ロゴ
history
ぜひらー
キーワード
SNS

HISTORY OF 2012

    4月7日「オードリーさん、ぜひ会って欲しい人がいるんです!」(注①)スタート。
    初めて入口から登場したのは、入社7日目の市野瀬瞳アナウンサー(注②)であり、仮アシスタントとして番組に参加することになる。 この4月の放送では、名物ぜひらーの1人「からあげアイドル・雛乃ゆめか」(注③)が初登場と、後に常連ぜひらーとなる個性派が早くも出演。

    5月には「美人だけど足が臭い」という強烈なぜひらーが登場。今も定期的にクチコミがくる「臭い系ぜひらー」(注④)の系譜はここから始まった。

    7月には「絶対味覚を持つ主婦」が登場し利き水に挑戦したが結果は惨敗。ここから番組の鬼門といわれる「利きシリーズ」(注⑤)が始まることに。
    またこのころ、若林のそっくりさん・春日のそっくりさん・春日とスギちゃんの見分けがつかない5歳児などの「そっくりさんブーム」もあった。

    9月に入ると「アシスタント・市野瀬アナの座を狙う福満」が登場。この回では早口言葉で対決した2人だが、その後最も酷い戦いと言われる2人の椅子取りゲーム(注⑥)が番組の対決アイテムの定番に。
    また、陰キャな人ばかりの番組に突如現れた、陽キャぜひらー「名古屋のあやまん・森姉妹」や、当時なぜかYouTube再生回数がぶっちぎり1位だった「10等身なのにモテない男」など、忘れられないぜひらーが続々登場。
    そして番組スタートから半年がたった9月29日の放送は、番組初となるロケ企画「オードリーさん、ぜひ抱っこして欲しい赤ちゃんがいるんです!」(注⑦)が放送された。
    そして2012年度下期になると、今も番組に出演するレジェンド級ぜひらーが登場する。

    10月には、「芸能人ぜひらー・スギちゃん」(注⑧)が初出演。そして「歌う歯医者・原田先生」(注⑨)も同じ10月に初出演。
    11月には「チームマッチョ」(注⑩)が登場。「柔らかいのに硬い」という名言が生まれ、春日のボディビル挑戦とも時を同じくし、空前の筋肉ブームが吹き荒れた。

    また忘れてはならないのが、「ジェンガ最強の男・原田&石原」の登場。当時ガールズバーでその腕を磨いていた若林と熱いバトルを繰り広げ12月1日には、頂上決戦として「オドぜひジェンガ大会」(注⑪)が放送された。
    そして、オドぜひ7不思議の1つともいわれるぜひらーを、ジェンガ最強の男・石原を連れてきた原田が紹介したのもこのころ。それが、現在もYouTube再生回数1,200万回以上と断トツでトップのぜひらー「メガネを外すと雰囲気が変わる・麻生」。ただメガネを外すだけという内容ながら、「これぞオドぜひの真骨頂」という評価を得ている。

    1月には1回だけの出演ながら、これも伝説回となった見た目と言動のキャップが感動的でもあった「ギャル男の介護士」が登場。
    そして同じ1月、ぜひらーの中で最多出演回数を誇るミスターオドぜひ「コンパ王・石黒」(注⑫)が初出演。コンパ戦績600戦0勝。数々のコンパ必勝理論で一躍人気ぜひらーとなり、その後も数々の伝説を生んできた。

    2月には、当時の番組若手ディレクターがプレゼンしあい、その中からオードリーに選ばれたものを実際に行うという実験企画「オードリーさん、ぜひ試して欲しい企画があるんです!」を放送。女性ディレクターが立案した「ラブホテルでゴルフをやる」というロケを、名古屋市内のラブホテルで行い放送した。
    同じく2月には「顔面プリン・村瀬」(注⑬)が初登場。その後「鼻つまようじ・村瀬」としても出演し、一時は番組のスタッフとしてバイトしていたこともあった。

    そして2012年度最後の放送は、「祝1周年・日帰り弾丸温泉旅行」。この1年お世話になったぜひらーとオードリーで、愛知県蒲郡市の西浦温泉へ行った模様を放送。
    短命に終わることも多い深夜バラエティー番組ではあるが、オドぜひの長い歴史はこのように始まったのである。

脚注

    (注①)オードリーさん、ぜひ会って欲しい人がいるんです!
    実は漢字の使い方が間違っていたことが判明するこのタイトル。番組タイトルに誤字脱字があったという前代未聞の番組であったが、スタッフは誰一人気付いていなっかった。

    (注②)市野瀬瞳アナウンサー
    それまで新潟のテレビ局でアナウンサーとして活躍し、2012年4月から中京テレビに入社。深夜のバラエティであるオドぜひに起用した理由は「この人がニュースを読んでいたら嫌だなと思ったから」である。

    (注③)からあげアイドル・雛乃ゆめか
    なぜか地下アイドルとの親和性が高いオドぜひ。からあげが好きというコンセプトの彼女だが、現在は1児のママでもある。

    (注④)臭い系ぜひらー
    においが伝わらないテレビ番組なのだが、なぜか定期的ににおいにまつわるネタを持った人がやってくる。「頭のにおい」「へそのにおい」など、名作がうまれている。

    (注⑤)利きシリーズ
    「利き水」「利き日本酒」「利きオリーブオイル」など様々な挑戦が行われたが、番組内ではほとんどが失敗。オドぜひのスタジオには魔物がいるといわれるようになり、その失敗する姿が番組の名物になった。

    (注⑥)椅子取りゲーム
    番組内で何かを決めるときに行われたのが椅子取りゲーム。何より市野瀬アナの必死な形相と、卑怯なまでの戦い方が話題となる。いつけが人が出てもおかしくないほど過激な椅子取りゲームである。

    (注⑦)オードリーさん、ぜひ抱っこして欲しい赤ちゃんがいるんです!
    番組初のロケ企画。オードリーに抱っこしてほしいという赤ちゃんのもとを訪ね、最終的には滋賀県まで足を延ばした。そんなオードリーも、今は1児のパパである。

    (注⑧)芸能人ぜひらー・スギちゃん
    若手のころお笑いライブで共演するなど、オードリーとは浅からぬ縁があったスギちゃん。2012年の10月から、オドぜひの後の時間に「スギちゃんのほどほどにしてね」という番組が始まり、ここから中京テレビ・オードリー・スギちゃんのズブズブの関係が始まった。そして今もオドぜひには欠かせない芸能人ぜひらーなのである。

    (注⑨)歌う歯医者・原田先生
    本物の歯科医ながら、ギターをもってオリジナルソングを歌う陽気な先生。意外にも抜群の歌唱力とキャッチーなメロディーで、♪腕立て伏せ~布施博~という曲は、1度聞いたら2度と頭から離れないだろう。

    (注⑩)チームマッチョ
    岐阜県多治見市でジムをやっている西澤さんと、そこに通っている小島さん・木全さん・高木さんの4人組。彼らの登場以降筋肉系のクチコミが激増。今も出演してくれているレジェンドぜひらー。実はロケでオードリーもジムに行ったことがある。

    (注⑪)オドぜひジェンガ大会
    ジェンガの腕に自信がある若林さんが呼びかけ、予選を勝ち抜いた人をスタジオに集め頂上決戦を開催。当時ジェンガガールと言われた、モデルの青山玲子さんも参加。次の週には春日VS市野瀬アナの特別試合も放送された。

    (注⑫)コンパ王・石黒
    ミスターオドぜひの異名を持つ、番組最大の功労者。初めは「コンパ王」として番組に出演したが、その後「風俗王」「地下アイドル王」と様々な顔を見せてくれることに。ちなみに普段はSEとしてまじめに働いている。

    (注⑬)顔面プリン・村瀬
    コンパで男たちを虜にする技として彼女が持ってきたのが「顔面プリン」。おでこにのせたプリンを、表情筋を動かし口まで運ぶというもの。後に「鼻つまようじ」という技も披露し、一時期は番組のバイトとして働いていたことも。

HISTORY OF 2013

    2年目に突入したオドぜひは、若林さんから「激闘編」に突入するという宣言から始まり事実、今も語り継げられているレジェンドぜひらーを数々生み出す年となった。

    4月には、1年目に人気者となった名古屋のコンパ王・石黒さんから分裂した、新たなコンパ軍団や、ジェンガ最強の高校生たちの内紛と、物語が転がり始めたことを感じさせる事件が連発。

    そして5月には、市野瀬アナの仮アシスタントという立場について、先輩と同期のアナウンサー(注①)をスタジオに呼び検証。その結果アシスタント(代理)という事に決着する。
    このころは小ネタ系ぜひらーが大量発生した時期でもあり、「工事用ヘルメットが似合う男」 「写真を見るだけで動物の雄雌が判別できる男」「野球の道具を見るだけで選手名を答える男」「ギリシャ彫刻顔の男」など、深夜番組らしさ全開の内容が続いた。

    そして6月に入り、番組初のビッグプロジェクトがスタート。それが、当時オドぜひの後で放送していた「スギちゃんのほどほどにしてね」との合同企画であり、愛知県の北東に位置する豊根村を舞台にした「豊根村納涼まつり応援プロジェクト」。(注②)過疎の村の夏祭りを盛り上げるべく、「盆オードリー」(注③)というオリジナル音頭を制作。オードリーとスギちゃんが、祭り当日に豊根村におじゃました様子は、8月に2週にわたって放送された。
    また6月には、初期のレジェンドぜひらーの1人「にせくしゃみの天才」が初登場。
    さらに今も伝説のように語られる、浪人生2人組が夜な夜な行っている「奇祭・ぴよぴよ祭り」という忘れられないぜひらーも登場。

    そして7月、超ド級のぜひらー「過去の栄光が忘れられない、元ドラフト候補の林さん」が初登場。番組史上トップクラスのクズっぷりと見事な素振り(注④)で、一躍人気ぜひらーとなった。

    そして8月にも新たなスターぜひらーが生まれた。それが「性欲をこじらせて、女装にハマった辻くん」。(注⑤)後に彼の自宅での様子をロケするなど、スマッシュヒット企画を連発していった。

    そして2013年度上半期最後の9月に入ると、番組初の現役東大生ぜひらー(注⑥)となった「キムワイプ卓球の達人」や、YouTubeでは根強い人気を誇る「友達がつけるあだ名が気に入らない」という中学生2人組など、通好みのぜひらー(注⑦)が相次いで出演してくれた中、今も伝説のように語られる「若林の大ファンの娘とその父親」が登場。入口の扉を開けた瞬間から号泣していた青空(せいあ)ちゃんと、娘を愛するあまり自分も泣いてしまう父親という、カオスなまでに愛情が交差するスタジオとなった。

    10月最初の放送は、名古屋最大のコンパ集団「石黒軍団」のトップ4が勢ぞろいするという華々しいネタでスタート。
    2013年度下半期は、レジェンドぜひらーが量産される「オドぜひ第1次ピーク」ともいえる時期であった。
    まずは熱過ぎる心を持った大学生「チームパララ」が初登場。この時はよさこい踊りのチームとして出演してくれたのだが、その後「段ボールバンドPARARA」へと発展することになり、様々な伝説を作っていくことに。

    そして11月には2人の大型レジェンドぜひらーが登場。1人は「女性が怖いけどギャルが好き」(注⑧)という疇地さん。女性に慣れていないニートという、おどぜひ的には最強のキャラで一躍人気ぜひらーに。
    そしてもう1人は「なめられやすい男」というクチコミで登場したニート覚前さん。(注⑨)この2人の登場で、オドぜひでは空前の「ニートブーム」が吹き荒れ、今もオドぜひが「ニートに愛し愛される番組」となったのはこの2人の功績が大きいだろう。

    12月は番組史上初の試みが行われた。それが生放送による特別番組「歳末感謝祭」(注⑩)の放送である。ここから年末の風物詩となっていったのが、春日&スギちゃんの体を張った馬鹿中継。この年は春日が手筒花火(注⑪)に、春日&スギちゃんが滝行(注⑫)に挑戦という、真冬の深夜とは思えない体を張った厄除け神事に挑戦した。

    年が明けて2月にはギャルが苦手な疇地さんが、年末生放送の滝行中継を見て「あれは生ぬるい!」と、岐阜県の山奥にある本当の滝(注⑬)で滝行に挑戦。凍った滝つぼに落ちるという伝説のロケを敢行してくれた。
    また今もセットの中にある、MC3人と覚前さんの木彫り人形を作ってくれた沖縄のアーティストも2月に登場。

    そして2013年度最後の3月には、当時南海キャンディーズの山里さんも見てくれたというレジェンドぜひらー「ザ・サード・バースデイ」が登場。ヴィジュアル系バンドのカッコよさと、ブレブレのバンドコンセプトにスタジオが爆笑に包まれた。
    そして3月最後の放送では、オードリーとスタッフの居酒屋での打ち上げの模様を放送。その中で若林から「オドぜひには涙が足りない。3年目のオドぜひは感動編に突入する」という言葉で締めくくられたのだ。

脚注

    (注①)先輩と同期のアナウンサー
    ここで出演した先輩アナウンサーは恩田千佐子アナ、同期は鈴木理香子アナ(現在はフリー)のこと。2人から市野瀬アナを仮アシスタントから正アシスタントに昇格させることが妥当なのかを聞いたところ、「(市野瀬アナは)雑務をやらない」という告発がありアシスタント代理というポジションに収まることになった。

    (注②)豊根村納涼まつり応援プロジェクト
    当時オドぜひの後に放送していた「スギちゃんのほどほどにしてね」内で、豊根村の方から「夏のお祭りを盛り上げてほしい」というリクエストに応えるべく始まったのがこのプロジェクト。スギちゃんがそのことをオードリーに相談。それぞれの番組で内容を考え、2番組合同で豊根村に出向き、その模様を2週連続で放送した。

    (注③)盆オードリー
    豊根村納涼まつり応援プロジェクトで、オドぜひで制作したのがオリジナルの盆踊り音頭である「盆オードリー」。歌詞のコンセプトはオードリーとスギちゃんで考え、振り付けはラッキー池田さんに依頼。全国のお祭りで踊ってほしいという趣旨から、「盆オードリー」は当時無償配布されていたが、10周年という事で今回特別に過去のホームページを案内します。ただし旧ブラウザでないと動作保証はしません。ホームページはこちらから

    (注④)見事な素振り
    プロ野球のドラフト候補だった栄光を引きずり、ニートでありながら合コンに明け暮れていた林さん。過去を振り切るためにスタジオで披露したのが、ずっと使い続けてきたバットで最後の素振り。じつはこのバット、未練を断ち切るためにスタジオに残していき、今もセットの中にそっと置かれているのだ。

    (注⑤)女装にハマった辻くん
    多様性を認め合う世の中、オドぜひという番組には様々な趣味嗜好を持った人たちが集まってきます。女装にハマった辻くんもその1人。ただ彼の場合、女装にハマるきっかけが変わっていました。それは付き合っている彼女と一線を越えたいと思っているがなかなか勇気が出ず、たまった欲を開放するために女装を選んだということ。青春の苦悩が垣間見える回だった。

    (注⑥)東大生ぜひらー
    なぜかオドぜひは、インテリな人からの支持も集めている。この回では、東京大学の研究室ではやっている「キムワイプ卓球」なるものを紹介してもらったのだが、これ以降も名古屋大学の研究室で密かに行われている遊びや、京都大学の研究者による春日論文、そして東京大学出身2代目アシスタント・磯貝など、ぜひらーの幅は広いのだ。

    (注⑦)通好みのぜひらー
    スタッフの間で、「なぜこのぜひらーの回のYouTube再生回数は少ないんだろう?」という話をすることがある。そんな回のコメント欄を覗くと、少なからず「これぞ神回!」という、我々と同じ気持ちの視聴者がいることに安心する。1つ紹介しよう。2013年12月に放送された「催眠術にかかりやすい男」は、間違いなく神回である。

    (注⑧)女性が怖いけどギャルが好きな疇地さん
    気の弱い男に限って、気の強そうな女性を好きになることはある。疇地さんはそんな男たちの希望の星となり、一躍レジェンドぜひらーとして多くのフォロワーを生んだのである。その後芸人になる夢が諦めきれず上京するも・・・。それでも今も根強い人気があり、スタッフも連絡を取り合う仲良しである。

    (注⑨)ニート覚前さん
    マッシュルームヘアーに黒縁メガネという見た目もさることながら、お金持ちの両親に依存した生活スタイルで「カリスマニート」と呼ばれる覚前さん。彼の存在が無かったら、今のオドぜひは違った形になっていたかもしれない。俳優の仕事を続けながら、現在は劇場を運営しているというカリスマ劇場主でもある。

