稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

日本車輌製造(株)豊川製作所メモリアル車両広場の一般公開。(豊川海軍工廠跡の「平和の像」)

日本車輌製造(株)豊川製作所の敷地をはじめ、陸上自衛隊 豊川駐屯地といったこのあたり一帯は、かつて豊川海軍工廠(とよかわかいぐんこうしょう)があった跡地にあります。

日本車輌製造を後に、名鉄豊川線諏訪町駅に戻る道すがら、祭りの喧噪から一歩入ったところに、昭和20年8月7日、豊川海軍工廠への米軍による空襲で亡くなった方への慰霊碑があると教えて頂き、手を合わせに向かいました

豊川海軍工廠=『豊川市 >トップページ >催事・文化 >生涯学習 >豊川海軍工廠平和公園 >豊川海軍工廠について』から転載。

豊川海軍工廠は、海軍の航空機や艦船などが装備する機銃とその弾丸の主力生産工場として、昭和14(1939)年に開庁した巨大兵器工場で、日中戦争から太平洋戦争、終戦に向かった日本の戦前の昭和史を如実に示す存在です。当初は機銃部と火工部の二つの造修部門でしたが、戦局の拡大と呼応し昭和16(1941)年に光学部、18(1943)年に指揮兵器部、19(1944)年に器材部が新設され規模を拡大していきました。昭和18年には豊川市が誕生しますが、これは海軍工廠建設による人口増や旧町村の結びつきが強まったことを要因とするものであり、また20(1945)年8月7日の空襲では2,500人以上が犠牲となり多大な被害を出すなど、豊川海軍工廠は豊川市の近代史を理解する上でも欠くことのできない歴史的事象です。

1965(昭和40)年に建立された「平和の像」。

私は愛知県出身、地元と言えば地元と言えるこの地の海軍工廠については、その知識がありませんでした。

思わぬところで思わぬ出会いあり。これもまた旅を続ける意味なのかも知れません。

今日本にある平和に感謝。

この像の存在を教えてくれたのは、元日本車輌製造(株)豊川製作所に勤務されていた方。多謝。

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