稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(大正時代2)大正期の日本の鉄道。

今日は大正期の鉄道を見てみましょう。

東京停車場開場紀念絵はがき。

大正3年(1914年)12月20日に日本の鉄道の中央駅として「東京駅」が開業しました。この絵はがきの写真撮影時はまだ工事中と思われ、取りあえず開業日に(販売開始を)間に合わせるべく作ったモノと推察。

この絵はがきは開業時では無く、少し時代が下った時期の撮影と思われる1枚。威風堂々。

現代の東京駅。当時のままを復原されたことに私は敬意を表します。

解説しないと何の写真かさっぱり分からない1枚。1067ミリの線路幅を1435ミリに広げる広軌化試験の模様。八浜線(現在の横浜線)原町田駅(現在の町田駅)~橋本駅で行われたのですが、この写真は“整備工場”での1枚。試験は大正6年(1917年)に行われたものの、結局在来線の改軌は見送られました。ただ実際に広軌化が議論だけだったわけでは無く、こうした実験も行っていた事は歴史の一ページに留めても良いと思い、ここで触れることにしました。

時代は下り大正10年(1921年)。日本の鉄道開設50年の記念すべき日がやってきました。

とは言うものの明治5年(1872年)が開業した年なので、「周年」ではなく、50年目に入った記念絵はがきでしょう。ところで東京駅の下の建物は当時の「鉄道省」。記念印で読みにくくなっているので補足しておきます。

舊=旧で合っていると思うので上の蒸気機関車は「旧式機関車」。で、探したものの2Bの軸配置の機関車を見つけられず。改めて探します。分かったらこのブログで報告します。

下の写真は8620形。連結器が自動連結器となるのは大正14年(1925年)なのでこの頃はまだねじ式連結器。ただ私にとってのリアルな8620形は「特急牽引機」ではなくどちらかと言えばローカル線の機関車。もっともSL人吉が熊本駅~八代駅間で鹿児島本線を突っ走るのを思い出し、大正時代なら「特急」で当然と納得。

同じく8620形。場所は参宮線宮川鉄橋。8620形の登場は大正3年(1914年)からで、一方、国有鉄道での2軸客車の製造はその時点で既にしていなかったはずなので、この写真は大正半ば頃の撮影と推察します。単車+ポギー車の混在編成とはいえ、長い列車長であることは間違いなく、江戸時代から連綿と続くお伊勢参りパワーの強さを感じます。

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