稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(昭和戦前編38)伊勢電気鉄道で生まれ、近畿日本鉄道でも活躍した電車。

●昭和15年(1930年)頃「名古屋へ 奉祝紀元二六00年」(橿原神宮総合観光案内所 名古屋観光案内協会)

紀元2600年については私の力では簡単に解説できませんので恐縮ですがご自分でお調べ下さい。

その紀元2600年の記念式典の中心となったのが奈良県の橿原神宮。

おそらくはそこに集まる参拝客に名古屋への旅行を促すために作られた冊子。

名古屋乗り入れ時は関西急行電鉄だった鉄道は、昭和15年(1940年)に参宮急行電鉄と合併しており、この冊子でも「参急」となっています。

NPO法人名古屋レール・アーカイブスが所蔵する関西急行電鉄米野車庫で昭和16年(1941年)に撮影された写真。モニ5105。

伊勢電気鉄道デハニ101形電車として昭和元年(1926年)に誕生した電車で、昭和11年(1936年)9月15日の参宮急行電鉄への合併時にはそのままの形式でしたが、その後の関西急行電鉄の誕生でモニ5101形となった電車です。

同じく米野車庫で撮影されたモニ6232。

伊勢電気鉄道デハニ231形電車として昭和5年(1930年)に登場。関西急行電鉄となった後に モニ6231形となった電車です。座席は転換式のクロスシートを使用したセミクロス式で、急行用として運用されました。

なおこの頃の関西急行電鉄~参宮急行電鉄の名古屋から中川までの路線の線路幅は1067ミリ。現在の1435ミリではありません。参宮急行電鉄が買収した伊勢電気鉄道がもともと狭軌(1067ミリ)だったからですが、それでも2つの線路幅の電車を乗継ぎ、名古屋~大阪間を約3時間で結んでいました。

これは昨日アップした「大軌・参急・関急沿線案内図」の裏面にあった所要時間表。

名古屋~大阪間での乗継駅が参急中川駅となっているので昭和13年(1938年)12月7日以降で確定。その関急名古屋駅~参急中川駅間で急行の重責をになった形式の一つがモニ6231形。

ところで俗に「歴史にもしもは無い」と言われますが、それでも伊勢電気鉄道が経営不振に陥らなければ、今の近畿日本鉄道名古屋線は無かったかも知れません。今回、近鉄名古屋線の「前史」を書きつつ、そんなことを考えていました。

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