INTERVIEWインタビュー

CHISAKO ONDA

2017年の10月に乳がんであることがわかり、11月に右乳房とリンパ節の摘出手術を受けた恩田千佐子アナウンサー。2018年3月「キャッチ!」に完全復帰し、現在も治療を続けながら番組のメインキャスターを務めています。乳がんの治療や私生活の様子を番組で報告しようと思った心境や、今だから語ることができる当時の心境を告白。「ススメプロジェクト」のアンバサダーである彼女の言葉を通じて、「乳がんは他人ごとではない」「毎月1回のセルフチェックと、40代以上は少なくとも2年に1度の検診の重要性」が伝わることを願っています。

家族、仲間、経験して見えたこと。

念のため…と受けた検査で
まさかの乳がん発覚。

年に1度の人間ドックで、マンモグラフィとエコー、両方の検査を欠かさず受けていました。2015年あたりに受けたマンモグラフィで、検査時に透明な液体が乳頭から出てきて、精密検査を受けた結果、大丈夫だと言われました。2017年の春ぐらいにまた乳頭から透明な汁が出てくるようになりました。気づくと胸のあたりが湿っている感じで。「血が混じっていたら乳がんを疑った方がいいと聞くけど、血は混じっていないし、前と同じ症状かな?」と思いつつ、念のため病院で診てもらうことにしました。それが2017年の8月です。

マンモグラフィと細胞検査を受け、結果を聞きに行ったところ「悪性腫瘍ではないと言い切れません」と先生。さらにMRI、組織検査へと進み、最初の検査から2か月後に乳がんと診断されました。そして翌日、愛知県がんセンターを訪れることになったのです。

乳がんの実態を伝えることも
私の使命だと。

先生から診断結果を聞き、真っ先に報告したのは娘です。ショックを与えて負担をかけることは重々理解しつつも、大人の女性同士、ここは寄り添ってもらおうと思って。高校生の息子に伝えたのは手術の直前でした。あまり早く伝えて精神的な負担を長くかけるのもどうかと思いましたから。

あと、信頼する女性ディレクターにも伝えました。乳がんの手術や治療について伝えることも私の重要な仕事と思い、彼女に撮影をお願いしたんです。初めてがんセンターを訪れた日から同行取材が始まり、その時は「ここから撮影スタート!」という心境で、あまり落ち込む暇もなく元気でしたね。

「これで終わりじゃないんだ…」
手術後に訪れた「リンパショック」。

10月に乳がんと診断されて、手術を受けたのが11月14日です。6時間ほどの手術を終えて、全身麻酔から目が覚めた時、先生から「リンパ節まで転移していたので、そちらも全部摘出しました」と聞き、ものすごくショックを受けました。これを私は「リンパショック」と呼んでいます。病理検査の結果、ステージ「ⅡB」(※)と分かり、考えていたよりも進行していたことに驚きを隠せませんでした。「初期だから手術さえすれば大丈夫、早く見つかってよかった!」と軽く考えていましたが、この後抗がん剤治療が必要かもしれない、これで終わりじゃないんだな、と先のことを考えてかなり落ち込みました。

※ステージ
がんの進行程度を示す言葉で、日本語で病期と表現します。ステージにはローマ数字が使われ、0期、Ⅰ期、Ⅱ期(ⅡA、ⅡB)、Ⅲ期(ⅢA、ⅢB、ⅢC)、Ⅳ期に分類されています。ステージはがんが乳房の中でどこまで広がっているか、リンパ節転移があるか、骨や肺など乳房から離れた臓器への転移があるかなどによって決まります。

家族のため、自分のために
抗がん剤治療を決意。

先生からホルモン療法(内分泌療法)を受ければ約90%再発を抑えることができ、抗がん剤治療を受ければその確率がさらに3〜4%上がると説明を受けました。抗がん剤治療を受ければ、副作用による様々な症状が起きることは認識しています。でも、より高い確率でリスクを回避できるのなら、家族のため、そして自分のために受けようと決心しました。ただその時も「もしかしたら脱毛しないかもしれない、吐き気もないかもしれない」と楽観視していたんです。ところが、抗がん剤治療を始めた途端、吐き気が1週間続いて味覚障害も起き、2週間後には髪の毛も見事に抜けて…。

本に書いてある通りの症状が次々と身に降りかかり、「私だけは大丈夫」というのはないと痛感しました。抗がん剤を投与したあとは辛い日々が続くので、自分ひとりだったらご飯を作る気も起きず、寝てばかりで気が滅入っていたかもしれません。ところが息子のためなら朝・昼・晩ご飯の支度や、お風呂の準備のために、不思議と体が動くんです。年頃の男の子なので、特に会話はありませんけど(笑)、いてくれるだけで心身の支えになりましたね。

