●大正15年(1926年)3月25日「名古屋都市計画街路及運河網並公園配置図」(都市計画図書発行所)
大正末期の名古屋市の都市計画図。今との対比するヒントが少なく恐縮ですが、左上の鉄道線路の駅は現在のJR中央本線千種駅。実際には現在地より少し南側です。
緑色の数字の6辺りが現在の地下鉄覚王山駅近く。その直ぐ右にある「月見坂」が当時の市電の終点である「月見坂」。明治44年(1911年)8月19日 にそこまで繋がりましたが、そこから先はまだありません。
また緑色の数字の35の右側にある緑色の広いエリアが今の東山動植物園の予定地。
●昭和7年(1932年)1月5日「名古屋市街全図」(武内時雄/丸新舎)
この地図の方が地形的には分かり易いですね。市電の終点、月見坂の東は、ほぼ山!
●昭和12年(1937年)1月「名古屋名勝案内」(名古屋汎太平洋平和博覧会)
市電東山公園線が「東山公園」電停まで伸びたのは昭和12年(1937年)2月27日 。
東山植物園の開園は昭和12(1937)年3月3日、一方東山動物園が開園したのは昭和12年(1937年)3月24日。
今は動物園、植物園が一体で運営され「東山動植物園」という名称ですが、開園当時はそれぞれで運営されていたことはあまり知られていません。
●昭和11年(1,936年(「名古屋市鳥瞰図」(吉田初三郎)
私の敬愛する吉田初三郎画伯の手になる名古屋市の鳥瞰図。
市電の開業及び東山動物園、東山植物園の開園前にも関わらず、既にそれらが描かれています。これは昭和12年に名古屋で開催された天下の大イベントを前に、それを盛り上げることも目的に作られたものであろうと推察しています。
何れにしろ、東山動植物園、東山動物園の開園を前提に市電が延伸されており、名古屋の都市計画がどのように進められていたかが見てとれます。
今、東山動植物園への足は地下鉄が多いのでしょうが、戦前は市電一択。
そして園内の足はモノレール。これは話しが繋がってないですね。
それにしても昭和12年の東山動植物園界隈の地図に民家がないのが驚きです。
昭和12年の開園時からある温室(2021年5月の撮影)。昭和11年(1936年)に建築された植物園のこの温室前館は現在、国の重要文化財に指定されています。