A級戦犯の最期に立ち会った人物の声 歴史的な資料を愛知・碧南市の寺院に追った
歴史的に重要な資料が、私たちの身近な場所に残っていました。
向かったのは、愛知県碧南市にある「蓮成寺」。500年以上続くこちらのお寺で迎えてくれたのは、住職の青木馨さん(66)です。
「このカセットテープなんですけど、非常に価値の高いものですね」(蓮成寺 青木馨 住職)
保管されていたのは、1本のカセットテープ。早速聞いてみます。
カセットテープの音:
「いよいよ死に直面したこれらの人たちの気持ちを、子々孫々へ伝えねばならないのです」
穏やかな声で語り続ける男性。一体誰なのでしょうか?
「教誨(かい)師の花山信勝という方」(蓮成寺 青木住職)
教誨師とは、刑務所などで受刑者に対して精神的なケアなどを行う人のこと。
花山信勝さんは戦後、GHQ管理の下、戦犯者が収容されていた「巣鴨プリズン」で、教誨師を勤めていた僧侶です。
このテープは、晩年の花山さんが当時の体験を記録として残したものでした。
故・花山信勝さん(カセットテープの声):
「誰も知っていない東条さんの最後が、どうであったかということの点を申し上げたい」
花山さんは、太平洋戦争開戦時の首相で、A級戦犯として絞首刑になった東条英機とも面談していたのです。
故・花山信勝さん(カセットテープの声):
「(東条英機は)“巣鴨プリズンに入ってから、初めて人生という問題について考える余裕ができた”と言われたのです。気の毒な人だったなと思います」
1948年12月、東条らA級戦犯者7人の死刑が執行され、連合国の代表らとともに、唯一の日本人として立ち会ったのです。
「これが初めて(花山さんが) このお寺にみえた時の写真なんですね」(蓮成寺 青木住職)
青木さんの父親・順正さんと親交のあった花山さんは、処刑に立ち会った約3か月後に蓮成寺を訪問。
講演で、当時の様子を語りました。
「(花山さんの話を聞くために) 人が庭まであふれているんですね。たくさんの身内を亡くした人たちも、日本の指導者にひどい目に遭わされた。その人(東条)がどんな形で亡くなったかというのは関心があったわけですね」(蓮成寺 青木住職)
花山さんだけが知る東条の最期。
多くの人が犠牲になった悲劇の責任者は、戦争についてこのように語ったといいます。
故・花山信勝さん(カセットテープの声):
「人間の欲望というものは本性であって、国家の成立というようなことも「欲」からなるのだし 、自国の存在だとか、自衛というようなきれいな言葉で言うことも みな国の欲である」
これは、何を意味する言葉なのか。東条の研究をしている埼玉大学の一ノ瀬俊也教授は、こう説明します。
「東条も戦争に負けた後、“この戦争ってなんで起こったんだろう。自分はその間、何をしていたんだろう”と非常に深く考えたと思います。その中で戦争は人間の欲望によって、起こるものだということを、仏様の道について学ぶ中で悟ったんじゃないかなと思います」(埼玉大学 一ノ瀬俊也 教授)
東京・豊島区にある東池袋中央公園。昼時、多くの人で賑わうこの場所は、A級戦犯者らが収容され、処刑された「巣鴨プリズン」の跡地です。
ここが、昔なんだったのか知っていますか?
「分からないです。学校とかですか」(公園にいた人)
70年以上の月日と共に薄れてきた戦争の記憶。次の世代にどうつなぐのか?
碧南市のお寺で、花山さんが残してくれたテープを大切に保管していた青木さん。
その内容を1冊の本にまとめました(『A級戦犯者の遺言〜教誨師・花山信勝が聞いたお念仏〜』法蔵館)。
「戦争の責任を取った人が、どのように最後に言って逝ったか、もう一回、戦争が終わった時の日本人の出発というところを知っていただきながら、次の世代の平和を考えていただきたいです」(蓮成寺 青木住職)