戦後の日本。1949年(昭和24年)に東京駅~大阪駅間を結ぶ特急「へいわ」が登場。翌年1月、その列車は「つばめ」と改称。またその年の5月には姉妹列車の「はと」も登場。その後、昭和30年(1955年)7月20日に、東海道本線稲沢~米原間が電化されるまで、名古屋界隈ではC62形蒸気機関車がその牽引の重責を担っていました。
C622。通称スワローエンジェルが牽く特急「はと」。撮影時期は昭和20年代後半。
海外には本線を走行できる保存蒸気、保存客車が結構あって、時折往時を彷彿(ほうふつ)させる観光列車が運転されています。この姿を見ると、どうして日本ではそれが出来ないのかとても残念な気分になります。
と、言いたくなるほど美しい編成です。
名古屋駅。東海道本線の電化が名古屋まで達したのは昭和28年。列車の上には架線が見えていますが、雰囲気としてはそれ以前ではないかと推察しています。まあ、あまり根拠はありませんが…。
右奥には立ち売りの方が2名。駅弁屋さんであることは間違いなさそうです。
ダブルルーフの展望車。展望デッキの紳士。ただ手を振っているだけなのに何故か大物感を感じるのは私だけでしょうか?
南米ペルーの観光列車の展望車。こんな列車が東海道本線を走ったら、絶対に乗りに行く!
やっぱり展望車は格好良い!
古き良き時代とは言うけれど、それは郷愁の中だけの世界かも知れません。でも、こんな列車で旅をしてみたかったとは偽らざる心境。もっとも庶民の手が届いたかどうかは別。
名古屋駅から展望車に乗り、東京に半日かけて向かう。そんな時代の記録をNPO法人名古屋レール・アーカイブスは所蔵しています。