稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(明治時代9)明治31年。名古屋市電の開業。

昭和49年(1974年)3月31日まで市民の足として活躍した 名古屋市電。

その歴史の始まりは今の名古屋市交通局のような公営ではなく、民間企業である名古屋電気鉄道の手によるものでした。名古屋電気鉄道は後(現在)の「名古屋鉄道」の母体となった会社で、今は郊外鉄道の名古屋鉄道ですが、原点は名古屋市内の公共交通にありました。

●昭和27年(1952年)10月10日「 鉄道80年のあゆみ 」(日本国有鉄道)

東京・新橋駅前の馬車鉄道。東京での都市交通(公共道路上への鉄道敷設)のスタートは電車ではなく、明治15年(1882年)開通の馬車鉄道。当時、まだ電気鉄道はなく、電車による公共交通の始まりは明治28年(1895年)2月1日の京都市でした。 

さて名古屋。

名古屋でも名古屋駅と愛知県庁を結ぶ広小路が整備され、そこに鉄道を敷きたいという声が上がったのは自然の流れ。

もっとも紆余曲折はそれなりにあったようで、それでも明治27年(1894年)6月25日には「愛知馬車鉄道」が設立されました。とは言うものの馬車鉄道とは許認可手続きのための方便で、実際には当初から電気鉄道としての計画だったと「名古屋鉄道社史」(昭和36年(1961年)5月16日)には書かれています。

●明治29年(1896年)6月19日「時事新報」

この新聞記事は、明治29年(1896年)6月3日をもって愛知馬車鉄道は、馬車鉄道から電気鉄道となることが内務大臣に認められたという広告。京都で電気鉄道が走り始め、電車の実績が出来たことが影響したのかも知れませんが、愛知馬車鉄道の定款にあるのは「名古屋市内及其接続枢要ノ地ニ於テ運輸ノ業ヲ営ムヲ以テ目的トス」であり「馬車鉄道」とは一言も無く、確信犯だとすれば天晴れとしか言いようがありません。

そして明治29年(1896年)6月19日、愛知馬車鉄道は名古屋電気鉄道に社名を変更するのでした。

(参考:昭和36年(1961年)5月16日「名古屋鉄道社史」(名古屋鉄道))

かくして明治31年(1898年)5月6日、笹島(当時の名古屋駅前)~県庁前間の2.2キロに日本で2番目の電気鉄道は開通し、この「市電最古路線 栄ー笹島町 廃止記念乗車券」に描かれた電車が走り始めました。

ところで当初開通した笹島~県庁前間の場所をもう一度確認してみましょう。

●名古屋市役所のウェブサイト~観光・イベント情報~名古屋市のプロフィール~市の概要~(現在の位置)市域のうつりかわり

名古屋市は明治22年(1889年)10月1日に市制を施行しており、その後周囲の市町村を合併して拡大していきます。この図は名古屋市がどの時期に「市域」を広げていったかを表した図。赤丸の中が当初の名古屋市のエリアです。多分、名古屋市の歴史に詳しくない人がこれを見たらきっと驚かされるはず。私の住んでいる町は最初から「名古屋市」だと信じている方は多いと思うからです。

赤丸の部分を拡大。

そこに名古屋駅と笹島の位置をはめ込んでみる。

何と名古屋駅のあった場所は「名古屋市」ではなく「愛知県愛知郡那古野村」で、名古屋電気鉄道開通後の明治31年(1898年)8月22日に名古屋市に編入されたのです。

(参考:平成4年(1992年)3月31日「なごやの町名」(名古屋市計画局))

 

●明治31年(1898年)5月7日「新愛知」

開通翌日の新聞記事。

「電車の開通は当地初めてのとなれば物珍しさに乗客又は見物人非常に夥多しかりしも其筋にて沿線各所に警官を派して注意怠りなかりしにぞ幸いに怪我人もなく午後六時限り運転を休止したり右に付昨日広小路通の賑合ひは一方ならざりき」

当時の熱狂ぶりが伝わってくる内容ですが、「怪我人もなく」て何よりでした。

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