昭和5年(1930年)10月10日発行の「名古屋市人口百万記念大会絵葉書」。
なおタイトルで「100万人を突破(?)」とした理由は後ほど書きます。
袋に入っていた絵葉書の1枚目は熱田神宮と中川運河。中川運河は意外だと思われる方もおられるでしょうが、当時の名古屋にとっての一大プロジェクト。昭和5年(1930年)に主要区間が完成し、昭和7年(1932年)に全線の供用が開始されました。中川運河は鉄道との密接な関係があり、これについてはまた日を改めて紹介します。
2枚目は名古屋城と名古屋公会堂。公会堂とあるのは鶴舞公園で今も現役の「名古屋市公会堂」で、昭和5(1930)年9月30日の完成、昭和5年10月10日の開館ですからこの日に合わせて絵はがきが発行されたのではと思っています。
ただ名古屋公会堂は人口百万記念のモニュメントではなく、昭和天皇のご成婚を祝し、名古屋市の記念事業として大正13年(1924年)1月に建設が決まっています。
新式ボギー車と旧式単車、そして乗合自動車。
敢えてトリミング。この電車、昭和4年(1929年)から製造が始まった1300型は、1両で走る名古屋市電では全長が最大の14.03メートル。あと1メートル半長くなれば地下鉄東山線の電車と同じ長さ(15.58メートル)になるほどの圧倒的な存在感のある電車でした。
昭和45年(1960年)12月21日に、私もたった1枚ですが現役時代の写真を撮影していました。勿論乗ったこともあり、私の好きな形式でした。
●昭和8年(1933年)9月21日「大名古屋」(名古屋市役所)
名古屋市の歴史を「大化の改新」時代から綴った書籍。もっとも大半は発行時の名古屋市の概況です。
名古屋を代表する建造物の一つであると私が思っている名古屋市役所(本庁舎)。昭和8年(1933年)9月6日竣工で、国の重要文化財となっています。
で、タイトルの人口の件です。
この本(大名古屋)の中の38ページに、昭和4年(1929年)の人口が100万1838人と記載されており、前年が94万9966人ですから昭和4年に晴れて人口が100万人を突破したことになります。
但し、、、
それで「ハイッ、そうですね」とならないのが私の性分で名古屋市役所の公式ウェブサイトで調べました。
> キッズなごやトップページ> なごやについて知ろう> でーたぶっく> (現在の位置)人口
人口が100万人を突破…1934年(昭和9年)10月1日 1,017,700人
とありました。
別のページには「大正14、昭和5、10、15年:推計人口と国勢調査人口との食い違いを補正。」ともあり、近年になってより正しい数値を計測し直して現在に至っていることが読み取れ、よってタイトルで「?」を付けました。
もっともそれで昭和5年に発行された絵はがきの価値が揺らぐものでなく、また工業の発展が町の基盤を作り、それに連れて毎年万人単位で人口が増え続けていた名古屋の勢いを過小に評価するものではありません。
そしてそうした人口の増加は公共交通機関の整備を進め、市電や市バスの交通網は飛躍的に充実していきます。