稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(明治時代5)名古屋区長吉田禄在の功績。

名古屋市中区の中区役所。そこに「100年前ここから見た広小路通」という看板があります。

そしてもう一枚。「100年前ここから見た武平通」吉田禄在宅址の看板があります。

その中に気になる記述がありました。

●明治11年(1878年)「名古屋熱田全図」から抜粋

赤枠で囲ったところは広小路通。明治11年の広小路は今の栄から伏見の辺りまででした。

●明治20年(1887年)「名古屋明細全図」から抜粋。

広小路が名古屋駅と中心地/栄を結んでいます。世間の反対と資金難をものともせず、これを作ったのは当時の名古屋区長(今で言うと名古屋市長)吉田禄在の大功績です。名古屋という町の将来を考え、本当に様々な課題をクリアし名古屋の発展に大きく寄与した方だと、調べれば調べるほどそれは思いました。

ところで「名古屋駅の誘致」ですが、実は過去の文献では井上勝鉄道局長に「中山道鉄道」を断念させ「東海道鉄道」の建設の決心をさせたのも名古屋区長/吉田禄在の功績という伝がありました。この「名古屋駅の誘致」と「東海道鉄道の誘致」の陳情を、​​吉田禄在が行ったのは確かに事実のようです。ただし、これが功奏したかについてはその後の研究で「残念ながら」という結果となっています。

もっとも外形(時間軸)的には、吉田禄在の陳情後に「名古屋駅の開設」「中山道鉄道から東海道鉄道への変更」が行われたかのように(名古屋人には)見えたことは否定しません。よって名古屋を起点とした過去の文献には上記についての『伝説」が記述されていますが、東京から見た文献にはそれがありません。

(参考)

●2002年(平成14年)「東海地方の鉄道敷設史 改訂版」(井戸田弘)

●2011年「中山道鉄道の採択と東海道鉄道への変更ー東西両京連絡鉄道に関する三つの問題ー」(松永直幸)

 「日本歴史学会編集 日本歴史2011年4月号」(吉川弘文館)掲載

 

●大正10年(1921年)8月31日「日本鉄道史」(鉄道省)

明治~大正の日本の鉄道の歴史を綴るこの書籍の中に吉田禄在の名前は出てきません。もっとも国の一大事を名古屋区長が左右したとは、あったとしても書けなかったであろうとは思いますが…。

ただ国立公文書館、国立国会図書館のデータベースが充実し、その中から様々な資料を探し当て、新しい発見をした方たちがいます。中区役所に設置された吉田禄在の解説が「名古屋駅の誘致」という言葉で留めているのは、そうした「名古屋の将来を信じて行動した名古屋区長」がいた事実だけでも名古屋市民に知って欲しいという意図があったのかも知れません。

ところで『新しい発見をした方』も仰っていましたが、吉田禄在の「名古屋駅の誘致」が単に陳情だけだったとしても、それで彼の功績が揺らぐものでないということ。それは私も同感です。

歴史の研究をされている方達の積み重ねにより、事実が更新されていくステップを間近で見られる幸せを今、私は感じています。

(参考文献)

●昭和13年(1938年)「名古屋の建設者吉田禄在翁を偲ぶ」(名古屋女子商業学校)他。

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