと紹介するものです。

(市バス誕生以前)

名古屋市内の路線バスは大正時代に民営でスタートし、昭和に入ってからは、市営化された市電の乗客数にも影響を与えるほど成長し、バス会社も増えて市民にとって使いやすい状況となりました。

しかしその結果、市電から利用者が離れる傾向も生じ、結局市内を走るバスの経営を市営で統一することとなりました。

(市バスの誕生)

名古屋市営バスが登場したのは1930年(昭和5年)2月1日。増えてきたバス会社によって市電の乗客が減少し、経営が圧迫されてきたこともあり、よって(自衛的見地の)対抗手段として自らバス営業を計画したものでした

●市営化当初のバス。後ろの建物は松坂屋。

参考までに1930年当時、名古屋市内には22のバス会社があったそうで、名古屋駅前には各社各様のバスが並び「殊に名古屋駅に降車する旅行者の目に先ず奇異の感を与えたものは、駅前に色とりどりの、一目にして経営者を異にすると分かる乗合自動車…」(「市営三十年史」(名古屋市交通局)から転載)という状況でした。

●1952年(昭和8年)9月25日「大名古屋」(名古屋市役所)

この写真は書籍の発行年である昭和8年頃の撮影と思われる1枚。モノクロのため分かりにくいですが塗り分けの異なるバスが並んでいるのが見えます。

そしてその後も名古屋市は市域を広げて行きます。

1937年(昭和12年)以降に名古屋市に編入されたエリアを赤い線で囲ってみました。

若い人にはピンとこないでしょうが、今の守山区、名東区、天白区、緑区は元々の名古屋市にはなかった区名で、現在の16区になったのは1975年(昭和50年)のこと。私は既に成人していました。

●1965年(昭和40年)「最新名古屋市全図」(アルプス社)から現在の緑区界隈を抜粋。緑区は1963年(昭和38年)に守山区と同時に誕生。

市バスどころか、当時緑区を走っていた名鉄バスの路線すら殆ど見当たりません。

分かり易く言えば、ほぼ全域が田畑と山で、人が住んでいた場所は限られ、そもそも公共交通機関を走らせるほどの需要がなかったのです。

一方こちらは地下鉄東山線の上社駅近く。1969年(昭和44年)頃の撮影で、写っている駅は本郷駅。因みにまだ上社駅(1970年12月10日開業)は未開業です。

当時の記憶が少しだけあるのですが、そもそも星ヶ丘駅から先は前述の緑区同様、山と田畑しかなく、それでもこうして切り開かれて見通せる風景の広がりはただただ驚きでした。

ここからは私見です。

名東区は地下鉄東山線の開業が地域の開発と発展の起爆剤となったのは間違いないでしょう。

天白区も地下鉄鶴舞線の開業が市街化を促進したと思っています。

緑区は最終的に地下鉄桜通線が開通しましたが、それ以前に住宅地としての地位を確立していたと思います。もっとも地下鉄の開業により、更にそれが促進され、人口増加に繋がりました。

上記3区以外の守山区、西区、北区、中川区、港区の戦後に編入された地域も、既存の鉄道を軸にバス路線網が整備されました。

私事ですが、実はこれまでに数回、けがなどで車の運転ができない身体になったことがあります。その時、名古屋市内に住んでいることで通勤以外でも公共交通機関を利用し、出掛けていました。

勿論バス路線では運転本数が少ない系統もありますが、それでも移動する手段がある事は何事にも変えがたい恩恵だと思います。

名古屋市に市営交通が誕生して100周年。これからも地下鉄と市バスは身近な存在であり続けるでしょう。

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