12月20日にアップした「水島臨海鉄道全線制覇の旅(2)キハ35系のこと。」で、水島臨海鉄道を短い期間に2度訪問していることを書きました。今日はその謎解き。
私が持っている一番古い時刻表、「国鉄監修 交通公社の時刻表 1967 8」(日本交通公社刊 1967/昭和42年8月1日発行)。
現在の「倉敷市駅」は当時、「倉敷駅」だったようです。
それ以前に、当時は水島臨海鉄道ではなく倉敷市交通局。そして1970(昭和45)年4月に、水島臨海鉄道となりました。
その後、1972(昭和47)年に水島駅~三菱自工前駅間が旅客営業を開始し、現在の姿となっています。
先日書いた通り、私が最初に水島臨海鉄道に乗ったのは1978(昭和53)年4月17日のこと。
その時、水島臨海鉄道の終点が三菱自工前駅であることを知ったようです。
なぜこのような書き方をするかと言うと、当時(1978/昭和53年)の時刻表には、何故か「三菱自工前駅」が無いのです。路線図、時刻の掲載ページともです。
そのため、私は水島臨海鉄道の終点が水島駅と信じ込んでおり、ところがどっこい現地で衝撃の事実を知り、但しその日は名古屋に戻る必要もあり、たった1駅の区間を後日に残したものと思われます。
※1978年10月号の時刻表では、まだそのままでした。
1979(昭和54)年5月30日、無事に水島臨海鉄道完乗。
当時の心境は全く思い出せませんが、そんなこともあるのだろうと自分の不運を嘆いていたのではないでしょうか?
ところで当時、なぜ時刻表が「三菱自工前駅」に対応していなかったかですが、今も水島駅での折り返し列車が半分ほどあり、また当時は数本の列車を除き、大多数の列車が水島駅で折り返していました。それが本当の理由かどうかは今となっては分かりませんが、それくらいしか私には理由が思いつきません。もっとも官公庁への届け出で、「臨時」駅扱いだったということも考えられますが…。