8月22日(木)。
三河田原駅から徒歩で15分ほど。タクシーならあっと言う間。あまりの暑さに負けて往路はタクシーに乗りました。
会場入口の電車は菜の花編成。折角なのでこの編成でここ田原市博物館に来たかったのですが、それは叶いませんでした。
さて本題。今回のこの企画展にはNPO法人名古屋レール・アーカイブスも写真提供で協力しており、それもあって見に来ることにしたものです。
タイトルにある開業100周年ですが、豊橋鉄道渥美線は1924(大正13)年、(当時の)渥美電鉄が高師~豊島間をまず開業。同年中に田原(現在の三河田原)まで開通しています。
渥美電鉄はその後、1940(昭和15)年に名古屋鉄道に吸収されて名古屋鉄道渥美線となり、現在の豊橋鉄道渥美線となったのは1954(昭和29)年のこと。
豊橋市と田原市を結ぶ18.0kmの鉄道路線は、こうした100年の歴史を経て、地域住民の足として愛され続けているのです。
(企画展示室1は撮影禁止ですので、写真はありません。)
今回の企画展は、タイトル通りその100年の歴史を紐解くもので、先に感想を書くと、ここに展示物をお見せできないのが残念なほど見応えのある内容です。
もしここに足を運ぶことを考えている方には、最低でも1時間、じっくり見て回るには数時間を確保して来館されることをお勧めします。
担当された学芸員さんの熱量を確実に受け取ることができます。
こちらは撮影OKの企画展示室2。
渥美線がかつて三河田原駅の先まで路線があり、更に伊良湖岬まで延長される計画があったことの展示もあります。
かつての終点、黒川原駅の解説は興味深く、飽きない。
企画展示室2の展示で注目して頂きたいのは「渥美線電車、米軍機に銃撃される」。
銃撃があったのは終戦前日の1945(昭和20)年8月14日。地元の成章中学(現・県立成章高校)の生徒ら31人が死傷しました。それにしても終戦前日の出来事。言葉が出ません。
名古屋レール・アーカイブスが提供した写真の1枚がここで使われています。
J.W.ヒギンズ氏が撮影したモ152。この写真は2両編成ですが、当時はモ152の単行運転で、正に機銃掃射を受けた電車。その後、修復されて現役に復帰し、こうして地域の足として活躍していました。
会場では、「渥美線電車、米軍機に銃撃される」の展示と共に、「伝える、あの時の記憶」という地元のケーブルテレビ局制作のドキュメンタリーが上映されています。
19分ですので、是非、全編をご覧頂きたいと思います。渥美線100年の歴史の中で、語り繋がなければならない出来事であることがヒシヒシと伝わってきます。
私は、展示にあった慰霊碑の写真の場所に行きたいと思い、田原市博物館の学芸員さんからその場所を教えて頂き、足を運びました。
今年も豊橋市の高校生や地元の方が花を手向けた(たむけた)と聞きました。
三河田原駅から一駅、豊橋よりの神戸(かんべ)駅から、線路の南側の道を、東に数分歩いたところに慰霊碑があります。この写真では左端に駅のホームが見えますが、この新豊橋駅行きの電車を撮影した場所が慰霊碑のある場所です。
この現場の先には(当時は)森があり、米軍機に気付いた電車の運転士さんは、何とかそこまで逃げ切れないかと電車を走らせたそうですが、間に合わなかったそうです。
愛知県田原市博物館「開業100周年 渥美線展」。私個人としては、博物館の展示を見た後に、ここも訪れて頂きたいと思いました。
なお9月1日(日)には学芸員さんによるギャラリートークが開催されます。
*13:30~(一般向け)
*15:00~(鉄道が好きな方向け)
申し込み不要ですので、お出かけになっては如何でしょうか?
田原市博物館『開業100年 渥美線展(企画展示室)』
開催期間…9月29日(日)まで
開館時間…9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日…月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)
アクセス…豊橋鉄道/新豊橋駅~三河田原駅(35分)
三河田原駅から徒歩15分
※渥美線1DAYフリーきっぷ(1200円)もあります。入館料が団体料金となり、博物館の窓口で記念品プレゼントもありとのこと(無くなり次第終了)。
どこかで一回途中下車すれば元が取れます。
(ギャラリートークの日程変更について)
9月1日(日)に予定されていました学芸員さんによるギャラリートークですが、台風10号の影響で、9月16日(月・祝)に延期されました。
この日に田原市博物館への訪問を予定されていた方はご注意下さい。