稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(昭和戦前編9)戦争と鉄道(1)陸軍特別大演習。

ここに一冊の戦前の記録があります。「福井石川両県下ニ於ケル陸軍特別大演習記録」。昭和9年(1934年)5月25日 名古屋鉄道局発行。

 最初に手に取った時、「陸軍の演習記録」って何だろうと思い、最後ページの発行者を見たら「名古屋鉄道局」とあるのでもう一度見直しました。

「福井石川両県下ニ於ケル陸軍特別大演習」が行われたのは昭和8年(1933年)10月24日~26日の3日間。

天皇陛下が東京を出発したのは10月22日。京都で1泊され、福井駅に到着したのは14:35でした。

芦原駅。今は廃線となった国鉄三国線にあった駅で、旧三国芦原電鉄芦原駅(~京福電気鉄道~現在のえちぜん鉄道三国芦原線あわら湯の町駅)との供用駅でした。

記録では10月24日15:50に御乗車とあります。

北陸本線大土呂駅(おおどろえき)。福井駅から南へ二駅目です。

この写真からは当時の兵站(へいたん=部隊の移動、物資の輸送)の一端が垣間見えます。

※写真は撮影順ではありません。

公式の大演習は3日間でしたが、その前後で様々な準備であったり、また諸作業の確認が行われていたようです、

10月28日撮影のこの写真は、クレーンを使った資材の積み込みでしょうか。

10月22日の武生駅。軍用犬を調べてみれば、日本に限らず他の国でもみられました。ただ私はその存在をこの写真を見るまで知りませんでした。

同じく武生駅。軍馬は人や物の運搬に使われましたが、当然ですが、貨車によって運ばれました。

また兵器も貨車(鉄道)で運ばれました。

現代の日本で戦車などを鉄道で運ぶ姿は見られませんが、国外ではまれに見られており、そうした写真を見せていただいたことがあります。またそうした装備に限らず火器を手にした兵隊の列車移動に乗り合わせた経験は私にもあります。車両は異なりましたが、定期列車に乗るのだと、その時は大いに驚きました。

軍用車両も当然のことながら列車移動。戦地は場所を選ばないので、そこへの移動は自力もしくはこうした貨車積載となります。ただ自力での移動は、人員や燃料を含め負担が大きく、現実的でなかったのは容易に想像出来ます。

話は飛びますが、日清戦争(明治27年/1894年7月25日から明治28年/1895年4月17日)で日本が勝利した要因に、鉄道のよる兵員、軍需品の輸送という兵站があったとする著述を見ます。

明治22年(1889年)7月1日に東海道本線新橋駅~神戸駅間が全通。それに接続する山陽本線(当時は山陽鉄道)の神戸駅~広島駅間は、明治27年(1894年)6月10日までに開業しており、特に日清戦争時に大本営が置かれた広島まで、開戦前に東京から鉄道で繋がったことは大きな意味があったとされていました。

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