姫路城って広いのですね。想像していた以上です。
さてその美しさから別名白鷺城の名前がありますが、その読み方はてっきり「しらさぎじょう」と思っていたら、間違いではないものの地元では「はくろじょう」と呼ぶことを知りました。
※姫路城の直ぐ近くにある姫路市立白鷺小中学校=ひめじしりつはくろしょうちゅうがっこう
※白鷺橋=はくろばし
城内に入ります。これから6階まで階段を登ります。
結構な急傾斜。400年以上の長きに渡り、ここをどれほど多くの人が行き来したことでしょう。
私はえっちらおっちらゆるりとな。
人が写っていませんが、実は修学旅行生、インバウンドの観光客が多く、これは奇跡の時間。
おかげで私の足(階段はゆっくりでしか登れない)でも他の方を待たせることなく最上階まで行くことが出来ました。
天守閣からの絶景。姫路駅方向。
ぐるりと一周。
天下を取った気分になれます。
武具の置き場所。ここは鉄砲ですが、槍の置き場所もありました。
姫路城の軸組構造模型。
実物の1/20の大きさ。
昭和の大修理と呼ばれる1956(昭和31)年~1964(昭和39)年の全解体修理の際に、工事の検討用に作られたそうで、姫路城という木造巨大建造部物が、どのように建てられているかを垣間見ることが出来ます。
国宝、世界遺産とも理由があってこその肩書き。それは感情論ではなく、文化的価値という普遍的な物差しに合致するものだけが選ばれるもの。
これまであまりそうしたことを深く考えたことはありませんでしたが、今、文化庁作成の「日本の世界文化遺産」の地図を見つつ、日本の文化史を巡る旅も興味深そうと思い始めています。
1609(慶長14)年に完成した現在の天守を中心にした城下町・姫路。
突然ですが、名古屋人としては気になる名古屋城との大きさ比較ですが、やはり御三家の一つ、名古屋城の天守の方が大きいそうです。
ただこの城下を見ていると、姫路の町の大きさも相当なものであったであろうとは容易に想像できます。
現在、名古屋城の木造での再建が取り沙汰されています。城郭としての国宝第一号であった名古屋城の今後は気になるところです。
どこかで水鏡が撮れないものかと捜していたら(今一つながら)最後の最後に見つけました。
余談ですが、姫路地域は日本国内のマッチの80%を生産しているそうです。
そのマッチは世界に輸出され、明治時代~昭和初期のパッケージには姫路城が描かれていました。(解説から抜粋)