稲見駅長の鉄道だよ人生は!!

稲見眞一

名古屋の鉄道136年史(昭和戦前編5)昭和3年(1928年)に開催された御大典奉祝名古屋博覧会と鶴舞駅。

御大典奉祝名古屋博覧会(ごたいてんほうしゅくなごやはくらんかい)。

(イベント概要/名古屋商工会議所 > 昭和3年(1928)御大典奉祝名古屋博覧会から転載)

昭和天皇の即位記念と生産の改善・商勢の拡大を目的に開催。本館・機械館・農林館・電気館のほか、大礼館・国防館・美術館・衛生館・歴史館などが作られ、展示品は約10万点にも及びました。

(イベント期間と入場者数)

名古屋市の鶴舞公園で昭和3年(1928年)9月15日〜11月20日の期間で開催されたイベントで、来場者数は約194万人。このブログで4月5日にアップした「第10回関西府県連合共進会」の263万人には達していないものの当時の交通事情に鑑みれば巨大イベントであったことは間違いありません。

●昭和4年(1929年)8月31日「御大典奉祝名古屋博覧会総覧」( 名古屋勧業協会)国立国会図書館デジタルコレクション
ちょっと画質が荒いですが、会場の空中写真。矢印のところが正門で、広大な鶴舞公園全体を使って開催されたことが分かります。

このイベントの入場者の輸送を支えた交通機関の一つに今のJR東海中央本線があります。この写真で巨大な正門を横切るように見える『橋』らしきものがそれです。

会場鳥瞰図では、正門の直ぐ下を斜めに横断している直線が中央本線です。

●昭和5年(1930年)5月10日「名古屋市街全図」(武内時雄)

御大典奉祝名古屋博覧会から2年後の鶴舞公園界隈の地図。鶴舞公園と中央本線の位置関係をここで確認。今はある鶴舞駅の姿はまだなく、市電の鶴舞公園電停に隣接して鶴舞駅が“正式”に開業するのは昭和12年(1937年)4月21日のことです。

が、実は御大典奉祝名古屋博覧会の会期中、ここに臨時の『駅』が開設されていました。

●昭和4年(1929年)8月31日「御大典奉祝名古屋博覧会総覧」( 名古屋勧業協会)国立国会図書館デジタルコレクション

その名も「鶴舞公園駅」。「鶴舞駅」では無かったのが意外なのか、そもそも臨時駅から正式な駅となった時に「鶴舞公園駅」とならなかったのが意外なのかはともかく、ただ私・個人的には「鶴舞公園駅」となって欲しかったとここでは書いておきましょう。

とまあそれはそれとして8620形の牽く客車列車から下車した乗客が降り立ったホームは板張りに見えます。如何にも仮設と感じましたが如何でしょうか?ところで戦前の昭和にあってこうした仮設駅、臨時駅はどれほど存在したのでしょう?名古屋ではまた後日書きますが、昭和12年(1937年)に1駅あります。が、ネット検索ではそれ以外に出てきません。当時の鉄道事情からして、駅の設置の交渉相手は国だったでしょうから、“国家事業”的なイベントでのみ認められた特例中の特例であると思われます。

鶴舞駅の話しはこれくらいにして御大典奉祝名古屋博覧会ではこんな本格的な鉄道(子供汽車)が園内を結んでいました。

全線で約390メートルですからそれほど長い距離ではありませんが期間中7万3千人が利用しています。よく見れば車内は子ども達で一杯。きっと笑顔が溢れていたことでしょう。と言いたいところですが、記録によれば大人の乗車券の方がたくさん発売されており、大きなお友だちも楽しんだと言うことでしょう。

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