稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

トルコ(13)シルクロードの「キャラバンサライ」。

9月25日(水)。

この日はまずコンヤ(Konya)に向かい(約230キロ)、そのコンヤから更にパムッカレ(Pamukkale)に向かいます(約410キロ)。

※この日走った約640キロですが、JR東海道本線~山陽本線で、ざっくり東京から姫路までの距離です。(644.3キロ)

朝、部屋を出て空を見上げたら、熱気球が飛んでいました。

鳩の大群と熱気球。

丘の上では、朝日の中の奇岩群を眺める観光客多数。ホテルからは歩いて10~15分ほどの距離と聞きましたが、私は行っていません。

朝食の果物。

私のお気に入りはブドウ。

ホテルのロビー。出発を前にして初めて入りました。

ホテルの前には大型の観光バスは入れないので、私達の荷物は、少し離れた場所まで小型のトラックで運び、こうして積み替えが行われました。

カッパドキアの風景もこれで見納め。

熱気球を積んだ車を見送り。

可愛い車を発見。クラシックカーであることは間違いないのですが…。

カッパドキアからコンヤに向かう途中にある町、アクサライ(Aksaray)。

クルチ・アルスラーン2世(II. Kılıç Arslan)の像で、ルーム・セルジューク朝(Anadolu Selçuklu Devleti,1077年~1308年)のスルタン(在位:1156年~1192年)であったことまでは分りました。

アクサライの町外れ(?)にあった牛の像。

アクサライ刑務所(Aksaray Kapalı Cezaevi)。

スルタンハン(Sultanhani)の町の入口。

スルタンハン・キャラバンサライ(Sultanhanı Kervansarayı)。

シルクロードの「キャラバンサライ」の一つ。

「キャラバンサライ」と言えば。隊列を組んだラクダが、砂漠を越えて一休みする場所。というのが私のイメージ。

悠久のロマンを掻き立てられる言葉です。

(以下、Wikipediaから転載)

キャラバンサライ(ペルシア語: كاروانسرا kārvānsarā、トルコ語: kervansaray)は、ペルシア語で「隊商宿」の意味。隊商のための取り引きや宿泊施設を指す。バザールやスークに隣接して建てられた。アラビア語では、ハーン(khan)、カイサリーヤ、フンドゥク(フランス語版)とも呼ばれた。

一般的には中庭がある2階建ての建築物で、1階は取引所、倉庫、厩、管理人や使用人の住居にあてられ、2階は客人である隊商の商人たちの宿泊施設となっていた。アガと呼ばれる責任者や、荷運びの監督、夜警などの役職が常駐していた。

キャラバンサライは、遠隔地交易の商人の他に、地元の卸売商人の事務所や倉庫にも使われた。イスファハンでは、前者をタージェル、後者をボナクダールと呼んで区別した。地元の卸売商人はティームやティームチェ(ペルシア語版)と呼ぶ取引場や、ダーラーン(通廊)で取引を行った。行商人は、卸売商人から商品を仕入れて近郊の農村や遊牧地をまわった[1]。

現在では宿泊所としての機能は消え、事務所、倉庫、卸売店舗として用いられている。

もう一つ私の中の「サライ」のイメージは、やはり24時間テレビのテーマソング(作詞:谷村新司、作曲:弾厚作(加山雄三)の世界。もっとも谷村さんは、「サライ」(ペルシャ語で、砂漠で出てくるオアシスや宿)を、イメージとして「故郷(ふるさと)」に見立てたとのことで、実物のサライとは異なることを改めて感じました。

まあそれにしてもこの建物の大きさにはただただ唖然(あぜん)とするばかり。

ところでラクダの隊商と言えば童謡「月の沙漠」(作詞:加藤まさを、作曲:佐々木すぐる)「月の沙漠を はるばると旅の駱駝がゆきました…」を思い出しますが、そもそも「砂漠」ではなく「沙漠」であり、いろいろ意味合いがあることも今回調べていて知りました。

シルクロード=中国と欧州を結ぶ古代の交易路。紀元前2世紀から15世紀半ばまで栄えた。

ラクダに荷を乗せ、徒歩でのユーラシア大陸横断とは、気の遠くなるような話しです。ただその隊商が休むこのキャラバンサライの巨大さを実際に見たことで、シルクロードの交易がどれほどの規模だったかを改めて知る機会となりました。世界史の教科で習うだけのことはある訳ですね。

カテゴリー

アーカイブ