稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(昭和戦前編12)昭和1桁時代の伊勢観光(2)絵はがきから。

伊勢神宮参拝御図絵。

ところで伊勢神宮を中心としたエリアは今、伊勢市と呼ばれていますが、これは昭和30年(1955年)からのこと。それ以前は宇治山田市でした。因みに今のJR、近鉄の「伊勢市駅」は、伊勢市誕生から少し遅れて昭和34年(1959年)にそれまでの山田駅から改称しています。

また宇治山田市(市制施行前は宇治山田町)は内宮のある宇治と外宮のある山田が1つの名前になったもので、山田駅(現・伊勢市駅)が当初、宇治山田駅を名乗らなかったのは山田エリアに駅が造られたことによると推察しております。ただ参宮急行電鉄が後に山田線の終点駅を「宇治山田駅」と名乗ったのは、やはり宇治山田市の中心駅であるとの自負があったのではないかと思っています。

それはさておき、この図絵を描いたのは鳥瞰図絵師吉田初三郎。惚れ惚れします。

そしてこの図絵の発行は宇仁館(「うにたち」と読むとする資料あり。秋田耕司『宇仁館物語』平成30年(2018年)8月 有限会社NFC技研)という旅館。この絵の中にも幾つかの系列旅館が描かれており、当時の一大チェーンと言えます。それだけではなく、東京に支店を構えており、伊勢参宮ビジネスの規模の大きさを感じます。

年代特定の根拠はやはり参宮急行電鉄宇治山田駅。それにより昭和6年(1931年)以降で、そこから何年も経ってはいないと思っています。また分かり難い点線しかありませんが、伊勢電気鉄道の路線が描かれており、矢印のところが終点「大神宮前駅」です。開業は昭和 5年(1930年)12月25日。この図絵ですが、省線参宮線が中心に描かれており、大阪からであったり、三重県域の私鉄の存在は実にあっさりとしています。

宇仁館のビジネスは、恐らく大量動員の見込める東京圏が中心であり、それゆえこうした描き方になっていると推理しています。

ここからは当時の絵はがきをご覧頂きます。

完成、開業直後と見られrる「宇治山田駅」。駅頭にバスらしきものが写っており、それゆえ開業後との結論を出しました。

省線と伊勢電の宮川鉄橋。それほど特徴があるとは思えない鉄橋が絵はがきとなっているのは時代の差でしょう。

ところで省線の機関車は8620形。二軸客車も含みますが12両の堂々たる列車です。

一方、伊勢電の説明に「近代的力学応用」とありますが、トラス橋自体は明治時代からあったので、何がしか特別な構造だったのかと思い調べたものの、ネット検索だけでは出てこなかった。

下段の写真、右側が「宇仁館」。木造3階建ての堂々たる旅館です。

朝熊(あさま)登山鉄道。今も残っていれば伊勢湾を見下ろす絶景ケーブルカーとして人気を博しているのではないかと思います。

知人から画像提供を受けた朝熊登山鉄道の開業記念割引券。大正14年(1925年)8月26日 の開業で、「廿」は「にじゅう」と読みます。ところで肝心の割引率ですが「壹」は「いち」であり、3日間の開業記念としては少し弱いかなと思うのは爺の繰り言(くりごと)です。

最後に海女さんの絵はがき。アワビを捕る海女さんは、本来は漁の一形態なのですが、昭和の初頭でも観光絵はがきの1ページを飾るほど有名な存在だったのでしょう。

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