脱毛による精神的なダメージは
思っていたより甚大でした。

先ほど「リンパショック」の話をしましたが、次に訪れたのが「脱毛ショック」。これは想像以上に精神的なダメージが強かったです。自分の経験したことを視聴者の皆さんへ伝えるつもりで、診察や手術後の撮影をお願いしたのに、髪のない状態の写真は一枚も撮れませんでした。どうにも残すのがイヤだったんです。この心境は自分でも意外でした。3か月も番組を休んでいると、抗がん剤治療を受けているのかな?と気づく方もいらっしゃいます。帽子をかぶって外出したら、脱毛したことを悟られてしまうので、ゴミ出し程度の外出でも必ずウィッグを着けていました。

2018年の10月1日に生え揃った地毛で番組に出演するまで、ずっとウィッグ生活。でも、ウィッグと気づいてもその話題に触れない方がほとんどです。そうした気づかいに皆さんの思いやりを感じました。もし周りの方が何らかの理由でウィッグを着けていて、自分からカミングアウトしないのであれば、そっとしておいてあげてほしい…経験者からの切なる願いです。

戻りたい場所、戻れる場所がある。
それが何よりの励みになります。

自宅での療養中、毎日「キャッチ!」を見るのが楽しみでした。私がいない間、後輩たちが番組を守ろうと一生懸命頑張っている姿が、頼もしくてうれしくて。こんなにも長く客観的に見ることはなかったので、いろいろな発見がありました。コメンテーターさんとのやり取りを見て、「こういう受け応え、いいな」と思った時は、メールで感想を送ったりして。自分が帰る場所があってつながっていられたからこそ、辛い治療も乗り越えられたのだと思います。

復帰した時、「毎日帯で生放送を担当するって、本当に大変なんですね!恩田さんが復帰するまで必死でしたよ!」と後輩たちに言われ「やっぱりここが私の居場所だ」と復帰できた喜びを改めて噛み締めました。がんや他の病と闘っていらっしゃる皆さんからのお手紙にも、職場や元通りの生活に戻ることが心の支えになるという内容をたくさん見かけます。戻ることを諦めない気持ち、大事だと思います。

社会全体で考えてほしい
ガン就労のこと。

私は仕事に復帰することを前提に手術や抗がん剤治療を受けました。でも、中にはがんを患ったと聞いただけで、辞職を促すような会社もまだまだあるのが現実です。がんの治療は計画的に行われるので、突発的な欠勤はほとんどない方が多いと思います。ここ2、3年で、治療を続けながら就労できることが、大分認知されてきました。とはいえ「長く休むんじゃないか」「急な欠勤が増えるんじゃないか」といった疑念のほか、「無理をさせて大丈夫だろうか」という労りの心情から、就労を不安に思う雇用主の事情もわかります。

お互いにしっかり話し合って理解を得て、自分の能力を発揮できる場を確保してほしいですね。あと、がんの宣告を受けてパニックになり、自分から辞職を願い出るケースも多々あるようです。ここは冷静になって、治療方針が決まってから会社と話し合うべき。がん就労の問題は、がん患者が考えればいいというものではなく、他人ごとではないという観点で、社会全体で考えていきたい問題です。

セルフチェックとマンモグラフィ
怖がらず定期的に行いましょう!

乳がんを公表して以来、「実は私も…」と話してくださる方にたくさん出会いました。皆さん、ありがたいことに先輩がん患者として自分の経験に基づいたアドバイスをしたい気持ちが強いみたいですね。色々と教えていただき、本当に心強いです。私がこうして自分の経験をお伝えするのも、皆さんの役に立ちたいという思いから。「乳がんは他人ごとではなく、誰でもかかりうる病」「がん=死ではない」という事実を理解していただくためです。

乳がんがこの世に存在する以上、いち早く見つけて治療をスタートさせるのが最善の方法。誰もが患う可能性があることを念頭に置いて、セルフチェックをしたり、マンモグラフィ検診を定期的に受けてください。そして乳がんやその他のがんを患っている方が周りにいらっしゃったら、過剰に反応するのではなく、基本は普段通りの接し方で、少しの思いやりをプラスしてほしいと思います。患者が以前と変わらぬ環境で明るく前向きに過ごせれば、体にもいい影響を与えるのではないでしょうか。

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