    (注⑩)歳末感謝祭
    バラエティ番組たるもの年末には特番がやりたい。それが2年目に生放送という形で実現した。名物ぜひらーやスギちゃんというオドぜひオールスターが総出演。その後一時期中断となったり、生放送から収録ものになったりと紆余曲折がありながら、2021年の年末にもほぼ全国エリアで放送。体を張るオードリーが今も見られる貴重な番組である。

    (注⑪)手筒花火
    歳末感謝祭で、春日が挑戦したのが「手筒花火」。オドぜひ制作エリアである、愛知県豊橋市の吉田神社が発祥の地といわれている。大きく火柱の上がる竹製の手筒を持ち、火の粉を浴びながら耐えなければならない。そして最後は衝撃音とともに筒の底が抜け「はね」と呼ばれる爆発によって終了。春日も白煙に包まれ、叫び声をあげながらロケバスへ走って逃げ込んだ。

    (注⑫)滝行
    歳末感謝祭内でもう1つ行われた厄除け神事が、春日&スギちゃんの名コンビで挑んだ「滝行」。愛知県東海市にある妙乗院というお寺にある、修行のために造られた人口の滝をお借りして行われた。ここから「春日&スギちゃんの体を張ったロケ」というオドぜひ名物が生まれた、記念すべき放送となった。

    (注⑬)本当の滝
    歳末感謝祭の人口の滝での修行を見たぜひらーの疇地さんが、「俺は本物の滝でやってやる!」と真冬の滝行を決行。岐阜県郡上市の山の中にある落差約60メートルの阿弥陀ケ滝を目指した。この時期周辺は雪が深く、さらに滝つぼは凍っているという厳しい状況の中、滝目前で氷が割れ疇地さんが滝つぼに落下するという伝説のシーンが生まれた。そして翌年の年末生放送で、春日&スギちゃんがリベンジすることになる。

HISTORY OF 2014

    「今年のオドぜひは感動編になる!」と宣言し始まった2014年度だが、結論から言うと一切感動の要素はなかった。

    それどころか、とんでもない爆弾発言から4月は始まった。それが当時の編成局長から明かされた「オドぜひ打ち切り未遂事件」。しかしその危機を乗り越え、局長から「オドぜひを全国へ!」(注①)という使命を与えられ、その第1歩としてこの4月から初の東海地方以外での放送がKBS京都(注②)で始まった。

    また「反抗期だけど可愛い・坪井湖太郎さん」が登場したのもこの月。2022年に再登場し、教師になるという夢を叶えた成長した姿を見せてくれた。
    また4月の放送で番組は放送100回を迎え100にまつわるクチコミでぜひらーが番組をお祝いしてくれた。
    「体重が100キロ!」 「100万円騙された?」 「夢を100%叶える」

    5月は2人のレジェンドぜひらーが初登場した。1人は「調味料で打順を組む・金光遼淳さん」。 この出演をきっかけに、何かを決めるときには金光さんにお手伝いしてもらう事になった。(注③)
    そしてもう1人が「チェリー・玉岡さん」。彼の登場により、番組にはチェリーブームが到来。今も定期的にチェリーからのクチコミが来るなど、その影響は絶大である。(注④)
    またこのころ、春日さんのボディビル大会出場と重なっていたことから、最も黒い春日さんが見られるという貴重な時期でもあった。

    6月は裏でサッカーワールドカップの放送があったことから、オドぜひでもスタジオでサッカーをやってみたり、 春日さんの奇跡の瞬間を撮るロケに行ったり(注⑤)とイレギュラーな放送が続いた月に。
    「世界一のジェットコースターで髪が完全に乾く奇跡」 「シャンプーの泡が水しぶきで一瞬にして落ちる奇跡」 「巨大海獣と絶妙に息の合った漫才をする奇跡」

    7月はKBS京都でオドぜひを見ているという視聴者第1号ぜひらーが登場。それが「アルパカ親善大使になりたい」という保居さん。一見普通の女性に見えたのだが、深すぎるアルパカへの愛情を歌にしてくれた。

    8月は今も伝説として語り継げられている「青森から旅行に来たついでに、番組に来た家族」が登場。オドぜひは「テレビ出演のハードルが日本一低い」ということを実証した。
    また、チビッ子レジェンドぜひらーの「流しそうめんが食べてみたい・右京くん」もこの月に登場。そうめんを食べたときの「うめ~!」は、忘れられない名言である。
    さらに「思ったより腕相撲が強い・日下部さん」も登場。ガリガリな身体と、ふてぶてしい表情のアンバランスさで一躍人気ぜひらーとなった。

    9月は番組に大きなハプニングがあった。愛知県内の盆踊りに参加するロケを予定していたのだが、何と当日東海地方を台風が直撃。ロケが中止(注⑥)となったのだ。そこで急遽、当日でもOKしてくれそうなところに連絡しロケをさせてもらった。(注⑦)
    「オードリーさん、ぜひ2週分の尺を埋めて欲しいんです(前編)」 「オードリーさん、ぜひ2週分の尺を埋めて欲しいんです(後編)」
    スタジオには「オドぜひに出たいので苦手な激辛を克服した・前田さん」が登場。この時に、市野瀬アナも激辛が得意であることが判明。フリーアナウンサーになった現在も、激辛大好きキャラで活動している。
    そしてこのころから、全国で「オドぜひをYouTubeで見ている」という声を聴くようになり、気をよくしたスタッフは「○○でYouTube見ました」(注⑧)という特別回を放送。そこで新潟の視聴者から、新潟時代の市野瀬アナ(注⑨)あまりにキャラが違うため戸惑っているというクチコミが。
    ここで初めて「若林さんは市野瀬アナが嫌い」という事が公言され、オードリーVS市野瀬アナの因縁(注⑩)の図式が鮮明となっていく。

    11月には今も番組に出演してくれているレジェンドぜひらーの伊倉ゆうさんが初登場。
    ふんどし姿で光る棒をお尻に挟み、「おめでとうございます!」と言ってそれを折る芸はオドぜひのお祝いごとには欠かせないものとなった。また中京テレビ以外で初の放送局となった、KBS京都へ御礼ロケ(注⑪)に行ったのもこのころ。番組のセットをそのまま運び込むという、大掛かりなロケであった。
    「オードリー京都出張 前編」 「KBS京都アイドルアナウンサー」 「マッチョ住職」 「ぴよぴよ祭りがやりたい」

    そして12月、前年に引き続きオドぜひ2回目の年末SPを生で放送。
    ぜひらーの疇地さんの無念(注⑫)を晴らすべく、春日さんとスギちゃんが岐阜県郡上市の山奥にある真冬の阿弥陀ケ滝で滝行に挑戦。極寒、豪雪、凍る滝と滝つぼ。最悪の状況下ではあったが、2人は芸人魂を見せてくれた。

    年が明けて2015年1月は、「イケメンを見るとおなかが痛くなる、きららさん」「チェリーを卒業し損ねた柴田さん」など、オドぜひらしさ満点のぜひらーで幕が明けた。

    そして2月、今も語り草となっている伝説のぜひらーが登場。それが「パンチの利いたバイク乗り、東聖也さんことずりやん」。そり込みの入ったパンチパーマという昭和のヤンキースタイルで、改造自転車を乗り回すという一級品の面白くヤバいネタであった。

    そして年度末の3月、それまで番組を盛り上げてくれたぜひらーの疇地さんが、芸人になるため上京を決意。しばらくオドぜひには出られなくなることを報告し、その門出を番組で追いかけた。
    そして3月最後の2週にわたって放送されたのは、「年末SPの打ち上げをやり直すロケ」(注⑬)。
    これは2014年12月に放送されたオドぜひ年末SPの生放送後、スタジオで番組を進行した若林さんたちは、みんなで鍋を食べに行ったという話をしたのに対し、極寒の中で雪山中継を担当した春日さんとスギちゃんは、「震えて帰ってきた山小屋にはパンしかなかった!」と不満が爆発。
    さらに「用意されていた風呂もメチャメチャぬるかった」とスタッフを非難。そこでもう1度中継地となった阿弥陀ケ滝を訪れ、山小屋で念願の鍋を食べ、熱い風呂には入ってもらい、遺恨を解消したのだ。また「オドぜひ」の放送時間が変更されることが発表され、この放送が土曜日深夜時代最後のものとなった。

脚注

    (注①)オドぜひを全国へ
    東海三県を放送エリアにしている中京テレビで始まった「オドぜひ」だが、2014年4月からKBS京都で放送していただくこととなり、にわかにスタッフが浮足立った。そして「全国での放送!」という夢を本気で考えだしたのがこのころ。翌年には兵庫県のサンテレビでも放送されるようになり、今やほぼ全国で放送されることになったのである。

    (注②)KBS京都
    オドぜひを日本一早く購入していただいた、足を向けて寝られないテレビ局。京都府・滋賀県などを放送エリアにしており、一気にオドぜひが関西エリアに広まった。またKBS京都には、海平和アナウンサーという今でいう「あざとい系」の元祖ともいえるアナウンサーが在籍しており(執筆時現在も在籍)、市野瀬アナとはまた違ったヒリヒリする魅力を見せてくれた。

    (注③)金光さんにお手伝いしてもらう
    「お酢は俊足だから1番」など、独自の理論を展開しながら調味料で打順を組むという1級品の遊びを披露してくれた金光さん。オードリーからは「かねみっちゃん」という愛称で呼ばれ、絶大な信頼を得ていたことで、年末特番の出演者を決める際ぜひらーで打順を組んで決定していくなど、番組に大きな影響力を持つぜひらーだった。

    (注④)チェリーの影響力
    チェリーであることを、エンターテインメントに昇華させた玉岡さんの出演以降、チェリーはもちろん、「チェリーを卒業し損ねた」「セカンドチェリー」など数多くのチェリーが番組に来るようになった。最近では「この中で、誰がチェリーか当ててほしい」という大学生6人組が出演するなど(チェリー人狼ゲーム)、今だにその影響力は衰えることはない。

    (注⑤)奇跡の瞬間を撮るロケ
    当時、伸び悩んでいた番組公式YouTubeの再生回数を改善すべく、オモシロ動画を制作しようと作られたのが「奇跡OH!撮り~」。現在YouTubeには「シャンプーの泡が水しぶきで一瞬にして落ちる奇跡」「世界一のジェットコースターで髪が完全に乾く奇跡」「巨大海獣と絶妙に息の合った漫才をする奇跡」の3本が公開されているが、シャンプーの泡の動画が圧倒的に再生回数が多い。

    (注⑥)ロケが中止
    当時愛知県新城市で行われる夏祭りに参加し、春日さんとぜひらーの覚前さん・疇地さんの3人で手筒花火をする予定だったのだが、台風が直撃し祭りは中止に。もちろんロケの予定もすべて白紙となってしまった。このロケで2週分の放送を予定していた我々は、その分をどうにかしてほしいとオードリーに丸投げするという強硬手段に出たのだ。

    (注⑦)当日連絡でもOKしてくれそうなところ
    普段から取材などで、色々なところにお世話になっているテレビ局スタッフ。台風でロケができなくなった我々は、急遽思い当たる「すぐにロケさせてくれそうなところ」へ連絡。ところが普段、情報番組を担当していないオドぜひスタッフは、思い当たるところがほとんどなく、結局ぜひらー・覚前さんの家やチームマッチョのジムなど、身内のぜひらーに頼むしか術がなかった。

    (注⑧)YouTubeで視聴
    おかげ様でオドぜひの公式YouTubeは、チャンネル登録者数49万人。総再生回数は4億8千万回。1,100本以上の動画がアーカイブされている。今回、番組10年を振り返っていく中でスタッフも、懐かしい動画や忘れかけていたオモシロぜひらーを再発見できた。皆さんも気になったぜひらーがいたら、ぜひ探して見てほしい。

    (注⑨)新潟時代の市野瀬アナ
    市野瀬アナは新潟県の出身で、中京テレビに来る前は新潟県のテレビ局でアナウンサーをしていた。当時の市野瀬アナは、正統派アナウンサーでありアイドル的存在だったそうで、スタッフも確認したところその情報は間違いではなかった。それだけにオドぜひでの市野瀬アナを見た新潟の視聴者にはショックが大きかったのであろう。

    (注⑩)オードリーVS市野瀬アナの因縁
    番組名物だった、オードリーVS市野瀬アナの喧嘩。若林さんは市野瀬アナが嫌い。市野瀬アナは、嫌いって言われたから若林さんが大っ嫌い。春日さんは、市野瀬アナのことは好きでも嫌いでもない。動物に例えると「ラマ」と言っている。とにかく規格外の市野瀬アナ。今も復活を望む声がある、レジェンドアナウンサーである。

    (注⑪)京都へ御礼ロケ
    番組をいち早く購入してくれたKBS京都。これは御礼をしに行かねばというわけで、オドぜひ京都ロケが実現した。これ以降、番組を購入してくれた局には御礼ロケに行くことが恒例に。更にその流れから、番組を買ってくださいとお願いに行き、局の皆さんを接待するというロケへと発展していくことに。そんな地道な努力が、今のほぼ全国での放送につながった・・・かも。

    (注⑫)疇地さんの無念
    実は2013年に、ぜひらーの疇地さんが雪が降り積もり、滝つぼが凍った阿弥陀ケ滝での滝行ロケに挑戦していた。しかしこの時は、凍った滝つぼの氷が割れ直前で無念の断念。それを受け2014年の年末SPで、春日さんとスギちゃんが極寒の阿弥陀ケ滝の滝行にリベンジしたのだった。

    (注⑬)打ち上げをやり直すロケ
    極寒の中生放送を終えた後の打ち上げの食事がパンしかなかった。用意されていたお風呂がぬるかったという春日さんのクレームをきっかけに行われたロケ。もちろんスギちゃんもお呼びして、年末生放送の時と同じ旅館で熱々のお風呂に入り、熱々の鍋に入った。そこで分かったことは、若林さんは熱い風呂にめっぽう強いという事だった。

HISTORY OF 2015

    2015年度のオドぜひは放送時間が早くなり、毎週土曜日の午後11時30分(注①)からという「らしくない」時間に昇格し、スタッフに緊張が走った年であった。
    番組もスタジオセットの床を新調したのだが、じつは同じ中京テレビで制作している「PS純金」が使わなくなったお古をもらったもので、正確にはリサイクルであった。

    その最初の放送で登場したのが「白目がうまくできない」というみはるさん。その白目以上に怖かった彼女の目の動き。白目に果敢に挑戦した市野瀬アナと、深夜時代と全く変わらないくだらない内容でスタートを切った。
    また同じ4月には「中高男子校で、春からの大学生活が不安」だという藤森さんが登場。チャラチャラしたサークルのイケイケのノリに「馬鹿だ、こいつら!」と悪態をつきながらも、本当はそんなノリに憧れているという、複雑かつねじ曲がった内心を激白。(注②)これぞぜひらーの鑑ともいうべき回になった。

    5月に入ると新たな子供ぜひらーが登場。それが「プロレスが大好きな4歳児」のあやとくん。あやとくんが繰り出した本間朋晃選手の必殺技「こけし」は絶品だった。
    また当時高校生だった金内京介くんの「話にオチがつけられない」という悩みには、春日が見事な解決策を伝授。話術の天才の片りんを見せてくれた。
    しかし番組にはお別れの報告もあった。初登場で強烈な爪痕を残したThe 3rd Birthdayが上京するために番組を卒業。新たなステージへと旅立っていったのだ。

    6月には2人のレジェンドぜひらーが初登場している。その1人が「春日が嫌いな5歳児」の西川真央ちゃん。「気持ち悪い」の名言で人気を博し、番組公式YouTube再生回数は歴代2位。最近7年ぶりに番組にも出演してくれ、その成長した姿を見せてくれた。(注③)
    そしてもう1人が、「春日の大ファン」でおなじみの大林弘毅さん。大ファンと言いながら、(若林に促され)終始春日を見下した言動で小競り合いをはじめる2人のやり取りは秀逸であり、今も番組に出演してくれているレジェンドぜひらーである。
    また、番組内で「フェスをやろう」と言っていた若林の言葉を真に受けたレジェンドぜひらー達(注④)が立ち上がり、バンドを結成することに。のちの「ローマの休日」はこの時うまれたのである。

    7月にはオドぜひにおめでたいニュースが飛び込んできた。それが「名誉ぜひらー・スギちゃん」の結婚発表。(注⑤)当時は顔出しをしていなかった奥さまだが、今や「詰め放題の達人」として全国区の人気者になっている。

