ところで名古屋市電1400型開発の目的であった「名古屋汎太平洋平和博覧会」とは?
名古屋汎太平洋平和博覧会画報。
朝日新聞社から昭和12年(1937年)3月30日に発行された本です。大きさはA3とB4の間くらいで、かなり大判の雑誌スタイルの1冊です。まずはこの本でどんなイベントだったかを見てみましょう。
(目的)
(1)広く内外産業文化の現状を紹介する
(2)わが国の産業の振興と日本文化の宣伝を行なう
(3)関係各国民の平和親善と共同の繁栄に資する
(会期)
昭和12年(1937年)3月15日~5月31日(78日間)
(会場)
名古屋市南部臨港地帯の約50万平方メートル
(海外からの出展国)
太平洋沿岸諸国および名古屋市との友好国 全29カ国
(入場者数)
約480万人
(参照:名古屋商工会議所ウェブサイト、名古屋市ウェブサイト)
我が国最初の国際的博覧会として注目されましたが、博覧会が終了後、暫くして日中戦争が始まり、「平和博覧会」とはほど遠い時代の始まりとなってしまいました。
個別のパビリオンの紹介と言うより、なんか一杯あるなあとまずは思って下さい。
会場は、南北(画像では横)に貫く道路を挟んで東西2つに分かれています。また東会場の中央には運河も通っています。
空中写真。当時の飛行機は複葉機でしたので、上下の位置に羽が写っています。というのは余談ですが、どうです!この広大な風景。50万平方メートルは東京ドームでざっと10個分。
上の配置図で東会場の南北を通っている運河が手前の広い水面部分。奥の方が配置図の下の方のブロックです。
会場を南北に貫く幹線道路。昭和12年にして夥しい車の数ですが、中央を走る名古屋市電はここに写っているだけでも9両います。
話しは少しそれますが、表紙の裏のページ。殺虫剤の広告が妙に心惹かれました。
また内外の展示だけではなく、今のサーカスで見られるイベントも行われており、昭和12年という時代にこうした娯楽が既に成立していたことが驚きです。
つい先日、サーカスを見に行ったばかりなので、思わず反応してしまいました。