神都線内宮線(山田駅前/伊勢市駅前~内宮)が全線開業したのは大正3年(1914年)11月14日。
「内宮電車停留所」の説明があるので、大正3年11月14日の開業日以降ではあるものの、電車に明治時代の趣があるので、それから近い時期の写真と思われます。
こちらは山田駅前(現伊勢市駅前)。「5.10.7」の印があるので昭和5年(1930年)10月7日にこの絵はがきが参拝客に手渡されたものと思われ、その頃の撮影と思われます。なお大正時代ではなく昭和時代と特定できるのは左側に写っている高千穂館(アサヒビールの看板あり)の存在。昭和に入ってからこの建物に建て変わっていることによります。
人影がなく、殺風景な感じですが、その理由は不明。
伊勢神宮と鳥羽の間にあり、今は伊勢志摩スカイラインで簡単に行くことが出来る朝熊山(あさまやま)。そこに大正14年(1925年)11月1日にケーブルカーが開業しました。「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と謳われた朝熊山金剛證寺への参拝客の足です。
。
「岳電(だけでん)」ともいわれた朝熊登山鉄道。
その勾配は652パーミル(1000メートル進む間に652メートルを登る)で、当時の鋼索鉄道としては日本一の急勾配。昭和19年(1944年)1月11日に営業を休止し、その後廃止されましたが、今も残っていたらきっとジェットコースターと比較されたことでしょう。
それにしてもこの角度は信じがたい。
なおこのケーブルカーですが、終日15分間隔で運転されており、伊勢神宮と合わせて朝熊山金剛證寺への参拝客が如何に多かったかが分かります。
※参照:三重県総合博物館>朝熊登山鉄道(絵はがき)ウェブサイト
このケーブルカーは神都線と路面電車で結ばれており、正に今の伊勢市の公共交通ネットワークの一翼を担っていました。
朝熊山の先にある鳥羽駅。明治44年(1911年)7月21日に参宮線山田駅とこの鳥羽駅間が開業しており、長い歴史があります。今は影の薄い参宮線ですが、近鉄が開通する前は乗客を独占していました。。
大正末期から昭和初期の撮影とみられる2枚の写真。ホームで休む客車の編成の長さに驚かされますが、それだけの需要があった証です。ところでこの鳥羽までの路線ですが、今と同様、観光路線であったと推察しています。
2014年10月のJR鳥羽駅。
ホームには大正~昭和期の雰囲気を感じます。
今回久しぶりにこの写真を引っ張り出して思ったのですが、ホーム屋根のデザインとかなかなか凝っていたんですね。