    さて、オドぜひは名古屋にある中京テレビで収録しているため、オードリーは毎回東京から名古屋に来ているのである。(注⑥)しかし名古屋で宿泊することはなく、スタッフとゆっくり食事をする機会もほとんどなかった。そこで特別企画「オードリーさん、ぜひ前のりして欲しいんです!」を放送。名古屋の美味しいものを紹介し、ぜひ1泊して食べに行きましょうという企画であった。その中でスギちゃんが「ムッチー」というラーメン屋さんを、ADの植田が激辛料理で有名な「四川閣」(注⑦)を紹介。後の伝説のロケにつながっていくのである。

    8月に入るとオドぜひの「チェリー」に別角度からアプローチするぜひらーが現れた。それが「チェリーよりもつらいのはセカンドチェリーだ」と主張する加藤輔さん。チェリー卒業から間が空いてしまったため、その味が忘れられないつらさを語るという悲哀に満ちたぜひらーだった。
    そしてオドぜひから生まれたバンド「ローマの休日」がライブを決行。抽選で選ばれた視聴者をお招きし、ボーカルはパララの繁原さんと唐揚げアイドルの雛乃ゆめか。ドラムは100万円以上メンバーのためにお金を使ったサンキュー中野さん。ギターはカリスマニートの覚前さんとThe 3rd Birthdayの裕さん。ベースはチェリー玉岡さん。そしてシークレットメンバーとして市野瀬アナがサックスで参加。「Coloful days」というオリジナル楽曲を演奏した。

    9月には1度だけの出演ながら、強烈な印象を残したぜひらーが登場している。それが「心を入れ替えたので友達が欲しい」というパンチのあるクチコミを送ってくれた川野謙太くん。今までの自分の性格の悪さを告白してくれたのだが、「友達のカップルの別れ話がたまらなく嬉しい」など、川野くんの抜群の性悪トークでスタジオでも大いに盛り上がり、何より若林が歓喜していたのが忘れられない。
    そして上半期最後は2週にわたって、以前スギちゃんがおススメしてくれたラーメン屋さん「ムッチー」に行こうというロケを放送。(注⑧)結局オドぜひの聖地である岐阜県の阿弥陀ケ滝や、AD植田オススメの激辛中国料理「四川閣」に行ったりと楽しいロケではあったが、その四川閣であまりの辛さにオードリーとスギちゃんがTシャツを破りあうという奇行に。そのことが春日が嫌いな5歳児・真央ちゃんの逆鱗に触れることになるのだ。(注⑨)

    下半期10月は、福井県のぜひらーが初登場。「タトゥーを入れたい」というなかなかワイルドなクチコミを送ってくれた小林誠さん。しかしクチコミとは相反するお茶目なキャラにスタジオはほっこりしたのだが、同じ日に出演した青豆(あおまめ)さんがオドぜひ史上類を見ないファンタジー回となった。「7回苗字が変わった」というクチコミで登場したのだが、青豆という苗字は今の旦那さんの苗字。実は青豆さんは、彼女の初恋の人であり最近再会し50歳にして結婚。収録を見に来ていた旦那さんにも急遽出演していただくと、彼もまたずっと恋心を抱いていた初恋の相手であったことが明かされた。(注⑩)
    そして番組にとっておめでたいニュースもあった。それは京都のKBS京都に続き、神戸のサンテレビでもオドぜひの放送がスタート!この時番組内で、サンテレビ視聴者への挨拶をすることになった若林が「面白いですよ~」と言って、おどけた顔をするというギャグが生まれたのだ。

    11月には権利の関係でYouTubeには上がっていないが、伝説の回が放送されている。それが「福山雅治さんの大ファンで、曲を聞くだけで泣けてしまう」という、どてちゃんのクチコミ。そこで福山雅治さんはよくカラオケで歌うというコンパ王・石黒さんが登場。その女性の前で「最愛」を歌うことになったのだが、「最愛」の曲を「Squall」の歌詞で歌うという前代未聞のハプニングが発生した。
    また同じく11月には春日の大ファン・大林さんが早くも3回目の出演。「錦織選手のようにカメラにサインを書いてみたい」というクチコミで、春日と大喜利対決などを行ったこの回は、数ある大林回の中でも傑作であろう。

    12月には昨年出演してくれた、苦手な辛い物を克服した前田さんが「今度こそ本当に克服した」と再挑戦。名古屋の有名激辛ラーメン・台湾ラーメンに挑戦したのだが1口目で撃沈。それは後のスーパー人間のプロトタイプともいえる回であった。
    また、これもいまだに語り継げられている、最短滞在時間ぜひらー「ボールをずっと頭に乗せてキープできる」という大西草太さんが登場。1度目の挑戦では10秒で扉から入ってくることもできず、2度目は18秒で段を降りることなく退場。一言もしゃべることなく帰って行った。

    そして12月28日の深夜には、3回目となるオドぜひ年末特番、「前田健芸能生活20周年記念 輝け!2016年福男・福女決定戦 おもしろいですよ~」(注⑪)が放送。この年は雪山ではなく、真冬の愛知県常滑市の海から中継。翌年急逝されたオードリーの先輩である前田健さんが極寒の海に落ち、かつらがはずれた状態で上がってくるという名シーンは忘れることができない。

    年が明けて1月には、またまたレジェンドぜひらーの初登場があった。それが「大人のための究極の暇つぶしを教えたい」というクチコミでやって来た堀真輔さん。いかにもダメな大人という風貌で、夜勤のバイト中にやっているという「マルを上手に描く」「本当は目が二重なんだけど一重で接客する」という暇つぶしを披露してくれた。
    またお尻の伊倉さんが新展開を見せてくれたのも同じ回での放送だった。それが「お尻にビー玉が入っているか?入っていないか?ゲーム」この時からオリジナルの前口上的な歌を歌いながらクイズを出題し、不正解ならお尻が相手の顔に密着するという黄金の流れ(注⑫)が完成したのだ。

    2月には久しぶりに「本物系ぜひらー」が登場した。それが「変わったもので演奏している」というKajiiという2人組。使うのは食器。その形や大きさ、たたく場所でメロディーを奏でるというスゴ技を披露してくれた。
    また名古屋大学の研究室で密かにはやっているという「チップ詰めゲーム」を紹介してくれたのは、以前キムワイプ卓球を紹介してくれた人の後輩、森さんと吉村さん。インテリの遊びはその後も続くことになる。
    更に忘れられないのが「キスをもう1度したいチェリー」として登場した久場亮汰さん。目の前に市野瀬アナがいる状態で目をつぶり、その瞬間に春日がキス。そして目を開けたときには市野瀬アナが目の前にいるという完璧なフォーメーションプレイで女性とのキスを疑似体験。久場さんの満足した表情が、作戦成功を物語っていた。

    そして2015年度最後の3月は、3週連続で神戸ロケスペシャルが行われた。これは当時サンテレビで「おどぜひ」が午後10時30分から放送していたことに対し、「もっと遅い時間のほうがいいですよ」と忠告しようというロケと、褒められるとどこまでも調子に乗る市野瀬アナを褒め殺したらどうなるのか見てみよう(注⑬)というドッキリの2部構成で放送。ちなみに案の定調子に乗りまくった市野瀬アナに対し、ロケ終了後もネタバラシはしないまま終わった。
    こうして「オドぜひ」は、節目の5年目へと突入していくのです。

脚注

    (注①)土曜日午後11時30分
    少なからず深夜のバラエティ番組を作っているスタッフは「いつかはゴールデン進出」という夢を持っているものである。そういう意味ではこの時スタッフは「1歩前進!」と調子に乗っていた。しかしテレビ番組には放送時間に合わせた戦い方というものがあるようだ。もちろんオドぜひスタッフはそれを知らない。しかも裏番組は強力なモノばかり。結果何も変わらずというより、変え方が分からずそのまま突っ走るしかなかった。

    (注②)複雑かつねじ曲がった内心
    最近番組で「陽キャに憧れる陰キャ・陰キャに憧れる陽キャ」という事が話題になったが、オドぜひ出演者、ぜひらー、視聴者にはそのようなひねくれた思いを隠し持っている人が多い気がする。コンパ終わりに大声で一本締めをしたいし、ハワイに行ったらアロハ~と言って手を振りたい。でもそんな自分を許せない。でも本当は…。地獄である(笑)

    (注③)成長した姿
    真央ちゃんに久しぶりに会ったのは、小学校を卒業して中学生になる直前。当時を知るスタッフは思わず「おーっ!」と唸ってしまった。礼儀正しい立ち振る舞いはあの頃のまま。「今はJO1が好きなんです」という今どきの女子らしい会話。長く番組を続けているとこんな瞬間に立ち会えるんだ!と嬉しくなったおじさんでした。

    (注④)真に受けたレジェンドぜひらー達
    スタジオに来てくれたのはカリスマニート覚前さんとチェリー玉岡さん。ぜひらーを集め「ローマの休日」というバンドを結成したことを報告したのだが、実はこの回の見どころは覚前さんと玉岡さんが一緒に「ビリギャル」を見に行った話と、玉岡さんが市野瀬アナはタイプではないと言い放ったところ。この年の夏、本当にライブが行われたのだ。

    (注⑤)スギちゃんの結婚発表
    今やいいパパ芸人でもあるスギちゃん。実はこの後に行われた「ムッチーに行こう」のロケの中で、スギちゃんが結婚を決めたきっかけを話してくれた。それは、「奥さんのおっぱいがキレイだったから」という最低なモノ。初めて見たとき、あまりの美しさに一度服を戻して隠したという、くだらないエピソードを教えてくれた。

    (注⑥)毎回東京から名古屋に来ている
    10年間名古屋に通い続けているといえば、名古屋の事もかなり詳しくなっているのではと思うかもしれない。しかし本当にオードリーは名古屋で遊んでいない。若林さんは最近まで「名駅」と「栄」のイントネーションがおかしかったし、春日さんはたまに名古屋で時間があるときでも「ゴールドジムってどこにあるんですか?」と聞いてくる始末である。

    (注⑦)四川閣
    名古屋市千種区にある中国料理の人気店。バラエティ番組では、時に失礼なことや無理なことをお願いすることもあるのだが、嫌な顔ひとつせずに対応していただいているありがたいお店である。「オドぜひ」に出たところお客さんが増えるなどのでメリットもないであろう。我々スタッフは四川閣に足を向けて寝られない。いつもありがとうございます!

    (注⑧)「ムッチー」に行くというロケ
    実はこのロケで印象に残っているのはオープニングである。栄の久屋大通公園(当時)というところで、オードリー、すぎちゃん、市野瀬アナの4人で挨拶と企画趣旨説明をするだけだったのだが、気付けば4人はずっと喋り続け収録時間は40分を過ぎていた。今どき、すぐに本題に行くのがテレビのセオリーである。でも面白かったのでスタッフも止めることなく笑いながら聞いていた。おかげでスケジュール調整が大変だったのだが。

    (注⑨)真央ちゃんの逆鱗に触れる
    せっかく春日さんの事を好きになった真央ちゃんだが、実は「ムッチーに行こう」のロケを見たらしく、服を破きあうオードリーとスギちゃんの姿を見てまた嫌いになったというのだ。お行儀のいい真央ちゃんらしい理由だが、欠かさずオドぜひを見ている5歳児って何なんだろう?実は真央ちゃんのお母さんが、変な人なのかもしれない。

    (注⑩)初恋の相手と結婚
    ある調査によると、初恋の相手と結婚する確率はわずか1パーセントだという。聞いた話だが、村上春樹さんの小説「1Q84」には、青豆と言う人が重要な人物として登場するらしい。何か運命というものを考えさせられる異色ぜひらーのこの回は、今もオドぜひの特異点として印象に残っている。

    (注⑪)前田健芸能生活20周年 輝け!2016年福男・福女決定戦 おもしろいですよ~
    昨年雪山での滝行という過酷な中継を経験した我々が、次に選んだのは「真冬の海」だった。しかし誤算があった。それは海岸ならではの強風である。我々は常滑の海に、空気で膨らませた浮島を作ったのだが、当日は強風の影響で予定していた場所に設置することが困難だった。この中継では、裏側をトム・ブラウンの2人が実況してくれていた。

    (注⑫)黄金の流れ
    この後も伊倉さんのゲームは進化を続け、前口上やゲームに入るときの歌は、収録の中で彼の即興で変化していき、そのたびに春日さんが振り回されることになるのだ。実はこのゲーム、意外な芸能人も犠牲になっている。それが篠山輝信さん。篠山さん、その節は大変失礼しました。またオドぜひに遊びに来てください。

    (注⑬)市野瀬アナを褒め殺し
    クイズを出せば市野瀬アナだけ正解。占いをしても市野瀬アナだけいいことを言われる。そして当時の阪神タイガース・金本監督からの食事のお誘い(もちろん全部嘘)。とにかくご機嫌で名古屋に帰ってきたのだが、バスの車中でも終始ハイテンション。そんな素直な市野瀬アナが僕たちは大好きです。なーんちゃって。

HISTORY OF 2016

    2016年度、5年目を迎えたオドぜひはまさに飛躍の年であった。
    それは番組の悲願でもある放送エリアの拡大が、いよいよ現実になってきたということだった。4月からは新潟(注①)、7月からは長野、12月からは熊本といよいよ「オドぜひ」の名前が全国に知られ始め、と同時に新たな名物ぜひらーや過去の名物ぜひらーの代表作が生まれた年でもあった。

    しかし4月最初の放送は、別れの放送となった。それは今まで番組で活躍してくれた名物ぜひらーの卒業スペシャル。「苦手な激辛料理を克服した前田さん」(注②)「チェリー玉岡さん」「チーム・PARARA」「マッチョ・砂川さん」(注③)が、就職や名古屋を離れることで番組を卒業することになったのだ。
    またこの放送では、これからも番組に出続けるという意気込みを伝えるため「春日の大ファン・大林」も出演。そこで春日さんに、「いい加減遊んでばかりいないで、結婚してほしい」というメッセージを伝えたのだが、それが後の春日さん結婚のキッカケになったかどうかは定かではない。

    しかし4月には早くもニュースターが誕生。それが若林さんお気に入りの忘れられないぜひらー、「物足りない愛情」という強烈なラップを披露した女子高校生・稲垣さん。今もYouTubeでは根強い人気を誇り、一度聴いたら忘れられないリリックとフロウは理屈では説明のできない中毒性(注④)を持っている。
    そしてもう1人、オドぜひ史上最大級のスターぜひらー「スーパー人間・高羽さん」が彗星のごとく登場したのだ。一見いたって真面目そうな大学生が、人間の五感を超越した技を披露するという訳の分からないことを言い、「集中」というキラーワードからの壮大な失敗という見事なまでの流れ。ちなみにこの初登場回は「ぐるぐるバットからのジャグリング」「ポン酢糸こんにゃく一気食い」という、今も語り継がれる伝説回となった。
    また番組以外にもこの4月には2つの出来事があった。1つは今もセットの片隅に飾られている「ぜひらートレーディングカード」(注⑤)の作成。出演した方や、イベントなどで配布したのだが、10周年記念に新作を作ってほしいという声もいただいている。そしてもう1つが「番組公式Twitter登録者数1万人突破」(注⑥)。因みに現在は約5万9千人。スタッフの密かな目標は10万人である。

    5月に入るとオープニングトークの中で、若林さんが事務所の大先輩・島崎俊郎さんに対し「若いころはさんざん体を張ってきたトシ(島崎さんのこと)が、今は全然体を張っていないことがイラつく」と発言。それがこの年の「年末SP」の布石となるのだ。
    またこの月、市野瀬アナの名シーンも生まれていた。それがダンディ坂野さんのギャグ「ゲッツ」を全力でやるという「ゲッツ大会」。すべてを吹っ切って雄叫びを上げた市野瀬アナの「ゲッツ」は、女性アナウンサーという枠を軽々と飛び越えていた。
    そして番組は5月第2週の放送で通算200回を迎え、記念のオドぜひオリジナルPVを作り放送した。

    6月は、「若林の唇に興奮する」というニッチなフェティシズムを持つ林さんや、その独特のナルシズムで人気ぜひらーとなった「まさにファンタジー」がキラーワードのオドぜひのEXILE的存在ICHIROUさんといった、スマッシュヒットぜひらーを量産。
    そんな中、恋愛経験が無く、「女性の胸をもむタイミングがわからない」という超絶下世話なクチコミで話題になった内田さんが登場。彼はその後コンパ王・石黒さんと共演し、伝説を生むことになるがそれはもう少し先の話である。そしてもう1人、「若林語録を使いたい」という浦嶋さんが登場。若林ファンの彼が、若林さんが言いそうなセンスのあるワード(注⑦)を予想するというもの。後年「春日語を予想する」というぜひらーが出てきたりと、世間では春日語が話題になることが多い中、若林語録が先にネタになるというのは何ともオドぜひらしい現象なのかもしれない。

