8月15日に「名古屋の鉄道136年史。昭和34年(1959年)、近鉄名古屋線が軌間を1067ミリ⇒1435ミリに改軌。」と題し、伊勢湾台風の襲来と近鉄について書きましたが、今回は名鉄です。
撮影は名古屋鉄道の元社員で、名鉄パノラマカーの生みの親にして、大井川鐵道で蒸気機関車の修復・動態保存を行い、1976年にはC11形227号を大井川本線で走らせる原動力となった白井昭さん。またNPO法人名古屋レール・アーカイブスの初代理事長にして現在は顧問です。
その白井さんは、昭和30年前後から膨大な写真を撮影され、なおかつ現在もその全てを手許に保管されています。それらの貴重な記録をNPO法人名古屋レール・アーカイブスの会員さんがここ数年かけてコツコツとデジタル化されており、その中から伊勢湾台風の記録をほんの一部ですが紹介します。
これまで数々の災害復旧の記録写真を目にしていますが、これほど印象に残っている1枚はありません。
まだ水が引き切っていないにも関わらず、それでも電車を走らせられるまでに復旧させ、そして運行を再開させた名鉄。その強い決断を感じさせてくれます。
※路盤を嵩上げして、まず単線で開通させたそうです。
電車の不通区間では、船による代行もされていました。あまり知られていないこれも貴重な1枚。
復旧工事の現場。昭和30年代の作業がどのように行われていたかが見てとれます。
伊勢湾台風で、どれほどの水位になったかが一目で分かる標識。高潮の脅威と恐怖を感じさせます。
現在ではあまり見かけなくなりましたが、昭和の時代、名古屋市の港区を始めとした伊勢湾沿岸では、自宅を作る際、土地を1メートルほど嵩上げし、その上に家を建てた方が多くおられました。今でもそれはたまに見ることが出来、家が建てられた時期をそれで知ることになります。
●1961年(昭和36年)「写真でみる名鉄の今と昔」(名古屋鉄道)
ここからは名古屋鉄道の記録写真からの紹介。被災状況もさることながら、ここでも復旧なった路線が、完璧とは言わないまでも、まずは公共交通機関としての使命を果たすという矜持(きょうじ)を感じさせるものです。
線路の上はかろうじて片付いていますが、それ以外はまだ手つかずであることが分かります。
こうした記録写真ですが、今は伊勢湾台風の周年でしか目にすることが無くなりつつあります。
今回は日本の鉄道150年に合わせこれらの写真をご覧頂きましたが、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉があります。是非皆さんの記憶に留めて頂ければと思います。