翌11月26日(日)は、「未成線・廃線サミットin高千穂」のエクスカーションに参加。
「エクスカーション」という言葉にはあまり馴染みが無いのですが、未成線サミットでは先回も使われていた用語です。
『エクスカーションとは=エクスカーションは従来の見学会や説明を受けるタイプの視察とは異なり、訪れた場所で案内人の解説に耳を傾けながら参加者も意見を交わし、地域の自然や歴史、文化など、さまざまな学術的内容で専門家の解説を聞くと共に、参加者も現地での体験や議論を行い社会資本に対する理解を深めていく「体験型の見学会」です。』
これは国土交通省中部地方整備局企画部のウェブサイトにあった「エクスカーション(体験型の見学会)」の説明です。
正にこれがぴったりの今回の(先回も)エクスカーションです。
集合場所の高千穂町武道館。
突然ですがここで高千穂町の概要と私の印象です。
(前提)
1960(昭和35)年の高千穂町の人口…27,052人(高千穂町 過疎地域持続的発展計画 令和3年10 月 宮崎県高千穂町)
2023(令和5)年11月現在の高千穂町の人口…11,045人(高千穂町役場)
かつて国鉄高千穂線に乗り、この町を訪れ、そして熊本県高森町に抜けていった経験はあったものの、申し訳ありませんが高千穂町の印象は「高千穂峡」しかありませんでした。
ところが今回、バスで町に入った時、山の中に突然、都会が現れた印象を持ちました。宮崎県の県北(山間部)の中心地ということなのでしょうが、それでかつての人口を調べる気になったのです。山間部の産業構造などを私は軽々には語れませんが、いずれにしろ人口の減少は避けられなかったのでしょう。
それでもかつて3万人近い人口があったことは特筆すべきで、高千穂線は単に「九州中部横断鉄道」ではなく、山間部の人と物の移動需要に応える必然があったのではというのが私なりの感想です。
高千穂鉄道の廃線跡を利活用する“保存鉄道”たるこの「高千穂あまてらす鉄道」。前日のサミットの会場で、同鉄道の方が「国鉄高千穂線~高千穂鉄道という鉄道があったことを忘れず、後世に歴史遺産として継承するという強い気持ちで運営している」と語っていましたが、その言葉は私自身(表面的にでも)一歩踏込んで調べてみて、より理解が深まったと思っています。
まずは高千穂鉄道TR-200形気動車「TR-202」の現状についての紹介です。
ここ高千穂駅に保存されている高千穂鉄道時代の車両は2両。(もう1両はTR-100形気動車「TR-101」)
このTR-202は運転体験が出来るように動態保存されており、実際私の知人は、ここでこの車両の運転をしています。
ところでこの日、エクスカーション参加者は車内に乗せて頂けることになりました。しかも「それでは動きますよ」とのサプライズ付き。
当たり前ですが、現役当時のまま。
車庫内でTR-101の横に停まるかと思っていたら…。
その先のこんな所まで案内されました。そこで見たものとは…。
ここから先が未成線。右に見える小高い山を目指し、線路が繋がる予定だったと聞きました。
ここには以前使用されていたスーパーカートが留置されており、それも見学。
シンプルな運転装置。
運転席に座り、出発進行!
(余談)
そこに敷かれていた線路。「40 N」はレールの規格。次の1966は1966年製造。
高千穂線の工事の進捗状況からして、当初からここにあったと思われます。ただその次はメーカー名だと思うものの調べきれず。
話をTR-202に戻しますが、延岡方の方向幕は「延岡」。
高千穂方の方向幕は「快速 高千穂」となっていました。
ここだけ見れば高千穂あまてらす鉄道ではなく(現役の)高千穂鉄道。