    長野での放送が始まった7月。後にオドぜひでもトップクラスにブレイクしたぜひらーが登場している。それはスウェーデン出身の庭師・村雨さん。圧倒的なカッコよさを持ち、日本が好きすぎるあまり日本に帰化。特に日本のお笑いが大好きという彼が「日本のお笑いを学びたい」というクチコミで出演。お笑いの基本である熱々おでんに挑戦したその姿は、後にNHKの「みんなで筋肉体操」や「連続テレビ小説・カムカムエブリバディ」に出演したことを考えると、今や超貴重映像なのかもしれない。
    またオドぜひでは珍しい芸能人も出演。それが篠山輝信さん。当時「なぜか彼に強く当たっていた」という若林さんのリクエストでお呼びしたのだが、お尻の伊倉さんのゲームに参加させられるなど、芸能人とは思えない雑な扱いを受けた。ごめんなさい。また、オドぜひ史上最も大人数で出演してくれたのが金城大学のアイドルサークル・tinyの皆さん。その時のやり取りが、後にオードリーの人気番組となる「日向坂で会いましょう」のひな型になったのではと、スタッフは勝手に思っている。
    そしてこの時期から番組公式のInstagram(注⑧)もスタートしている。

    8月はオリンピック、24時間テレビがあり放送が2回しかなかった。そんなオリンピックの裏で放送されたのが「先輩の本性を引き出してほしい」というクチコミ。リアクションがいつも冷めている谷先輩のはしゃいだ姿を見るため、春日さんが鬼瓦マシーンになるという異色回。そして「いつもフラれてばかりいるので、高飛車な美女を完膚なきまでにフッてみたい」という長谷川さんが登場。市野瀬アナをこっぴどくフルというコントに、市野瀬アナがマジで怒り出すという本筋を越えた展開となった。

    9月は春からオドぜひを放送していただくことになった新潟のTeNY・テレビ新潟さんへお礼をするためロケ(注⑨)に行くことに。局内でのあまりの認知の低さに、番組PRを行い、オドぜひの味方を着実に増やしていった。
    そして後半は、我らが盟友・スギちゃんをお呼びし、市野瀬アナとスギちゃんにドッキリを敢行。当時自身のSNSで、目に余る愛犬家ぶりをアピールしていたこの2人。本当に愛犬家なのかを検証するため、新潟の街ぶらロケの途中に2人が飼っている実際の愛犬を接近させ、「自分の飼っている犬だとわかるのか?」(注⑩)という企画を行った。結果は最後まで気付くことなく、ドローという結果に終わったのだが、ここで市野瀬アナの名言「ハァ~リ~」が生まれたのである。
    またレギュラーのスタジオ収録では、熱心なオドぜひファンのぜひらーが、この番組は当たり外れがあり先が読めないことから「オドぜひはスポーツである」という、確かに!と思わせる理論を展開。その中で若林さんが「手ごたえが無かった収録の帰りには、名古屋駅で高いお弁当を買う」と告白。対する春日さんは「東京まで気持ちが持たないので、ビールを買う」と傷の癒し方を明かした。

    10月に入ると、どうすればオドぜひが全国で放送されるのかを真剣に考える、特別回を放送。中京テレビの編成部と東京支社の番組販売の責任者とともに、当時番組をすでに放送してくれていた、KBS京都、神戸のサンテレビ、TeNYテレビ新潟、長野のテレビ信州の編成担当者に集まっていただき徹底討論。オドぜひを購入したメリット・デメリットなど、番組編成の裏側の生々しい話が飛び交い、制作スタッフ、出演者ともに「番組を買っていただいている皆さんのためにも頑張ろう!」という気持ちを改めて強くする貴重な回となった。
    また「自分のマジックが全国に通用するか見てほしい」という二村さんが登場したのもこの月。当時他ではあまり見なかったルービックキューブを使った驚きのマジックに、オードリーも釘付け。マジシャンぜひらーという新ジャンルの火付け役となった。

    11月、今も語り継がれている伝説の回が放送された。それが岐阜県飛騨市の図書館司書さんからの、「官能小説朗読会でうまくできないことがある」というクチコミ。女性の司書さんだけということで、男役がうまくできないという。そこで春日さんと市野瀬アナによる朗読会を開催。官能小説とはいえ文学作品。しかし女性アナウンサーが朗読するとなると、色々あるはずなのだが、本気でやり抜く市野瀬アナの姿は感動的ですらある。「い、い、いじわる~」の叫びは、オドぜひの歴史の中でも名シーンの1つだろう。
    同じ月に放送されたのが、これも語り継がれている「ニート討論会」。ニート否定派のぜひらー・大石さんと春日さんがカリスマニート・覚前さんと肯定派の富田Pと討論したのだが、最後に若林さんが言った「(将来)路頭に迷う姿を見るのが楽しみだ」という発言が一番怖かったという、ある意味社会派の回であった。

    12月に入ると、熊本県民テレビでの放送がスタート。ついにオドぜひは九州進出を果たすことになった。そしてその御礼と、熊本の皆さんへの挨拶もかね、熊本ロケが実現し、熊本県民テレビ主催のイベントに参加することに。そこでオドぜひの面白さを分かってもらうためにあるぜひらーを招集。それが、スーパー人間・高羽さんであった。
    公開イベントという失敗が許されない状況。大勢のお客さんの前でスーパー人間が披露したのは「無酸素オセロ」。鼻に洗濯ばさみをはさみ、口にはハ-モニカをくわえ、息を止めた状態でオセロを最後までやりきり勝利するというまさにスーパーな大技(注⑪)。しかし…ハーモニカの美しくも悲しい音色が、熊本に鳴り響くという結果に。しかし居合わせたお客さんからは大きな笑いをいただき、オドぜひの面白さを存分に見てもらえた。
    そしてこの年も、生放送で年末SPが放送された。タイトルは「みんなでつくる生放送!オドぜひ歳末SP 長野の雪山にアダモステは実在した!! 市野瀬瞳 炎の5番勝負!! 豪華2本立て」(注⑫)。中継が行われたのは豪雪地帯、長野県戸隠の山中。ゲストはオードリーの事務所の大先輩、レジェンド芸人の島崎俊郎さん。若林さんが「体を張り続けないトシにイラついている」という発言から出演をオファー。本番ギリギリまで「俺はやりたくない」とごねていたのだが、本番が始まるとフルスロットル。雪山でほぼ裸のアダモちゃんの格好で暴れまくるという、往年の雄姿を見せてくれた。しかし少々やり過ぎたため、協力していただいたテレビ信州との間に遺恨(注⑬)を残すことになる。

    年が明けて1月。ここでもレジェンドぜひらーが初登場している。それが岐阜のケーブルテレビでアナウンサーをしているという那須さん。異常に高い自己肯定感と、憎めないポンコツぶりで一躍人気者に。現在は岐阜のバスケットチーム「岐阜スゥープス」の代表取締役社長として活躍している。

    2月には様々な新商品を開発しているヒットメーカー・川瀬さんが「オドぜひのグッズを作りませんか」というクチコミで登場。驚くべきはSNSを駆使した徹底的な市場リサーチからヒットの法則を導き出すその手腕。まさにオドぜひスタッフには皆無だった能力で、番組を分析してくれた敏腕クリエーターであり、その後も川瀬さんに頼ることがしばしばあった。
    また史上最悪の放送回があったのもこの月。1ネタ目がコンパ王・石黒さんからの「ついにすごい偉業を成し遂げた」というクチコミ。それが47都道府県のエッチなお店制覇というとんでもないものだった。地上波の番組で風俗版・ケンミンショーを放送するという、今なら怒られる内容だったのだが、続く2ネタ目もひどかった。6月に放送した胸をもむタイミングがわからない・内田さんが再登場したのだが、石黒さんが、オッパブのハッスルタイムを再現して揉むタイミングを教えるという、最低で最高な回となった。

    3月には「冷蔵庫の残り物でオリジナル料理を開発した」というオジサン、岡田さんが登場。自信の料理を作って来てくれたのだが、その見た目とオジサンの手作りということにオードリーも潔癖症を理由に試食を拒否するという前代未聞の事件が起こった。
    そして2016年度を締めくくるレジェンドが初登場する。それが今や人気YouTuberとなった虹色侍。ボーカルのずまとギターのロットの2人組で、お題と曲調を伝えると即興で曲をつくれるという超絶スーパーユニット。歌唱力、楽曲ともに信じられないクオリティの高さで、オドぜひ始まって以来の本物と視聴者の度肝を抜いた。そして早くも「即興シンガーの元祖は俺だ」とい歌う歯医者さん・原田さんと対決。完膚なきまでに返り討ちにされるのだが、いつも一緒に出演している歯科助手の筧さんの「先生がかわいそう」という涙が一番の爆笑をかっさらった。
    こうして多くのレジェンドぜひらーを生み、全国放送へ1歩ずつ前進した2016年はオドぜひにとってまさに飛躍の年であったのだ。

脚注

    (注①)新潟
    実は初代アシスタントの市野瀬アナは新潟の出身。中京テレビの前は新潟のフジテレビ系列の局でアナウンサーをしていたそうです。当時から人気者で、イベントなどで外に出るときは、ガードマンが周りを囲んでいたという噂も。この年の夏に新潟でロケをすることになったのですが、市野瀬アナが外を歩いてもパニックになることはありませんでした。

    (注②)苦手な激辛料理を克服した前田さん
    番組で苦手な激辛料理に挑戦し、2戦全敗だった前田さん。オドぜひの悪しき流れを作った元凶の1人だが、愛されキャラで人気ぜひらーとなっていた。その彼が名古屋の大学を卒業。社会人として選んだ道はテレビ業界。なんと東京の制作会社に就職し、番組を卒業することになったのだ。実はぜひらーの中にはその後テレビ業界に入った人が多い。オドぜひに出たことで「テレビっておもしろそうだな」と思ってもらえたのだとしたら本望である。

    (注③)マッチョ・砂川さん
    番組初期のマッチョブームの中でも、異彩を放っていたのが砂川さん。当時彼は、名古屋の大学に通う学生だった。そして卒業後選んだのは、地元沖縄に帰っての就職。番組ではその旅立ちを空港まで追いかけたのだが、迎えに来ていたご両親もマッチョになっていた息子にびっくり。離れ離れになる彼女も来ており、最後は両親の前で彼女とキスするという、2度びっくりのお別れを見せてくれた。

    (注④)説明のできない中毒性
    ここでは「ものたりない愛情」の歌詞を挙げておこう。聞き書きのため、表記はスタッフの判断によることをお詫びしておく。

    ものたりない愛情 ものたりない愛情
    愛してるのに愛されない 愛されないから愛したい
    愛されないから愛さない けど 愛したい
    ものたりない愛情 ものたりない愛情
    愛に飢えた僕の声 届きますように
    蟹 蟹 カニ ハニカミ

    (注⑤)トレーディングカード
    当時流行していたトレーディングカード人気にのっかり、人気ぜひらーと市野瀬アナを加えた全30種類のカードが作られた。このカードは出演してくれたぜひらーや番組のイベントなどで無料配布されたが、そこまで人気があったわけではなくイベント会場の片隅に山積みにされ「ご自由にどうぞ」と書かれた紙とともに置かれていた。その後プレミアがついたという話も聞かない。

    (注⑥)Twitter登録者数1万人突破
    この手の事が全く苦手なスタッフなのだが、今も続けている番組公式Twitter。実は1万人突破を記念して、番組内で春日さんが1度だけ呟いているのだ。因みにスギちゃんに扮して呟いていますので探してみてください。あ、若林さんも1度呟いています。何はともあれフォロワー募集中!

    (注⑦)若林さんのセンスのあるワード
    若林さんが言いそうなワード当てをやったこの回。この場合、若林さんなら何とツッコミを入れるかなどを考え発表。もちろん正解は若林さん自身が答えるというものだったのだが、その中で若林さんが言った最高のワードが「この番組で本気出したくないんだよ」だった。

    (注⑧)番組公式Instagram
    現在は、ショート動画や10年間で出演してくれたぜひらーの名鑑をアップしている番組公式Instagram。その最初の投稿は番組の中で行われたもので、当時のディレクター植田と富田Pが肩を組んでいる写真。「俺たちが中京テレビの右脳と左脳だ」というコメントは、若林さん考案のものである。何はともあれフォローワー募集中!

    (注⑨)お礼をするためロケ
    オドぜひを購入してくれた局には、お礼と挨拶を兼ねロケに行くというのが恒例となっていた。この年は新潟と熊本におじゃました。実は放送ではカットになっている場合もあるが、最初にその局の建物を見て、若林さんが忌憚のない感想を言うというのも恒例であった。因みに中京テレビの旧社屋については「こんなに低いテレビ局ってあるんだ」といつも言っていた。

    (注⑩)自分の飼っている犬だとわかるのか?
    このロケではスギちゃん、市野瀬アナが飼っている実際の犬を連れてくる必要があったため、スギちゃんの犬は奥さまが東京から、市野瀬アナの犬はお母さまが実家から連れてきてくれた。

    (注⑪)まさにスーパーな大技
    番組のイベントという事で大勢のお客さんが集まる中、まだ放送前だった熊本ではスーパー人間のことなど知る人もいないという完全アウェー状況。実は高羽さん、このイベントの前に熊本のテレビ局の偉い人と昼食も食べており、そこでも技を披露して失敗。その時は「お店の厨房の食器を洗う音がうるさかったから」というスーパーな言い訳をしていた。

    (注⑫)みんなでつくる生放送!オドぜひ歳末SP 長野の雪山にアダモステは存在した!!市野瀬瞳 炎の5番勝負!!豪華2本立て
    この年の中継は、長野駅から車で約1時間の戸隠にあるキャンプ場で行われた。特にスタッフが気を使わなければならなかったのは、打ち上げの食事。さすがに大御所である島崎俊郎さんに、パンを出すわけにいかない。そこで打ち上げ専用にスタッフを配置し、ロケ終わりの出演者の皆さんには温かい鍋をふるまったのだ。

    (注⑬)テレビ信州との遺恨
    この中継にはテレビ信州のアナウンサー・内田さん(当時)にも参加してもらった。ところがテンションの上がった島崎俊郎が暴走し、内田アナに想定外の負荷をかけることに。現場に来ていたテレビ信州の方にスタッフも平謝り。と、思いついた。これは遺恨が残ったという事にしておこう。そして後日、テレビ信州へ謝りに行こうという、スギちゃんへのドッキリロケにつながっていくのだ。

HISTORY OF 2017

    2017年度は「オドぜひ」にとって非常に大きな出来事があり、10年の歴史の中でも重要な年であった。

    4月最初の放送では、ニュースターが誕生。それがパワーポイントでランダムに出される画像を見て、面白い物語を作る「パワポカラオケ」の全国第2位の実力者・山本さんである。一見さえないオジサンと言った風貌ながら、瞬発力・ワードセンス・間の取り方など類まれなるお笑いセンスを見せつけ、「パワポカラオケ」(注①)はオドぜひ内で大ブームになっていくことになる。
    また翌週の放送では、後に番組のナレーションを担当する中京テレビの望月アナ(注②)と番組の黒幕的存在の稲村アナ(当時)がオドぜひ初登場。
    当時あまり活躍の場が無かった自分たちの境遇を「中京テレビは私たちを飼い殺しにしている」と大胆な会社批判を展開した。またこの回で、キャスター風に春日さんの架空のニュースを伝えるという遊びが誕生。「変わって名古屋からお伝えします。」から始まる春日さん逮捕のニュース読み遊びは、アナウンサーにうってつけの芸である。
    4月にはもう1つ大きな出来事があった。それが中京テレビの東京支社営業部・野口さん(当時)から番組を全国へ売り込むための協力要請。
    6月には東京支社業務部の前田さん(当時)が、そのための秘策を提案。それが「オドぜひを全国の局の方に買っていただくための出張企画」
    名古屋から番組のセットごと持って乗り込み(注③)、地方の局の皆さんを旅館に招待。美味しいごはんと温泉つきで番組収録を見てもらうという大胆な作戦。この計画は、2017年度に2度行われることになる。

