ららぽーと名古屋と港区役所の間にある橋。
その名も平和橋(へいわはし)。
『当時あった港北運河に架ける橋として博覧会のために約13万円をかけて建設され、その名も博覧会の「平和」をとって名付けられた。親柱はアール・デコ調の装飾を持ち、博覧会のシンボルタワーであった「平和の塔」のデザインを模している。博覧会会場の現地に残る唯一のものである。』名古屋市トップページ> 暮らしの情報> 教育と文化と交流> 文化・交流> 名古屋市の文化財・芸術施設> 認定地域建造物資産
なお「へいわばし」と「へいわはし」と2つの読み方が混在しています。
平和の塔を再掲。
見比べて納得。
リベットが目立つのは年代物である証(あかし)。市電が行き交った港北運河(今は埋め立てられて港北公園となっている)に架かっていた橋。今はこの橋の下を地下鉄名港線が走っています。
最後に名古屋汎太平洋平和博覧会の絵はがき。このデザインはポスターにも使われており、朝日新聞社の名古屋汎太平洋平和博覧会画報の表紙も恐らくですが、原画は同じと思われます。
そしてこの図案を描いたのは杉本健吉画伯(1905年~2004年)。
(参考:名古屋市博物館> コレクション> 思い出の絵はがき> 博覧都市NAGOYA)
杉本画伯は名鉄7000系パノラマカー=スカーレット、名古屋市営地下鉄東山線=ウィンザーイエローと言ったような名古屋の鉄道車両のイメージを確立した立役者。画伯の現役時代と私の社会人人生が重ねっていることから、昭和12年(1937年)に既に現役だったことが驚きでしたが、名古屋を代表する画家である画伯はその時既に32歳。その功績がこうして残されている事は何の不思議もありませんでした。