稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋市電/八熊東線東西連絡線。

唐突ですが、最近金山に出掛けることが多いので、その界隈を走っていた市電の話。

●昭和36年(1961年)4月「名古屋市街図」(和楽路屋)部分

昭和36年の現在の金山駅辺り。名古屋市電全盛期が良く分かる地図。名古屋市電金山橋電停の左側が現在のJR、名鉄、地下鉄の金山総合駅の場所。

ここでの注目は金山橋の南側にある「沢上町」~「池内町」間にある現在のJR・名鉄の跨線橋。

●昭和21年(1946年)6月1日「名古屋市 ローマ字入 交通図」(清正堂書房)

進駐軍がいた時代なのだからでしょうか?ローマ字入りの交通図。戦直後の時代を象徴しているようです。

その金山橋駅付近。現在の地図との違いは、「沢上町」~「池内町」間にJR・名鉄の跨線橋が無いこと。

●昭和27年(1952年)3月「電車運転系統図」

「池内町」~「金山橋」~「沢上町」を結ぶ系統は、池内町から金山橋へと、名鉄の線路に沿って走って行き、それから折り返すような急角度で南方面に向かう線路に進入していました。

これが表題の八熊東線東西連絡線で、昭和19年(1944年)12月30日の開業。

●撮影:倉知満孝

左側の先が池内町。右側が名鉄名古屋本線。

左が名鉄金山橋駅(当時)。正面の坂を上ったところが金山橋電停のあるところ。風景ががらっと変わっているのでイメージが掴みにくいですね。

この線は、昭和29年(1954年)7月1日 に、一番最初の地図にあるJR・名鉄の跨線橋が完成し、廃止されています。昭和の20年代。当時は、今の幹線道路はまだ整備中で、名古屋の町はまだまだ発展途上でした。

●昭和41年(1966年)2月「最新名古屋市街図」(日地出版)

昭和41年の路線図。高辻、池内町方面から金山橋方面への系統は沢上町で右折し、北上する形になりました。

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