    5月に入ると一緒にUSJに行くなど、異常に仲がいいオジサン2人組という微笑ましいぜひらーが登場したが、何といってもセンセーショナルだったのは「家族から頭がクサイと言われる」という佐藤真門くん。頭がクサイと言うのは実の母親である美春さん。この時はぜひらーの石黒さんと堀さんにも参加してもらい、1番クサイのは石黒さんという事で決着したのだが、何より面白かったのは、お母さんが頭のニオイを嗅いだ時の「あっ!」というリアクション。その言い方の何とも言えないリアリティ感が最高であり、頭のニオイ問題はこの後も続いていくことになるのだ。
    そして5月にも大きな出来事があった。それが市野瀬アナが他系列である「オードリーのオールナイトニッポン」(注④)へのゲスト出演。不仲と言われていたオードリーと市野瀬アナを仲直りさせようということで、ラジオに出演することになったのだが、その日の番組は荒れに荒れて全国的に大きな話題となった。オドぜひでもその裏側を取材し、番組内で放送。そこで市野瀬アナのことが好きでも嫌いでもない春日さんから「市野瀬くんは動物で例えるとラマ」(注⑤)という名言が生まれたのだ。

    6月は番組に大きな遺恨として残っていた問題に、終止符が打たれるロケが行われた。それが「テレビ信州・スギちゃん謝罪ドッキリロケ」。昨年の年末SPで多大なご迷惑をかけたテレビ信州の皆さんと内田アナ(当時)。特に上層部の方は、未だ許していないという噂を聞きつけ謝罪に向かう事に。そこに呼び出されたのは年末SPでその中継現場にいたスギちゃん。当日まで何も聞かされないまま、オードリーとともに謝罪に行くことになったのだが全ては嘘。
    ロケの中でアナウンス部の伊東部長(注⑥)が、全ての罪をスギちゃんになすり付け、スギちゃんを集中的に大激怒するというドッキリロケだったのだが、その時の伊東部長の演技が迫真に迫りすぎており「本当はまだ怒っているんじゃないのか?」という疑惑が残るほどだった。また長野では、内田アナに対しもう1つのドッキリロケが行われた。それが「バラエティ対応度チェックロケ」。明らかにおかしなオドぜひのロケ(注⑦)に、どこまで対応できるのかを試すというもので、「ロケ前に円陣を組んで面白いもの作るぞー!と叫ぶ」「1つのおしぼりをみんなで回して使う」などしたが、何も疑うことが無かった内田アナ。我々は年末の続き再び失礼なことをしたのだった。

    7月はおめでたい話題で幕を開けた。それはパワポカラオケの山本さんの結婚報告。後日山本さんの奥さまも番組に出てくれたのだが、ご主人をしのぐ見事なパワポカラオケを披露してくれた。
    そしておめでたいと言えば、からあげ姫こと雛乃ゆめかさんが、1歳になったお子さんを連れてスタジオに。ママさんアイドルになった姿を見せてくれた。
    そして圧倒的なキャラで強烈な爪痕を残したのが、ラーメン屋さんを開くために砂金を採取しているという久々江さん。話すことすべてが衝撃的であり面白かった彼女だが、今までに採取した砂金の鑑定額はあまりに残酷な結果であった。
    そしてこの年は、マジシャンがが多く登場した年でもあった。この月に登場したのが緊張しすぎるマジシャンの伊藤さん。緊張のあまり市販のマジックにもかかわらず、スタジオで失敗するというテレビではなかなか見られない、ある意味貴重な展開を見せてくれた。
    また翌週には髭もじゃマジシャンのKISSERさんが登場。髭の中からコインを出したり、口の中からトランプを出したりと、小汚いが本物の技を見せてくれた。

    そして7月最終週と8月第1週の2回にわたって放送されたのが、番組初の出張ロケ企画。オドぜひを全国に広めるため、まだ番組を放送していない局の皆さんを「温泉・食事・オドぜひの公開収録」で接待しようというものだが、その第1弾として選ばれたのは青森。青森放送の皆さんを浅虫温泉の旅館にお招きし、その大広間で公開収録を行った。
    当日は青森のぜひらーの方に集まっていただき、オシャレな映像を制作している「青森カウンター」のクリエイター。ハゲ頭で青森を盛り上げる「ツル多はげます会」の皆さんなど、個性的なぜひらーが集まってくれたのだが、中でも異彩を放っていたのが、LOVEアーティスト・t9n(たっくん)。ムキムキの体でギターの弾き語りをしているミュージシャンなのだが、「t9nとは名ばかりのLOVEの塊」というキラーワードを持っており、さらにお付き合いしている人が青森放送内にいるという事も判明した。
    そしてこの8月には、番組からもおめでたいニュースがあった。それが番組アシスタント(代)である市野瀬アナの結婚報告(注⑧)である。お相手は同じ中京テレビのディレクターであり、お付き合いのキッカケは昨年の年末SPの打ち上げという事実も明かされたのだ。

    9月に入るとまたまたおめでたいニュースが飛び込んできた。なんとオドぜひが「GYAO!第2回ご当地テレビ大賞Yahoo!映像トピックス賞」を受賞。 賞とは無縁だと思われたこの番組だが、次第に全国的に知名度が上がってきたのでは?とスタッフは浮足立った。
    またこの月は、ちょっとしたことから疎遠になった友人との仲直りを番組が仲裁したり、女性と会話するのが苦手という25歳の男性が「会話のたちつてと」という技に挑戦したり、「千から無量大数」までの単位をメチャメチャ早く言う中学生など、大きなニュースが多かった中、オドぜひらしさ全開のぜひらーも相変わらず番組を盛り上げてくれた。

    10月に入りまたしても嬉しいニュースが。それが出張ロケを行った青森でのオドぜひ放送が決まったのだ。そんな青森から、t9nの紹介ということで超個性的なミュージシャンがスタジオに登場。それが「青森最後の詩人・ひろやー」。キャップ・メガネ・髭・長髪という怪しいルックスで「新町」という青森の駅前の街を題材にした歌を歌ってくれたのだが、実はひろやーさんは知る人ぞ知るミュージシャン。当時カルトな音楽ファンの間で話題となった。
    また翌週には「Flying Doctor」という女性4人組のミュージシャンが登場。リーダーは収録に来られなかったため事前に撮った動画で参加。他の3人が複数の楽器を操るというトリッキーな演奏だったが、そのクオリティの高さにスタジオは拍手に包まれたのだ。
    またこの月は、新旧レジェンドぜひらーが登場してくれた。まずはご存知、スーパー人間・高羽さん。当時大学4年生だった高羽さんは就職が決まったことを報告に来てくれたのだが、その面接で自分のオドぜひ出演シーンを見せたことを告白。見事商社への就職を決め、春日さんによって「スーパー人間採用」と祝福された。
    そして新たなレジェンドぜひらーが三浦&伊藤(注⑨)の2人組。沖縄旅行で風俗に行ったことが当時の婚約者にバレた話は、オドぜひ版すべらない話として記憶に残るエピソードトークである。

    11月もレジェンドぜひらーが来てくれた。まずは「暇つぶしのプロ・堀さん」が、自分の友達を連れて登場。それが「ちょっとだけクサイ男・紅松さん」。しかし気になるのはニオイではなく、彼のちょっとだけ禿げた頭だった。
    久しぶりの登場となったのは「春日の大ファン・大林さん」。実は通っていた大学を中退し、別の大学に通い始めたという大林さん。スーパー人間同様、新たな道に進むぜひらーからの報告が続いたのだ。

    そして11月最終週の放送では、衝撃的なプランが持ち込まれる。それが番組の黒幕的存在である稲村アナ(注⑩)からの、「新アシスタントに磯貝アナを!」という提案。市野瀬アナはこの番組での役目を十分果たしたので、次のステップに進むべきだ。そして新しいアシスタントには、当時入社3年目だった磯貝アナがふさわしいというのが稲村プラン。そこで明かされたのが、磯貝アナは東京大学出身という高学歴の持ち主であり、市野瀬アナとは真逆のキャラであるということ。そのあまりの経歴に、オドぜひは磯貝アナにとってマイナスでしかないと不安を口にするオードリー。しかしその3か月後、稲村プランが現実のものとなるのである。

    12月に入ると、「母親に頭がクサイと言われる」佐藤真門くんと、お母さんの美春さんが再登場。頭クサイ王決定戦を開催することに。判定は「あっ!」でお馴染みの美春さん。出場者は髭マジシャンのKISSERさん、パワポカラオケの山本さん、暇つぶしのプロの堀さん、息子の真門さん、そして若林さんの5人。王者は堀さん、真門さん、若林さんの3人に絞られたが、最終的に堀さんが初代頭クサイ王に輝いた。
    そしてまたまた嬉しい報告が。オドぜひの芸能人ぜひらー・スギちゃんに第1子が誕生。またこの放送では、後に番組に来てくれたTAIGAさんの結婚式の司会をオードリーが務めたことが明かされ、その際スギちゃんが挨拶に来なかったと若林さんが苦言を呈したのだが、実はスギちゃんのほうが6年も先輩であることも判明したのだ。

    そしてこの年のクリスマス12月25日の深夜、「歳末SP オードリーさん、ぜひ会いたいと言っている芸能人がいるんです!」(注⑪)を放送。矢口真里さん、カミナリ、スギちゃん、パンサー・尾形さんとそうそうたる芸能人の皆さんがオードリーに悩みを聞いてもらうべく出演。
    カミナリの芸人としてのマジな相談から、スギちゃんの実家突撃まで年末特番らしい華やかな番組だったのだが、1番の見どころは関西の重鎮・森脇健児さんのこたつ中継(注⑫)。ベテランの落ち着きなど全くなく、寒いからスタジオに来てくださいと呼んでも「行きたくない!」という潔さは芸人の鑑であった。

    明けて1月最初の放送では、レジェンドぜひらー・虹色侍がまたしても名曲を生んだ。実は下ネタが好きだという虹色侍。そこでAVのタイトルから曲を作ることに挑戦。出来上がったのが「お隣さんから風で飛ばされてきたパンティ」。しかもこの曲の内容に合わせ、春日さんと市野瀬アナのお芝居が合体。まさに上質なドラマのようであった。
    また岐阜のケーブルテレビの名物アナウンサー・那須さんも久々に登場。自分が得意なのは実況だという那須さんが、春日さんがお弁当を食べるところを実況。「ごちそうさまだー!」という名言が飛び出した。
    過去のレジェンドぜひらー以外にも、ミニマリスト大学生・加藤さんが登場。Yogiboさえあれば何もいらないということで、自分のすべての家財道具を賭け、ダーツでYogiboゲットに挑戦。これ以降、何かを決めるときにダーツで決めるというのがオドぜひの定番となった。

    そして2月。番組は大きな転換点を迎えることになった。それが市野瀬アナのご懐妊と番組卒業が発表されたのだ。2012年のオドぜひスタートからアシスタントを務めてきた市野瀬アナ。そのアナウンサー離れをしたキャラクターで、番組には無くてはならない存在となっていたが2月10日の放送をもって最後に。そしてこの放送内で稲村アナから新アシスタントに磯貝アナが就任することが発表された。こうして番組スタートから6年目にしてオドぜひは大きな節目を迎えることになったのだ。翌週の磯貝アナ初アシスタント回では、磯貝アナのお母さまが電話出演。彼女の洋服を全てお母さまがコーディネートしているという衝撃の事実が発覚した。
    「新アシスタント決定」 「磯貝アナ初登場!未放送シーン1」 「磯貝アナ初登場!未放送シーン2」

    またその翌週の放送では「水泳帽の早かぶりが得技」だという岩崎さんが登場。磯貝アナも挑戦し、早くも体を張ったバラエティの洗礼を受けることになった。
    また同じ放送回では、磯貝アナがアシスタントになって初のレジェンドぜひらーが誕生した。それが「口に水を含んだままクシャミをしても、絶対に噴き出さない」という当時は中学生だった礒江さんと、その友人の相武さん。この時は肝心のクシャミが出ないという、テレビではあるまじき失態をさらしたのであったが、失態はその後も永遠に続くことになるのだ。

    そして2017年度最後の3月、2回目の出張ロケが行われた。今回の舞台は鹿児島県の霧島温泉(注⑬)。鹿児島読売テレビの皆さんを招待しての公開収録だったのだが、鹿児島でも強烈なぜひらーの方たちと出会う事が出来た。中でも忘れられないのが、テレビ取材も来てもらえず観光PRがしたいという、鹿児島県の大隅半島にある錦江町の観光課課長・中島さん。朴訥とした語り口から飛び出すハチャメチャな集客作戦。この日は中島さんがプロデュースしたご当地アイドル「錦江くわがたガールズ」にも来てもらった。「はさんじゃうぞ!」というキラーワード、実はメンバーの中に錦江町出身者はいないなど、逆にオモシロ要素満載であった。
    また磯貝アナにとっては初対面だった虹色侍は、既存の名曲の歌詞を全く違う曲にして歌うという新技を披露。THE BLUE HEARTSの「TRAIN TRAIN」をレゲエバージョンにしたり、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」を洋楽風にしたりと、驚きの歌を聞かせてくれた。

    こうして激動の2017年度は終了。アシスタントが変わり、オドぜひも第2章へと入っていくのであった。

    ※2018年度は10月1日に更新予定です!

脚注

    (注①)パワポカラオケ
    パワポカラオケはアメリカが発祥のゲームらしく、2015年に日本で初めて大会が開催され、「全NIPPONパワポカラオケ協会」なるものがある。オドぜひにも主催のセミキノコさんに来てもらいお世話になった。その大会で準優勝したのがぜひらーの山本さん。そしてチャンピオンは、当時番組の構成作家を務めていた中内こもる氏であった。

    (注②)望月アナ
    当時はレギュラー番組がなく、悶々とした日々を送っていた望月アナ。そんな暇そうな望月アナに目をつけ、オドぜひではエロい声を出してもらったり、番組のナレーションをお願いしたりとお世話になってきた。そんな彼女だが、今や押しも押されぬ中京テレビのエースアナウンサー。彼女の育ての親はオドぜひだという事をお忘れなく。

    (注③)セットごと持ち込む
    この年の青森と鹿児島の出張ロケは、スタジオセットを持ち込んで行われた。しかし厳密にはスタジオセットではなくカキワリでる。要するにスタジオっぽい柄がプリントされた幕である。実は以前、KBS京都のスタジオに本当にセットを持ち込んだことがあった。その帰り、トラックに積んで持ってきたはずのセットが入らなくなった。美術担当のらおうが強引に積み込み、事なきを得た。

    (注④)オールナイトニッポン
    オールナイトニッポンに呼んでもらうなんて、これ以上光栄なことはない。私(富田)は学生時代、ビートたけしのオールナイトニッポンに夢中になった世代である。当時は毎週カセットに録音し、翌週まで何度も聞いたものである。その憧れのスタジオに市野瀬アナとともにおじゃました。一生の思い出である。

    (注⑤)動物に例えるとラマ
    なぜ春日さんが「ラマ」と言ったのか?それはラマが動物の中で好きでも嫌いなわけでもないが、なぜか動物園に行って見ると面白くてついつい足を止めてしまうからだそうだ。そして、たまに唾を吐いて攻撃してくるところも似ているからだそうだ。納得。

    (注⑥)テレビ信州の伊東アナ
    テレビ信州の伊東陽司アナは、長野県民なら知らない人はいないというぐらいの名物アナウンサーである。公式のプロフィールによると、特技は「似てる」と誰も言ってくれない「モノマネ」だそうだ。オドぜひでは度々お世話になっている伊東アナ。もしモノマネを見る機会があれば、「似てる!」と言うことにします。

    (注⑦)おかしなロケ
    ロケの中でみんなで食リポをする場面があった。それぞれが食べた後に、春日さんは「うまし!」若林さんは「うまばやし!」市野瀬アナは「うまいっちー!」と叫んだ。そして最後、内田アナは「うまだ!」と叫んだ。多分2度と使うことはなっかたと思う。

    (注⑧)市野瀬アナ結婚
    結婚の出会いとなったのが、昨年の年末SPの打ち上げだったという事は、番組内でも話されていた。これは若林さんなど、スタジオのチームの打ち上げである。一方春日さんなど雪山チームの打ち上げは、長野県戸隠の旅館で行われた。しかし大半のスタッフは撤収のため朝方まで雪山で作業をしていた。このことは忘れてはならない。

    (注⑨)三浦&伊藤
    オドぜひを愛してくれているこの2人のことが、スタッフは大好きである。今もたまにクチコミをくれるし、面談にもたびたび来てくれている。しかしいつも久しぶりに会った友達のように普通に会話して、最近はスタジオにお呼びしていない。スタッフが会って話がしたいだけという、珍しいタイプのぜひらーである。忙しいところ申し訳ありません。

    (注⑩)黒幕的存在の稲村アナ
    最近稲村さんは、中京テレビを退社された。稲村さんは明らかに異質なアナウンサーだった。誤解を恐れず言えば、ある人にとっては使いずらいアナウンサーだったかもしれない。しかしオドぜひでの稲村さんは、確実にホームランを打つ(若林談)人だった。中京テレビは惜しい人材を失った。第2の稲村さんはもう現れないだろう。

