今ある名古屋鉄道という会社は、昭和10年(1935年)に名岐鉄道(名岐)と愛知電気鉄道(愛電)が合併して発足しました。
実はそれ以前、大正10年(1921年)から昭和5年(1930年)の間にも名古屋鉄道と名乗る会社が存在していました。(旧)名古屋鉄道は名古屋電気鉄道が大正11年(1922年)、名古屋市内の路面電車を名古屋市電気局に譲渡する際、郊外線を引き継ぐために作られた会社で、その後美濃電気軌道と合併する際に、名岐鉄道と名前を変えています。
名古屋鉄道の乗車記念の絵はがき。右上の電車は3400系で正解だと思いますが、であれば昭和12年(1937年)の登場なので、この絵はがきはその頃に配布されたものと思われます。最下段の電話番号の変更が気になるものの、何があったか私の力ではさっぱり分かりませんでした。
どんな絵はがきかを見ていきましょう。これを見れば、当時の名鉄の「推し」が分かります。まずは岐阜県。「谷汲山」「中山七里」「長良川鵜飼」「下呂温泉」「金華山」「長良川下り」。中山七里と下呂温泉があるのは当時、名古屋(柳橋)から下呂温泉への直通電車が走っていたこともその理由ではと思っています。(拙ブログ:2022年4月27日更新記事)
長良川下りという“観光船”があったようです。木曽川の日本ライン下りはつとに有名でしたが、これは知りませんでした。現時点で詳細不明。
こちらは「鬼岩遊園」「蘇水峡」「日本ライン」「犬山公園」「入鹿遊園地」「蒲郡」。「日本ライン」は景色しか残っていないのが残念です。「犬山公園」は、現在の名鉄犬山遊園駅の西一帯。
ほぼ知多半島。「南知多」「内海礫(つぶて)ヶ浦」「内海海水浴場」「新舞子海水浴場」「長浦海水浴場」「新舞子帝国大学水族館」。右下の「小倉公園」は岐阜県美濃市に今もある小倉公園だと思います。
ここでの注目は「新舞子帝国大学水族館」。新舞子に水族館があったのも驚きでしたが、ここにある「帝国大学」は現在の「名古屋大学」かと思いきや「東京大学」のこと。ネットで検索してのこの結果には驚いた!の一言。
「名古屋信貴山」「野間大坊」「渥美半島」「天竜下り」「河和口海水浴場」。
「天竜下り」は昭和~平成~令和の時代の観光地で知られる長野県飯田市の観光船ではなく、静岡県浜松市佐久間町にあった船下り。
よくよく船を見てみれば「プロペラ船」という事が分ります。観光用ではなく、省線の駅のある中部天竜(なかっぺてんりゅう)と西渡(にしど、現在の静岡県浜松市天竜区佐久間町大井)を結ぶ地元住民の足だったようですが、昭和15年(1940年)に廃止されています。
※中部天竜(なかっぺてんりゅう)駅が中部天竜(ちゅうぶてんりゅう)駅に改称されたのは昭和18年(1943年)のこと。
(参考:浜松市東区役所「東区の文化誌 東方見聞録 知る区ロードへの誘い」45ページ『東区役所まちづくり推進課東方見聞録編集委員会』2011年刊