●昭和36年(1961年)「写真でみる名鉄の今と昔」(名古屋鉄道)
昭和5年(1930年)の時刻表では神宮前駅発10:30、堀田駅発10:32、新知立駅発10:50、東岡崎駅発11:00、伊奈駅発11:21、吉田(豊橋)駅着11:27。表定速度(運転区間の距離÷運転時間(走行時間+停車時分))は約60キロ。当時の電車の性能からすれば「つっ走った」という表現はピッタリだったと思います。
参考までに現在の途中4駅停車の豊橋行き特急の所要時間は46分です。
停車駅でふと疑問に思ったのは堀田駅に停車すること。
これは昭和5年(1930年)の名古屋市電の路線図ですが、当時、堀田駅には市電の終点があり、名古屋市内に向かう乗客の便を図っていたものと推察しています。
●昭和36年(1961年)「写真でみる名鉄の今と昔」(名古屋鉄道)
上の写真の特急は名岐鉄道時代で、この電車の登場後、しばらくしての昭和10年(1935年)8月1日に名古屋鉄道となっています。また当時の名古屋市内の終点は、市電に乗り入れての柳橋ですが、この特急は路面電車区間には乗り入れず押切町の発着となっていました。
押切町駅発08:00、枇杷島橋発08:03、新一宮駅発08:19、新岐阜駅着08:34。(昭和15年10月ダイヤ)
●昭和9年(1934年)「愛知県地図」(国民日記付録)
この地図では、尾張一宮(名岐鉄道の駅名は新一宮)駅から木曽川橋駅に向かう尾西線は存在しますが、新木曽川駅を経て木曽川を渡り岐阜に向かう現在の名古屋本線の路線はまだありません。
それにしても現在の名鉄名古屋本線の岐阜までの延伸が意外と新しいことに、私は驚きを隠せません。
●昭和36年(1961年)「写真でみる名鉄の今と昔」(名古屋鉄道)
昭和12年(1937年)に登場した2つの形式。左は名古屋~岐阜を結んだ850系。右は名古屋~豊橋を結んだ3400系。ここまで書いていてつくづく思うのは、名古屋にとっての昭和12年が如何に躍進の年であったかと言うこと。実は私自身、このシリーズを書いていて初めて知った次第。郷土史の研究をされている方が私の知人にもおられますが、それにはまっていく気持ちが理解できる今日この頃。
850系の写真は、NPO法人名古屋レール・アーカイブスでも所蔵しています。昭和17年(1942年)の撮影。