    (注⑪)オドぜひ歳末SP
    2017年の年末SPは、生放送ではなく初の収録ものになった。そして雪山や海という過酷な現場での中継もなく、ほとんどがスタジオで収録。その分多くの芸能人の皆さんにゲストで来ていただいた。日ごろオードリー以外の芸能人との接点があまりないスタッフは、お祭りのような番組に緊張してしまう。準備するのに1番苦労したのは、尾形さんに用意したウォシュレット付きの便座だった。

    (注⑫)森脇健児さんのこたつ中継
    森脇さんの中継現場には湯豆腐を用意することになった。すると京都在住の森脇さんから「湯豆腐を作るんだったら、京都の○○という店の豆腐じゃないとだめだ」と言われた。焦ったスタッフ。幸運なことに実家が京都だというディレクターがいた。そこで親にお願いし、当日豆腐を買ってきてもらい、名古屋まで持ってきてもらった。森脇さんも喜んでいた。

    (注⑬)鹿児島出張ロケ
    このロケでは大事件が起こっていた。名古屋へ戻る日の事。技術スタッフとADと磯貝アナが、出発までの空き時間に自転車を借りて鹿児島観光へと出かけたのだ。ところが出発の集合時間に遅刻。当時のチーフディレクターがブチ切れたのである。ただ怒った理由は遅刻だけでなく、自分がサイクリングに誘われなかったからなのかもしれない。

HISTORY OF 2018

    先に言ってしまうが、2018年度はローカル期の「オドぜひ」最後の年である。つまり「オードリーさん、ぜひ会って欲しい人がいるんです!」最後の1年でもあるのだ。

    4月はレジェンドぜひらー・スーパー人間からの衝撃的な報告で幕を開けた。それが、スーパー人間番組からの卒業。 商社への就職(注①)が決まったため、普通の人間に戻ることを宣言。スーパー人間の能力は、若林さんへと継承されたのだ。
    そして2人のレジェンド女性ぜひらーが誕生したのもこの4月。1人は作ってきたギャグを春日さんにあげたいという、当時大学生だった浅井ちゃん。自分がやっても面白くないけど、春日さんがやれば絶対面白いという理論から、無茶ぶりされる春日さん(注②)はシュールですらあった。
    そしてもう1人が、若林さんが好きすぎるあまりクチコミを連投してきた渡邊畔さん。オドぜひなら若林さんと合法的に接触できるという彼女の本気さは全てが神回となり、この後も続いていくことになる。

    5月には今もオドぜひの名物となっている「アナウンサーSP」(注③)の第1回が開催された。(女性アナなのにモテない おいしさをアピールできない女性アナ 衣装ってこれで正解ですか? 女性アナのヤバすぎる日常
    この回ではKBS京都の海平アナ、テレビ新潟の桜井アナ、青森放送の吉崎アナ、くまもと県民テレビの井上アナに出演していただき、恋愛・私生活・仕事と赤裸々な悩みを告白。特に井上アナは、私生活が寂しすぎるあまり占いにどはまりしているという衝撃的な私生活を明らかにしてくれた。

    同じくこの月、ミスターオドぜひ・石黒さんが久しぶりに登場。コンパ王・風俗王として常に番組をざわつかせてきた石黒さんが、地下アイドル王となって帰ってきた。その結果コンパ・風俗を卒業した石黒さんは、給料のほとんどを地下アイドル活動に費やし、ライブ三昧の日々を送っていることが判明した。そして新たなスターも生まれた。それがキックボクシング世界チャンピオンの大石さん。(注④)めちゃめちゃ強い現役格闘家なのだが、番組ではそのスゴさを見せられず、なぜかコミカルでダメな人扱いされる大石さん。そのギャップで一躍人気者になったのだ。

    6月最初の放送は、番組300回記念回。「オドフェス」と銘打って歯医者の原田先生、青森のLOVEの塊シンガー・t9n(たっくん)、天才コンビ・虹色侍という番組所縁のミュージシャンぜひらーを迎えて音楽フェスが行われた。
    翌週にはミスターオドぜひ・石黒さんとパワポカラオケの山本さんという、オドぜひの2大人気オジサンぜひらーが初共演。2人が組体操を披露するという、コアなオドぜひファンにはたまらない回となった。
    またオドぜひには珍しいおばさまぜひらーも登場。それが腹話術の人形の口を借りて本音をぶつけ合うという異色回もあった。
    そしてさらに口に含んだ水を噴き出さずにクシャミができるという礒江くんと相武くんが2回目の登場。高校生になった2人だが何の成長もなく、またしてもクシャミすら出ないという悪夢が繰り返された。

    7月には番組にとって大きな出来事があった。それがオドぜひのフィクサー・稲村アナの結婚と番組のナレーター交代の報告。オドぜひスタート時からナレーションを担当してきた藤井アナが報道部に移動が決定。それに伴い2代目ナレーターとなったのが望月アナ。(注⑤)その採用理由は「声がエロいから」。以降現在に至るまで、望月アナがオドぜひのナレーションを担当している。
    この月は大きな出来事がもう1つあった。それが芸能人SP。オドぜひは基本的に一般人の方をスタジオにお呼びしているのだが、まれに芸能人をゲストに迎えることも。今回はカミナリの2人をゲストに迎えた。先日結婚式を挙げたたくみさんは、中京テレビの松岡アナと佐野アナが、どうやら自分の事が好きらしいという馬鹿馬鹿しいクチコミを。まなぶさんは来年のM -1に出るべきかという、芸人として超マジな悩みを告白。若林さんから、本気のアドバイスを受けるという異色の回となった。(芸人カミナリのマジ相談① 芸人カミナリのマジ相談②

    8月には忘れられないぜひらーの初登場があった。それが「男子校あるある」(注⑥)を教えてくれた刈川さん。男子校出身者であれば涙なしでは聞けない哀愁のあるある。オードリーも大きく共感していた男子校の実態。そして同じ男子校でも、中・高ともに男子校と高校だけ男子校では、その重みが違うということも衝撃の事実だった。
    また「バラエティ番組の大げさなリアクションが嘘っぽい」と主張する山本さんが登場したのもこの月。バラエティ番組でよく見かける「ビリビリボールペン」「顔面洗濯ばさみ」「足つぼマッサージ」を体験してもらったのだが、芸人以上に大げさなリアクションを見せてくれた。ちなみにこの山本さん、翌9月にも出演。「人と会話しながらでもストップウォッチを10秒台で止められる」という、超絶くだらない特技を披露してくれたのだが、それも忘れられない回となった。

    9月に入ると、身体を動かすたびに「あっ」というエロい声が漏れてしまい、生徒にエロくてトレーニングに集中できない言われてしまう美魔女インストラクターの青山さんが登場した。
    さてオドぜひではたまに、本来別のクチコミで来ているぜひらーがつながりを持つことがあり、そのような回は盛り上がることが多い。9月の最終週に出演した1組目は、以前沖縄旅行でHなお店に行ったことが婚約者にバレた話をしてくれた三浦さんと伊藤さん。今回はオドぜひに出たことで伊藤さんが調子に乗っているというクチコミで来てくれ、前回同様大いに盛り上がった。
    ところが2組目に来たスリランカとのハーフの志村さんが、1組目の三浦・伊藤さんの裏側を暴露。2回目のオドぜひ出演という事で、控室で他のぜひらーに対しマウントを取るような言動を繰り返し、「この回、神回にしような」という素人らしからぬイキリ方をしていたという。そこで2人を再度呼び事情聴取したところ、調子に乗っていたのは三浦さんのほうだったという事がわかる、異例の収録となった。

    そして10月には嬉しいニュースが飛び込んできた。それがオドぜひ宮城県での放送スタート。徐々にではあるが確実に放送エリアが拡大してきていた。
    さらにこの月、若林さんに本気でアタックしようとクチコミを送ってきた渡邊畔さんが再登場。今回は若林さんのために手料理持参(注⑦)でスタジオへ。その手料理を、チェックという名目で先に食べてしまう春日さん。実は春日さんが渡邊さんの事が好きなのではという新たな疑惑など、渡邊さん出演回の中でも1・2を争う神回であろう。
    そしてもう1人、忘れられないのが反省顔の新出さん。(注⑧)居酒屋のバイトで怒られてばかりの彼が編み出した、反省しているフリの顔。今にも泣きだしそうなその顔を見れば、どんなに怒っている人でも許してしまう魔法の顔芸を披露してくれた。
    また芸能人ぜひらー・スギちゃんが久々にやって来て検証したのが「イジリの境界線」。(注⑨)スギちゃんのいじり方は?1 スギちゃんのいじり方は?2 スギちゃんのいじり方は?3
    本当はスギちゃんは、オードリーからイジられていることに怒っているのではないか?という疑問から、何はイジってOKで何はNGなのかをはっきりさせようというもの。その結果「性にまつわること全般NG」という事が明らかに。この企画は年末SPに発展。スギちゃん以外の芸人に対してもイジリの境界線を探ることになるのだ。
    11月にはオドぜひ最高齢ぜひらーが、オドぜひらしからぬクチコミをもって登場した。それが91歳の元従軍看護婦・竹内さん。太平洋戦争の時、現在横浜港に係留されている氷川丸に乗り、南方へ行っていたという戦争体験を語ってくれたのだ。(注⑩)この貴重な話をオードリーもまじめに聞き入り、改めて平和について考えさせられた異色回。91歳という年を感じさせない竹内さんの語りも秀逸であった。
    そして番組にとっても大きな出来事があったのがこの月。毎週土曜日の夜11時30分から放送していたオドぜひが、毎週月曜日深夜0時59分からの放送(注⑪)に移動。またしてもオドぜひは深夜へ潜ることになったのだ。
    そして月曜深夜の放送1発目に登場したのが、名古屋の地下アイドル・神崎豊さん。実は彼女、若林さんがミスターオドぜひ・石黒さんと一緒にライブを見に行った人であり、若林さんもファンになったという名古屋のレジェンド地下アイドル。もちろん石黒さんも登場したのだが、神崎さんから石黒さんのアイドル現場での悪行が暴露される結果となった。

    そして11月最終週と12月第1週にかけて放送されたのが、宮城ロケ。10月からオドぜひを放送してくれていた、宮城テレビさんにお礼を言いに行こうというものだったのだが、実はこの放送決定は、ミヤギテレビ内の熱狂的オードリーファンである編成担当・萱場さん(当時)の独断で行われていたことが判明。局内でのロケは、お礼ではなく念押しのようなものになった。さらに宮城のみなさまの好感度を上げることを目的に、仙台市内でもロケをすることに。ミヤギテレビのスタッフや、町の皆さんに最大限の愛想を振りまき「オードリーは感じがいい」という印象操作を行った。

    12月には1度しか出演していないが、強烈な印象を残した大学生2人組が登場した。それが一緒にSASUKEに出たいというクチコミでやって来た小林さんと杉本さん。この2人、同じマンションに住む幼なじみ。YouTubeにこのシーンはないのだが、夜な夜なマンションの屋上でたわいもない話をするのが楽しみだという2人。中でも「マンボウの話」は、絶品であった。
    そしてこの年も、恒例の年末SPが生放送された。タイトルは「歳末SP オードリーさん、NGが無いと言っている芸能人がいるんです!」10月に放送したスギちゃんのイジリの境界線を探る企画の拡大版で、ハマカーン・パンサー・マシンガンズの3組とスギちゃん。すぐキレると評判のハマカーン・神田さんの境界線や、パンサー尾形さんのマウントとってください顔など、テレビではなかなか触れにくい芸人のNGについて赤裸々なトークが繰り広げられた。

    1月には、ぜひらーらしい悩みを持つ大学生が登場。それが浪人して入学した者同士で作った「壱年遅れの里」というサークルを作った井戸さん。他のメンバーより優位に立ちたいという思いから、女性慣れしていることをアピールしてきたのだが、実は正真正銘のチェリー。そのことをテレビで告白し、他のメンバーに謝罪するという清々しい姿を見せてくれた。
    また触ると気持ちいいほっぺたを持っているという、あまりにくだらないクチコミで登場した横田さんは、オードリーに「初期のオドぜひの人」と言わしめた逸材だった。
    そして鼻に割りばしを入れて折るという、驚異の特技を持った石川さんが久しぶりに登場。今回はさらにパワーアップし、片方の鼻に割りばし8本を入れて折ることに成功。しかしそれ以上に衝撃的だったのは、石川さんの前歯が無くなっていたこと。そして磯貝アナも折ることはできなかったが、8本の割りばしを鼻に入れられたことだった。

    2月には美人キャディーの丹羽さんが衝撃的なクチコミで登場。それがオジサンゴルファーからの下ネタに困っているという事。そこで番組ではどんな下ネタを言われたのかをクイズ形式で紹介。下ネタを予想して答えるオードリーが1番気持ち悪いという、MCが損する珍しい展開になった。
    またオードリー経由で日向坂46の番組が好きになり、アイドルオタクになりそうだけど完全に踏み出す勇気がないという岸本さんが来たのもこの月。そんな彼の背中を押してあげようとやって来たのが、アイドルオタクの先輩、鼻割りばしの石川さん。オタクになることへの葛藤に悩む岸本さんと、歯がない石川さんの名コンビは、この後も続いていくことになる。

    そして2018年度最後の3月。オドぜひに超ビッグニュースが飛び込んできた。それはこの番組が、ほぼ全国放送(注⑫)になるという夢のようなニュース。今まで地道に放送エリア拡大を目指してきた番組が、一気にメジャーシーンに躍り出ることが決まったのだ。
    そんな中、水を噴き出さずにクシャミができる礒江さんが3度目の出演。実は某有名番組から取材を受け、その時は成功させたという彼が「スタジオは温かすぎるから、外でやりたい」とオードリーに提案。そこで真冬の中京テレビ屋外駐車場で挑戦したのだが、またもや失敗。もはや安定の失敗であった。
    また「男子校あるある」の刈川さんが、第3弾の「共学幻想あるある」を披露したのもこの月。男子校生が考える、共学ってこんな夢の世界なんだろうなあという悲しい幻想に、またもやオードリーから大共感を受けていた。

    そして3月30日、ほぼ全国放送を目前にして特別番組が放送された。それが夕方4時30分から放送された「オードリーさん、ぜひ会って欲しいひとがいるんです!もっとクチコミが送りたくな~る」。この番組はほぼ全国放送になることを祝すとともに、クチコミが増えることを願って放送されたもの。そこでスターぜひらーが登場していた。それが千の小技を持つ男・野々山さん。この初登場では「ラリラリらり…」を早く言えるという小技を披露してくれた。

    こうして2018年度のオドぜひも無事終了。そして2019年度から、オドぜひはいよいよ全国へと羽ばたいていくことになり、「オードリーさん、ぜひ会って欲しい人がいるんです!」という番組は、終了することになったのである。(注⑬)

脚注

    (注①)商社への就職
    実は一流大学に通っていたスーパー人間・高羽さん。商社への就職が決まったと聞いたとき、「なんだ、ちゃんとしてんじゃん」と思った。ところが就職活動で、オドぜひに自分が出演したシーンを面接官に見せたという話を聞き、「それで採用した商社って・・・」とも思った。その後高羽さんは、この商社でとんでもないミスをすることになるのだ。

    (注②)無茶ぶりされる春日さん
    浅井さんがオドぜひに出演したのは2回。ここで浅井さんが考案したギャグを全て列挙しておく。自分の筋肉を褒められたときに・・・「めっそうもない!」クイズ番組で間違えたときに・・・「トゥルース!」番組内ですべったときに・・・「カス岸壁!」これらはすべて春日さんがやればおもしろいというエクスキューズ付きのギャグである。

    (注③)アナウンサーSP
    今も年1回のペースで放送しているアナウンサーSP.。今までに5回放送し、中京テレビ以外に16局のアナウンサーの皆さんに出演していただいた。キョンちゃんというぬいぐるみを肌身離さず持ち歩く日本海テレビの定常アナや、美容系アナウンサーとして全国区の人気者になった福島中央テレビの直川アナなど、個性派アナウンサーはまだまだ各地にいるはずである。

    (注④)世界チャンピオンの大石さん
    実はメチャメチャ強い本物のキックボクサー。この後もたびたび番組には出ていただいたのだが、2021年現役引退。現在は自分のジムを経営し、後進の指導にあたっている。ちなみに同じぜひらーの顔面プリン・村瀬さんは、大石さんのジムに通い体を鍛えているそうだ。

    (注⑤)2代目ナレーター望月アナ
    当時、あまり仕事が無かった望月アナ。それなら声がエロいから、オドぜひのナレーションやってもらおうぜという軽いノリでお願いしたのだが、今や中京テレビのエース級アナウンサー。いつ偉い人に見つかって、辞めろ!と言われてもおかしくないが、それまではエロい声で原稿を読んでもらうつもりだ。

    (注⑥)男子校あるある
    「男子校あるある」はこの初回の「在学中編」以外にも2つ存在する。男子校を卒業した後に待っている地獄を描いた「卒業後編」。共学校への歪んだ偏見を赤裸々に語った「共学幻想編」。男子校の根深いトラウマは、40歳を過ぎたオードリーに今も絡みついている。

    (注⑦)手料理持参
    この日渡邊畔さんが持参した手料理は3品。1品目はクッキー。しかも「好き」や「LOVE」といった文字がデコレーションされたの物。2つ目はサンドイッチ。そして3品目は若林さんの大好物だというクラムチャウダー。しかし全て春日さんが食べてしまい、若林さんの口には入らなかった。

    (注⑧)反省顔の新出さん
    彼が居酒屋でのバイト中怒られてしまう理由は、ついついテレビを見てしまうこと。特に野球中継は、洗い場から身を乗り出して見入ってしまうのだとか。一方嫌いな番組は「素人へのドッキリ番組」。その答えに爆笑していた若林さん。どの番組を差しているのかは不明であるし、追究する必要もないだろう。

    (注⑨)イジリの境界線
    発端となったのはスギちゃんのブログ。2011年のスギちゃんブレイク直後、色々な番組に呼ばれるものの思うような結果が出せていないと嘆いていたスギちゃん。当時そのことをラジオ番組でイジろうとして、スギちゃんに電話したオードリー。ところがスギちゃんは電話に出ることを拒否したという事件があったのだ。

    (注⑩)戦争体験を語ってくれた
    当時の貴重な写真や凄惨な体験を語ってくれた竹内さんだが、実はその後、中京テレビの報道番組からも取材を受けていた。しかし後半、特技のけん玉を披露するという展開になり案の定失敗。平和を祈る貴重な話から、特技の失敗というオドぜひらしい流れは、番組史上最も落差のある回としても語り継がれるだろう。

    (注⑪)月曜日深夜0時59分からの放送
    番組にとって、放送時間の変更は大きな関心事である。ましてや早い時間から遅い時間への移動となると、存続が危ぶまれている?と危機感を持つのがふつうである。しかしオドぜひに限っては、「いいんじゃない!」という前向きな反応が多かった。深夜番組ならではの自由を愛するオドぜひ。今も中京テレビではこの時間に放送されている。

    (注⑫)ほぼ全国放送
    来年度の稿に詳しく書くことになるが、ここでは残念ながらオドぜひが放送されていない地域について触れておこう。それは宮崎県と沖縄県である。ただ、今も私たちは諦めていない。なぜなら宮崎の地鶏の炭焼きも、沖縄のそばも大好きだからである。もしこれを見た宮崎と沖縄のテレビ関係者がいたら、ぜひ購入を考えてほしい。

    (注⑬)「オードリーさん、ぜひ会って欲しい人がいるんです!」終了
    誤解を招きやすい書き方だが、これは事実である。4月からほぼ全国での放送になり、何が変わったのかは、来月の稿で書くことになる。7年間で342回放送してきた旧・オドぜひ。ただその内容は、放送時間がどうなろうと放送エリアがどうなろうと、何も変わっていない。我々はただ、ぜひらーに寄り添い続けるだけなのだ。

HISTORY OF 2019

    番組スタートから8年目。ついに「オドぜひ」は、ほぼ全国放送(注①)となった。
    そして4月から番組タイトルが「オードリーさん、ぜひ会って欲しい人がいるんです!」から「オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。」に変更(注②)されたのだ。

    ほぼ全国放送1発目のぜひらーは、「オドぜひ」のお祝い男・伊倉さんからスタート。全国にちなんだ安定のお尻ゲームで幕を開けたのだが、スタッフ内には「全国放送最初がこれでいいのか?」という意見もあった。
    そしてニューフェイス、稲熊さんの「死体顔選手権」や、久しぶりの登場となった小林さん考案のゲーム「ヒヨコ」など、ローカル時代とさして変わらない「オドぜひクオリティ」のぜひらーが登場。
    そんな中、MCである若林さんから水を差すような発言が。それが「ラジオとオドぜひはそっとしておいてほしい」と、「オドぜひのインスタはフォローしていない。なぜなら恥ずかしいから」というもの。それも仕方のないことなのかもしれない。

    そしてこの月、今も中京テレビと良好な関係を築いている(と思っている)、島根・鳥取を放送エリアにしている日本海テレビ(注③)さんへの出張ロケが行われた。そこで驚愕の女性アナウンサー、定常アナと出会うことに。何と彼女、子供のころから一緒に過ごしているというぬいぐるみ・キョンちゃんを常に持ち歩いているのだ。キョンちゃんのボロボロになったボディと黒ずんだ肌は、恐怖でしかなっかたが、よくよく考えれば1番怖いのは定常アナ自身である。

    全国放送になり番組に送られてくるクチコミも、多くなってきた気がする。その結果この年は、新たなスターぜひらーが多く誕生した。
    5月には、カラオケの男性パートと女性パートを1人で歌う「ひとりデュエット」なる技を披露した岩川さん。
    小学生の時「ラーメンを食べるのが早いね」と1度だけ友達に言われ、スタジオでごくごく普通にラーメンを食べた中学生、牛田さん。
    自称・世界一あごが柔らかい大学生、川井田さん。
    一瞬で服を脱ぐことができるという、驚異的な技を披露したNGが無い男・天井佑司朗さんなど、その後のオドぜひのクチコミの傾向に大きな影響(注④)を与えたハイクオリティぜひらーが続々登場。
    そんな中、ローカル時代から番組を支えてくれているキックボクシング世界チャンピオン・大石さんが、ジムの後輩とボディを打ち合うという荒業を繰り広げ、ミスターオドぜひ・石黒さんも、同時に複数の人の話が聞き取れるという聖徳太子のような特技を披露するも盛大に失敗。日本中にオドぜひクオリティを見せつけた。
    そしてもう1つ、おめでたい出来事があった。それが春日さんの婚約報告。ところがオドぜひでその報告を収録をしたのは、あの「金曜日騒動」のわずか4日後。スタッフは別の意味でニヤニヤが止まらない収録となった。

    6月に入ると、春日語を理解しているという鈴木さんが登場。本人との春日語翻訳対決では「確定申告」を「おしんこちゃん」、「パンツ」を「ズビン」など、本家を上回るセンスを発揮した。
    また、名古屋の地下鉄で若林さんに遭遇。(注⑤) サインをもらったという名村さんが登場。地下鉄内での若林さんのカッコつけた恥ずかしい言動を暴露し、春日さんが大喜びする回となった。
    そしてこの月、意外な経歴のレジェンドが初登場した。それが京都大学の若き研究者、寺川さん。科学誌・サイエンスにも論文を発表する天才科学者が持ってきたのは「春日俊彰の面白さに関する考察」(注⑥)という春日論文。その理論的で的確な春日論を、若林さんも絶賛。その後寺川さんの発言が、大きな争いの火種になっていくのだ。
    またこの月のオープニングトークで、若林さんから「楽屋を春日と別々にしてほしい」というお願いが。番組スタートから8年目にして、2人の楽屋は別々になったのだ。

    7月には若林さん、磯貝アナそれぞれから忘れられない言葉が飛び出した。まずは、自分の中でランキングをつけるのが好きという守屋さんの出演回でのこと。話は若林さんが自分のレギュラー番組の中で「オドぜひ」は何位?という際どい話題に。そして答えたのは「6位」という何ともリアリティのある順位。これにはスタッフはもちろん、春日さんと磯貝アナも絶句。一瞬スタジオが静まり返ったのだ。
    もう1つは、オープニングトークが跳ねるように磯貝アナにアドバイスがしたいという飯塚さん。そこでオードリーから「磯貝は俺たちを下に見ている」と言われたことに対し磯貝アナが言った「学力は下ですよね。ファクトベースとして」という辛辣な一言。ぐーのねも出ないとはこのことであろう。
    またこの月には、ほぼ全国放送になって初めての「アナウンサーSP」(注⑦)を放送。日本海テレビ放送の定常アナが、キョンちゃんを鳥取から中京テレビに連れてきてくれた。( 芸人との距離がわからない ぬいぐるみと一緒に遊んでほしい 友達のつくり方が分からない 言いたいことが言えない・・・ これと言った特技がない

    8月は「みかんゾンビ」という映画のアイデアをもってきたゆうじさん。
    行動にナレーションをつけるという遊びを考えた佐々木さんなど、一風変わったぜひらーが登場したのだが、なぜかゴリゴリの下ネタ回が連発。
    1つはレジェンドぜひらー・虹色侍が披露した、官能小説の一節を、エロさを感じさせないように歌うという新技。このころにはメジャーになっていた虹色侍が、「本当はやりたいことだけど、今となってはオドぜひじゃなきゃできない」ということで下世話な一面を見せてくれた。
    もう1つが、写真を撮られるとき上手に笑顔が作れないという姉崎さん。以前旅行に行った時の写真で、唯一笑顔の写真が撮れたのがお土産にエロ本を買った時に撮った1枚。そこで番組のエロ声ナレーター・望月アナが、「チーズ!」の代わりにエロい一言を言って写真を撮ることに。最もいい笑顔が撮れたのは、「早く、早く!旦那が来ちゃう!」で写真を撮られた若林さんだった。( うまく笑えない 【追加編集版】笑顔の作り方が分からない

    9月には、今も伝説として語り継がれているぜひらーが登場した。それが、一世風靡のダンスを披露した菊池さん。姪っ子にカッコいい姿を見せるために、どこまでも真面目なダンスにかける姿勢。違う曲が流れてしまうCDラジカセ。歌の部分は口パクと、その全てが規格外の破壊力を持っていた。残念ながら権利の関係でYouTubeには挙がっていないものの、見た人の脳に強烈に記憶され続けるレジェンドである。
    また、若林さんを本気で狙う渡邊畔さんも、ほぼ全国放送になって初登場。「結局一番若林さんのことを分かっているのは私だと思います」という、恐怖映画の題名になってもおかしくないクチコミは、クチコミ文言として番組屈指のものだろう。

    またこの月は、静岡第一テレビさんにおじゃましてのロケを敢行。中堅同期アナ3人組VS期待の大型新人アナの確執という、見ごたえある局内ロケはよかったのだが、午後から静岡第一テレビさんの番組のロケに出演。その裏でオードリーがボケ、磯貝アナがうまくツッコミができるのかというオドぜひのロケを同時進行。(注⑧) 結果は静岡第一テレビの皆さんに多大なご迷惑をかけるという、史上最低のやらかしをしてしまったのだ。

    ほぼ全国放送になって半年。いつまでも下ネタや、下品なことをやっていていいものか?という話が無かったわけだはない。しかし放送エリアが拡大したことで、丸くなったと言われるのもシャクではある。
    そんな中10月に入ると、ド級の下品なぜひらーが登場した。まずは「オナラが臭すぎる」という金子さん。しかも金子さん、おならをすると部屋にある空気清浄機が、最強を示す赤いランプが点灯するという。それを証明するためにスタジオで実験。何とクチコミ通り赤いランプが点灯。しかも空気清浄機がゴーという音を立てて動きだすという、視覚にも聴覚にもわかりやすく証明してくれたのだ。
    もう1組が「ぬぎたろう」という2人組のダンサー。じつは「明石ブレイカーズ」という世界大会で第3位になったダンスチームのメンバーなのだが、2人のダンスは途中で全裸になり、しかも絶対に局部を出さないという超絶技巧。我々は初心を忘れないという意思表示を、全国に示したのだ。
    そして、いかにもオドぜひらしいぜひらーも登場した。それが、他人の目を見て話すのが苦手だけど、克服する技を考えたという永井さん。それが手を望遠鏡のようにするという、信じられない技。(注⑨) 永井さんの、真面目なのかふざけているのか分からない飄々としたキャラもあいまって、一躍人気ぜひらーとなった。( 相手の目を見て話すための技 【追加編集版】相手の目を見て話すための技

    11月には今もYouTubeで人気のレジェンド級ぜひらーが登場した。それが、渡邊畔さん以来のガチ若林ファンぜひらーの新星・藤野さん。中・高校が女子校だったので青春を取り戻したいという、一見普通のクチコミでやって来たのだが、本当の目的は若林さんとイチャイチャすること。グイグイ責める藤野さんと、マジで照れる若林さんのかくれんぼは、オドぜひでも名シーンの1つである。
    またアイドルオタクになってしまうのが怖いと言っていた岸本さんが、しっかりアイドルオタクになって再登場。今回は正しい握手会での振る舞い方を、アイドルオタクの先輩である石川さんに教えてもらった。
    そしてオドぜひのカメラアシスタントのバイトをしているオードリーの大ファン・鈴木さんもこの月に登場。アルバイトという立場ながら、「オードリーの凄さを分かっていない」と、制作陣に説教するという内部告発回であった。

    12月に入り、またまたレジェンド級ぜひらーが登場した。それが若林さんに憧れるあまり若林さんになりたいという中学生・平井庸生くんと、お母さんの律子さん。若林さんの口調やファッションを真似するという珍しいセンスの中学生と、それを心配するお母さん。しかしそのセンスは、ガッツリお母さん譲りであることが判明していくのだ。

    そしてこの年は、恒例の年末SPが無かった。その代わりというわけではないが、3回目のロケを行っている。それが福岡ロケ。(注⑩)
    前半は福岡放送さんにおじゃまして、局内でアナウンサーの皆さんの噂を検証するというほっこりロケだったのだが、後半は「メシブラウン」というグルメ番組のロケに参加させてもらうことに。夏の静岡での失態も記憶に新しいなか、今回はご迷惑をおかけしないようにと考えたのが、グルメロケ終了までにオードリー、磯貝アナの3人でガッツリ食べて5キロ太ろうというもの。今回はご迷惑はおかけしなかったものの、終了間際に若林さんが我慢できずにトイレに行き、あわや失敗かとひやひやしながらもミッションクリアするという、エキサイティングなロケとなった。

    1月に入ると、番組に嬉しいニュースが飛び込んできた。それが番組公式YouTubeの登録者数10万人達成。(注⑪) YouTubeから銀の盾もいただき、今も番組セットの中に飾られているのだ。
    そして新年1発目は、来年度の中京テレビ内定者だった、谷口さん(注⑫)が登場。50音の中間の音が出せるという、文章にはできない技を披露。ぜひYouTubeを見て確認してほしい。
    そしてなんといっても忘れられないのは、感動的ですらあったと今も語り継がれる、女性の前で食事ができないという長谷川さん。番組内で見事に克服し、磯貝アナの前でサンドイッチをほおばる姿は、同じ悩みを抱える人たちに勇気を与えたことだろう。
    更にレジェンド変態ぜひらーも登場した。それが女性の化粧ポーチに興奮する石川さん。女性アナの化粧ポーチ(磯貝アナのもの)のニオイを嗅ぐ姿は、面白さと気持ち悪さが見事に両立した奇跡的なシーンだった。( 日常生活に支障をきたす男 【追加編集版】日常生活に支障をきたす男のポーチ予想

    2月に入ると、40歳を過ぎて自分に友達がいないという事が怖くなったオジサン、川越さんが登場。その原因は自分にあるという事がわかったときのその表情は、哀愁にあふれていた。
    また、胸から肩の間は痛みを感じないという坪井さんも初登場。その範囲は増えつつあるという事が判明し、後年更に進化した姿を見せてくれた。
    そんな中、期せずして「絶交SP」となった回があった。親友だと思っていた鈴木さんが、彼女ができてから態度が偉そうになったため、縁を切ろうと思っているという森田さん。絶交史上、最もポップな絶交ショーが繰り広げられた。
    そして同じ回に登場したのが、リズミカルにハンバーグをこねるという松田さん。しかしその収録に、だまされて連れてこられた友達の佐藤さん。なぜか2人も絶交するかしないかを問われる状況となり、この日2組目の絶交が決定。面識のない前後のぜひらーに物語が生まれ、話が1つにつながる時は名作が生まれるというオドぜひあるあるが証明された。

    そして2019年度最後の3月、歴史にピリオドを打つ大きな報告があった。それがオドぜひ初代アシスタント・市野瀬アナの中京テレビ退社報告。(注⑬) 新潟の局から2012年中京テレビに入社。以来オドぜひのアシスタントを約5年半務め、出産を機に卒業。最後は恒例の土下座で、中京テレビのアナウンサー人生を締めくくった。オドぜひの最大の功労者の1人である彼女は、現在はフリーのアナウンサーとして活躍している。 ( 市野瀬アナから大切なご報告 収録後の市野瀬アナよりご挨拶 市野瀬アナ 土下座する?しない?

脚注

    (注①)ほぼ全国放送
    この4月から始まった「オドぜひ」のほぼ全国での放送。詳しくは説明しないが、「オドぜひ」は全国ネットではない。そのため各局によって放送日時がバラバラである。そして放送をしていない地域が2つある。宮崎県と沖縄県だ。しかし我々は諦めない。いつの日か堂々と「全国放送」と言える日まで。ただこの2つの県から、クチコミは届いている。

    (注②)タイトル変更
    4月から番組タイトルは「会って欲しい」から「会ってほしい」。「いるんです!」から「いるんです。」に変更された。とくに「ほしい」については、「会って」という動詞につく補助形容詞であるため、漢字は使わないという国語的誤りであることが判明。実は以前から間違いを認識していたのだが、「今がチャンス!」とほぼ全国放送をきっかけに訂正したのだ。

    (注③)日本海テレビ
    日本海テレビさんでは定常アナのほかにも、多くのアナウンサーの方にご出演いただいた。2次元しか愛せない大垣アナ。スポーツカーを乗り回す体育会系女子の中尾アナ。そしてまだまだ仕事に自信が持てない、新人の米澤アナ(当時)。そして、そんな個性的なアナウンサーをまとめ上げる福谷アナ。みなさん、お元気ですか~?

    (注④)クチコミの傾向に大きな影響
    牛田さん出演後は、「○○って友達に言われたんで来ました」という人が。川井田さん出演後は「身体の○○が柔らかいです、硬いです」というクチコミが。天井さん出演後は「俺は春日のように○○です」というぜひらーが激増。クチコミのクオリティが上がったのか、下がったのかは分からないが、テレビに出るハードルがさらに下がったことは間違いない。

    (注⑤)名古屋の地下鉄で若林さんに遭遇
    これは「オールナイトニッポン一宮公演」で名古屋に滞在中の事で、オドぜひ収録のため中京テレビへ向かう地下鉄東山線内での出来事であることが判明している。ちなみに若林さんが乗車してきた、栄から名古屋までの所要時間は約6分。この栄―名古屋間は1957年に、名古屋で最初の地下鉄路線として開業した歴史ある区間である。

    (注⑥)春日俊彰の面白さに関する考察
    ここでは衝撃的だった春日論文の最後の一節を書いておく。「春日のここ、あいてますよ」について、約10年間、春日のここは一度もあいてなかったことからこれは「ギャグ」ではなく「単なる嘘」であることを補足しておく。さすが研究者の論文は、ファクトに基づき隙がない。

    (注⑦)ほぼ全国放送になって初めての「アナウンサーSP」
    出演アナウンサーは、共演する芸人さんとの距離感がわからないという、南海放送の竹内アナ。キョンちゃんと一緒に名古屋までやって来た、日本海テレビの定常アナ。局の中に友達がいない、広島テレビの松岡アナ。そして普段の生活で言いたいことが言えないという、日本テレビの後藤アナ。ちなみに磯貝アナも、何の特徴もないという悩みを打ち明けた。

    (注⑧)オドぜひのロケを同時進行
    オドぜひは系列局に行くと、その局の番組にゲスト出演させていただき、その裏でバレないようにオドぜひのロケを同時進行させている。この時は、静岡で絶大な人気を誇る久保ひとみさんとロケをしたのだが、裏で磯貝アナのツッコミ能力を検証。しかし全くツッコミができない磯貝アナに、逆に久保さんが、「ちゃんとツッコめ!」と説教していた。

    (注⑨)信じられない技
    ここではこの回のYouTubeを見た視聴者さんの書き込みを紹介しよう。「接客業だから参考にしたい、と思って再生した私が馬鹿でした。」「マジで克服できるかとちょっと期待しちゃったんだよな… この番組に、そんなの期待した俺が馬鹿だったよw」

    (注⑩)福岡ロケ
    福岡放送さんでは、運動神経が無いという噂のある元AKB48のメンバーだった、小林アナ。制作陣に不満を持っているという噂の、伊藤アナ。最近つまらなくなったという噂の、財津アナにご出演いただいた。そして一緒に出演してもらった福岡放送の羽田野ディレクターには、美味しいお店に連れて行ってもらった。また福岡に行きたいです。

    (注⑪)YouTubeの登録者数10万人達成
    本当にありがたいことである。現在の登録者数は50.9万人。目標は大きく100万人。ちなみに視聴回数トップは、「メガネを外すと雰囲気が変わる」麻生くんで、驚異の1,339万回。これはオドぜひの7不思議の1つと言われているが、あと6個が何かは分からない。番組登録、よろしくお願いします。

    (注⑫)谷口さん
    その後谷口さんは、中京テレビに入社。現在は大人気番組「オモウマい店」を担当し、お蕎麦屋さんの弟子になったり、お店に住み込んだりと、番組の中でも名物スタッフとして人気者になっている。後年中間の音を出すというネタを若林さんが欲しいと言い出し、谷口さんをスタジオに呼び確認したが不許可となった。

    (注⑬)市野瀬アナの中京テレビ退社報告
    市野瀬アナの、現在までのところ最後の出演となったこの回。土下座をするしないでモメルという、オドぜひではよくある流れとなった。しかし「最後に土下座をさせるのはやめよう」とオードリーが言ったのに対し、市野瀬アナが「それはちょと・・・」とまさかの自ら土下座受け入れ発言。最後までイッチーらしい雄姿を見せてくれた。ありがとう!

HISTORY OF 2020

脚注

    (注①)ローカル番組お悩み相談SP
    この企画ではローカル番組の出演者と一緒に、番組のプロデューサーの方にも出演していただいた。「ブギウギ専務」からは岸さん、「クロ女子白書」からは松尾さん、「和牛のA4ランクを召し上がれ!」からは徳丸さん。この企画は第2弾も放送され、今年は「ご当地タレントSP」という企画も実施したのだが、毎回制作担当者には出演してもらうことが恒例となった。

    (注②)衝撃的な回
    ローカル番組の裏事情を聞いていく中で、信じられないような事実がいくつも判明した。中でも衝撃的だったのは、「ブギウギ専務」の話。スタッフは岸さん1人しかおらず、ロケハンからロケのドライバー、編集や宿泊先の手配など、全て岸さんが行っているというのだ。多分日本一仕事量の多いプロデューサーだろう。

    (注③)永井さん
    オドぜひに出演すると良くも悪くも影響があるらしい。永井さんの場合、放送を会社の上司が見ていて、朝一でいじられるという災難に巻き込まれた一方、オドぜひに出演したことを元カノが知り、それをきっかけに復縁。めでたく結婚したというのだ。正真正銘オドぜひ婚である。

    (注④)地下アイドルからもらった手紙
    ここでは石黒さんが泣けると言っていた桜花すずさんからの手紙を掲載する。
    今日は来てくれてありがとう。回してくれて本当にうれしい。私よりもはるかに有名で面白くて、頭のいい石黒さんに推してもらえるなんて本当に幸せです。(中略)石黒さんのコト大スキなの伝われー(以下略)。石黒さんは幸せ者だ。

    (注⑤)藤野さんのリモート出演回
    この回で秀逸だったのは、藤野さんによる登場人物の相関図とキャラ設定だった。前回出演時から1年たち、高校3年生になった野球部員の若林さんと春日さん。そのマネージャーである藤野さんと磯貝アナ。ちょっとだけ距離が縮まったので、藤野さんは若林さんをマサと呼んでいる。2人はお互いのことが好きなのだが、まだ気持ちは伝えていない。などなど、いい作品はキャラ設定がしっかりしているものだ。

    (注⑥)ぺこぱ
    このぺこぱ出演回で、松陰寺さんからある事実が明かされた。それがオードリーとぺこぱには共通の師匠・TAIGAさんがいるということ。放送ではお互いに、TAIGAさんからの影響を認めてはいたが、「テレビでTAIGAさんの名前は出しちゃダメ」と言う若林さんの一言から、深掘りはされなかった。これが後のTAIGAナイトへと発展していくのだ。

    (注⑦)TAIGAナイト
    異例の3週ぶち抜きで放送された「TAIGAナイト」。側近のカズレーザーさんにも来ていただき、TAIGA王国というものがあることが判明。食事に行くと後輩がおごるので、家臣がお金を収める国王のようだからという理由が明かされた。また「必ず泣く」と言われ家族からのビデオレターを用意したものの、まったく涙を見せずに終了。後日、別の番組でビデオレターが流れた時は号泣していた。

    (注⑧)全国アナウンサーSP
    今回はアナウンサーが抱える局内での確執などが問題となったのだが、忘れられないのは当時中京テレビの新人アナウンサーだった伊藤アナと、金沢の中堅アナウンサーだった森開アナのバトル。「発声練習なくして芸能人と会いたいなど、何を言うか!」は、全国の新人アナウンサーが肝に銘じておくべき名言かもしれない。

    (注⑨)見応えのあるバトル
    春日さんが行きたい観光地ベスト30を、若林さん、磯貝アナ、そして小林さんの3人が順番に答えていくこのバトル。何と残り6枚まで脱落者なしで進んだが、ここで若林さんが厳島神社を美ら海水族館と答え脱落。磯貝アナと小林さんの一騎打ちとなった。そして最後の1枚。これを磯貝アナが答えれば同点優勝となるはずだったが失敗。後日、世界の観光地ベスト30で2回戦が行われた。

    (注⑩)中京テレビのアナウンスルーム
    このアナウンスルーム中継で事件が起きた。仕事から続々アナウンスルームに戻って来るアナウンサーがいる中、ぐったりした佐野アナが帰社。いつもは明るい佐野アナなのだが、どうやらこの日はつらい仕事だったらしく、オドぜひチームと磯貝アナを見て「キラキラしてる」と言い号泣。アナウンサーの光と影が白日の下にさらされた瞬間だった。

    (注⑪)チームマッチョの名言
    この時他に教えてもらったのが、伝説のボディビルダーであるロニー・コールマンの掛け声。ベンチプレスを持ち上げる前に「ライウェイ、ライウェイ、ウェイ、ウェイ、ウェイ。アイムレエディー!ライウェイウェイウェ〜!」というものがある。多分筋トレ好きの視聴者は、テレビの前で爆笑していたんだと思う。

    (注⑫)佐藤アナ
    佐藤アナは見た目がちょっと怖いため、社内ではだれも面と向かって禿げていることをいじる人はいなかった。それがこの日、自ら極上の「ハゲ落語」を披露してくれた。そのことを最も喜んでいたのは磯貝アナだった。収録中も、収録が終わってからもゲラゲラ笑っていた。どうやら磯貝アナはハゲがツボらしい。

HISTORY OF 2021

脚注

    (注①)チェリー人狼ゲーム
    鹿児島の大学生からのクチコミで行われたオドぜひ最大級のゲーム企画。クチコミを送ってくれた河野くんの友人6人の中から、だれがチェリーなのか当ててほしいというもの。参加したのは河野くん・松山くん・久保下くん・津曲くん・宇都くん・森くんの6人。誰がチェリーだったかはここでは言わないが、6人ともにチェリー疑惑があり個性派ぞろい。放送後、好評につきCH3の文字と3人の顔写真がデザインされたTシャツを視聴者プレゼントした。

    (注②)2021年のアナウンサーSP
    この年からアナウンサーSPの参加資格を男性アナウンサーにも拡大した。参加していただいたのは、テレビ岩手・中島あすかアナ、福井放送・工藤遥アナ、静岡第一テレビ・澤井志帆アナ、そして初の男性アナウンサーとなったのが福島中央テレビ・直川貴博アナ。直川アナはオドぜひ出演をきっかけに、美容系アナウンサーとして全国ネットの番組に出演。一気にその名を全国にとどろかせた。

    (注③)山口トンボ
    愛知県出身で、元々は芸人だった(NSC名古屋11期生。NUTS、けんだまというコンビで活動)という過去を持つ山口トンボさん。オドぜひでは構成作家として参加してもらっているが、チームカジサックの一員としても有名。坊主頭にキャップを被り、黒縁メガネがトレードマーク。オドぜひでは鋭い意見を言うというよりは、会議のムードメーカーとして働いてもらっている。

    (注④)報道番組でのスギちゃん
    現在スギちゃんは、中京テレビ夕方のニュース番組「キャッチ!」の中で、「わが町モーニング一番店」「わが町ランチ一番店」というコーナーでリポーターを担当してもらっている。町の人にお店の情報を教えてもらい、アポなしで取材に行くスタイルなのだが、町の人との温かいやり取りはスギちゃんの人柄が表れている。スギちゃんは中京テレビ報道部では絶大な信頼を得ている。

    (注⑤)稲村アナ
    オドぜひの黒幕・稲村アナとして暗躍してきた稲村沙綾アナウンサーは、東北大学出身で、2015年入社で磯貝アナの先輩。飄々としていながら鋭い毒を吐いたりと、入社当時から異色のアナウンサーと言われていた。2021年経営企画局に異動し、アナウンサー職から離れることに。そして翌2022年、中京テレビを退社。現在は料理人になるべく修行中である。

    (注⑥)大石さん引退
    元ISKAムエタイ世界スーパーライト級王者など、数々のタイトルホルダーであった大石駿介さん。オドぜひではいつもカッコ悪い姿を見せていた大石さんだが、マジで強くてかっこいい男である。引退後は名古屋市内にある「OISHI GYM」で、後進の指導にあたっている。ぜひらーの「顔面プリン・村瀬さん」も、このジムに通って身体を鍛えている。

    (注⑦)酒井さんのファッション
    オドぜひでもテレビに出るとなると、皆さんオシャレをして来てくれる。そんな中にあっても酒井さんのファッションはずば抜けていた。7分丈のパンツに、長めの靴下。「箱根」と書かれたTシャツは、なぜか八景島シーパラダイスで買ったもの。そして極めつけは、腕に巻かれた大きな玉のついたブレスレット。若林さんから「ポンデリングを巻いている」と言われた逸品である。

    (注⑧)日本海テレビの馬田プロデューサー
    馬田さんと初めて会ったのは、鳥取で「冠ルーヤ」のロケにお邪魔したとき。スタッフの中でも明らかに年配者だったのだが、大きな袋を両手に持っていた。実は当時馬田さんは制作部の部長さんで、その後東京支社に栄転されたと聞いた。つまり日本海テレビさんの偉い人。しかし飾らない人柄と天然のキャラクターで、誰からも愛される名プロデューサーである。

    (注⑨)トラストチャレンジ
    2021年の「オドぜひ年末SP」の最終競技だったのが「トラストチャレンジ」。中京テレビの屋外にプールを設置。プールの真ん中に立てられた旗を、コンビの2人が協力して(相手を信頼して)取るというものだった。スタッフが最も頭を悩ましたのは、旗の位置をプールの端からどれくらい離すのか?取れそうで取れない絶妙な位置を探るため、スタッフも何度もプールに落ちた。

    (注⑩)安野さんと小竹さんと中村さん
    イエスマンの安野さん、武勇伝が作りたいの小竹さん、親に感謝を伝えたいの中村さん。この記憶に残る3人のぜひらーにはある共通点がある。それは全員北海道出身だということ。この時期なぜ北海道からのクチコミが多かったのかは不明だが、3人とも非常にピュアで美しい心の持ち主だった。しかし1つだけ不思議なのは、なぜ「オドぜひ」にクチコミを送ってきたかである。

    (注⑪)奇跡のコラボ
    美味しい麻婆豆腐が作れるという、天文学を学ぶ藤井さん。その調理中にスタジオに来たのは現役JKの宮本さんと磯田さん。そして藤井さんが作った麻婆豆腐を食べることになった宮本さんと磯田さん。真面目な大学院生が作った料理を、面識のないイケイケの女子高生が食べる。お互いに2度とこんな機会はないだろうという食事会は、奇跡のコラボだった。

    (注⑫)磯貝アナから3代目アシスタント・阿部アナへ
    翌2022年、2代目アシスタントの磯貝アナは中京テレビ退社を機に、オドぜひから卒業することになる。そして3代目アシスタントとして阿部芳美アナが番組に加わった。初代市野瀬アナは破天荒。2代目磯貝アナはインテリ。そして3代目阿部アナはスポーツ万能という武器を持っていた。中京テレビのアナウンサーである番組アシスタントもまた、オドぜひには欠かせない出演者である。

共有する